しかし過激化が進んで視聴者が離れることで広告効果が薄れ、制作側の消耗も激しく、「低俗化」との批判も受け、1965年10月にTBSテレビがAタイム(19時から21時)での5秒枠の販売を停止した[15]のをきっかけに、5秒CMの制作数は急激に減少した。このような経緯を経て、15秒枠が日本のCM時間のスタンダードとなり[15]、長尺として30秒・60秒が用いられるにいたった。
民放連では、放送基準151条においてテレビのスポットCMの標準時間目安を5秒・10秒・15秒・20秒・30秒・60秒と定めている[4]。ラジオのCMについては、民放連放送基準は標準時間の申し合わせ項目を設けていないが、5秒・20秒・40秒・60秒のいずれかであることがほとんどで、そのうち20秒[16]のものが非常に多い。
テレビCMの場合、スポットCMでは15秒単位、タイムCMでは30秒単位での販売となっている(例外もある)。通常、ネットワークセールスのテレビ番組内において、タイムCMのみ、スポットCMのみをそれぞれ流すように枠を分けるようにしているが、TBS製作の一部全国ネットバラエティ番組のように、CM枠の前半にタイムCM、後半にスポットCMを配置している例もある。
60秒で製作したCMは、全国ネット番組のタイムCMでよくみられる。1970年代までは関西ローカルCMのパルナス製菓など、60秒のスポットCMも存在した。
1960年代前半に多数制作された5秒CMは、それ以降も地方局で細々と見られていたが、2011年以降からやはり地方局で本数が増えるようになり、スポットCMにおける15秒単位での契約枠で3本に分散させて放送している。百貨店・ショッピングセンター・スーパーマーケットなどの大型量販店(デパートメントストア)における割引セールやポイントアップキャンペーンの広告活動が殆どである。5秒CMの方が製作費を削減できることから、それらの一環で中小店舗を中心とした一般企業のCMもそれなりにある。これら全てが製作地域のローカルCMとして製作されており、5秒CMが民放3局以下の地域などを中心に禁止されている事への配慮により、全国放送の5秒CMは存在していない。 テレビCMは、市場シェアの大きな全国規模の大手消費者向け製造業(食品、医薬品、自動車、化粧品、家電製品、時計、衣料品など)、大手小売業(大手スーパーマーケット、大型家電量販店チェーンなど)の物が多い。ローカル局は、より地元の企業のコマーシャルも流れる。ラジオCMは、テレビの業種に加え、より狭い地域に展開する小売店、食品メーカー、大学など、知名度の低い企業の物もある。 商品や企業の宣伝広告ではなく、開催予定のイベントの実施あるいは中止などの情報を伝えるCMもある。 災害に際し、民間事業者が商品でなく、被災者に役立つ情報を緊急に流す例が見られる。東日本大震災に際し、電機メーカー各社が電力不足を受けて節電方法を紹介する内容の、トヨタ自動車など自動車メーカー各社が災害発生時の安全運転や省燃費のための運転方法を紹介する内容の、移動通信各社が災害伝言ダイヤルの利用法を伝える内容の、社告形式のCMをそれぞれ放映した。住宅メーカー各社や、生命保険・損害保険各社は、被災者へのお見舞いと顧客対応窓口のフリーダイヤルを案内するCMを放映した。 企業CMのほか、政府・官庁による政府広報、地方自治体のPR、ACジャパンなどの公共広告団体によるキャンペーンCMもある。 衆議院・参議院の選挙開催期間中に政党・政治団体のCMがスポットで頻繁に放送されるが、比例代表選出選挙の政見放送はNHKでしか行われないことが多い(地域によっては30分程度放送される民放テレビ局もある)ため、事実上その代わりとして行われていると見なせる。 CM枠において、放送局自身による番組プログラムのPR(番組宣伝。「番宣」と略)がある。広義的にはコマーシャルの一種だが、商取引が発生していないため、実態としてはフィラーである。 日本は、ラジオ放送の開始に際し、逓信省の省議決定「放送用私設無線電話ニ関スル議案」によって、あらかじめ広告放送を禁止された[17]ほか、1920年代の黎明期から1951年まで、民間企業でなく、公共事業体であるNHKによる運営のみ認可され、そのNHKが聴取料収入によって運営されていた事情もあり、ラジオCMが試みられたことはなかった。 このため、広告放送は本土以外で試みられた。第二次世界大戦終結まで日本の統治下にあり、別組織の台湾放送協会がラジオ放送を独占していた台湾では、1932年6月14日または15日[18]から数か月間、演芸番組の制作費を調達するため、試験的に「間接広告放送」を実施したことがある[19]。
日本におけるスポンサーの傾向
日本のCMの歴史
戦前