コマーシャルメッセージ
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

日本放送協会(NHK)でも2010年6月17日放送のFIFAワールドカップ中継において、翌々日(同月19日)に同局の衛星第1テレビ(現・NHK BS1)にて生中継する日本代表戦を告知する際に同局アナウンサー(当時)の神田愛花が「(NHKでは)コマーシャルはありませんからね」とCMや民放テレビ局を否定する発言をしたため、日本民間放送連盟(民放連)が問題視し[注釈 14]、後日の放送で「配慮に欠ける発言があった」と謝罪した事例がある[74][75][76]。芸能人では徳光和夫(フリーアナウンサー)、井ノ原快彦20th Century)たちも、過去に同様の発言を行った。

放送業界は(たとえ冗談でも)CMを否定する発言はタブー視されている。これらの発言は一種のギャグのネタとして扱われる作品があり、例としてPlayStation 2専用コンピューターゲームソフトの『ラチェット&クランク4th ギリギリ銀河のギガバトル』内で「視聴者の皆さん、コマーシャルまで漏らさないで我慢してくださいね」といった発言が挙げられる。

バラエティ番組を中心に、話題の流れの最中にCMを持って行き、視聴者がザッピングで本編を見逃すと話題の流れを見失う可能性を高くしたり、CM後に1分程度の短い本編を放送し、視聴者の注目を集めてからすぐにCMに突入することによって、結果的にCMを見る機会を増やそうとする「CMまたぎ」「山場CM」と呼ばれる手法を用いる番組も見られる[73]。以前はCM突入前に「○秒後に衝撃の結末が!」とCMの放送時間を事前に告知することもある。これは、視聴者に都合のよいザッピングの機会を与えてしまうことや、遅れネットでCM本数の異なる別時間帯に放送する地域にも配慮してか、後にあまり用いられないようになり、「CMの後に衝撃の結末が!」とCMの秒数がわからない工夫が用いられる。

かつては、音声認識や映像認識などによりテレビCMを識別し、自動的にスキップやカットをして録画する機能を持つ録画機器が発売されていたことがある。たとえば、番組自体がモノラルまたは2ヶ国語放送でテレビCMはステレオ放送の場合、音声フォーマットの違いから番組とテレビCMの区切りがわかる。番組とテレビCM共にステレオなど、音声フォーマットが同じ場合は、映像や音声レベルの変化によってテレビCMを判別する。この機能を使ってCMだけを収集することも可能である。

CMが視聴されない状態はスポンサーを失い、放送業界の収入減に直結する。このことから、民放連元会長でフジテレビ前会長の日枝久は、「テレビ番組はCMも含めて著作物で、CMを飛ばして再生・録画することは著作権の侵害に当たる」と主張していたが、再生・録画は「個人として楽しむための複製」であり、法律上は合法である。2005年5月に野村総合研究所が約540億円の経済損失と試算したが、電通はこれらの機器の購買層はコマーシャルにも関心が高く、今のところ損失につながらないと分析している。

テレビCMは注目を集めるために番組本編よりも音量が大きく設定されることが多く、視聴者の苦情もある。アメリカは2009年12月に「テレビCMの音量を、番組と同程度に規制する」法案が下院で可決した[77]。法案は、米連邦通信委員会(FCC)に対し、「過度に大音量な広告を規制する」内容となっている。法案が成立した場合は、技術的に対応するため1年の猶予期間が設けられている。同様の法案はフランスでも可決され、違反した企業は売り上げの3%相当の罰金が課せられる。

日本は、2012年10月1日からラウドネス値を用いた『NAB技術規準T032 テレビ放送における音声レベルの運用規準』が行われる[78][79]
CMから生まれた流行語「流行語」も参照

ここでは、日本において実際に流行したことが資料で確認できる、または新語・流行語大賞等の全国規模による賞に選出された流行語のみ記述する。

一部の記述されている流行語は、放送が終了して以降も商品パッケージなどに使用されている場合がある。
1950年代の流行語

ワワワ、ワが三つ(1954年
ミツワ石鹸[80]

有楽町で逢いましょう(1957年 そごう[81]

1960年代の流行語

トリスを飲んでHawaiiへ行こう!(1961年 寿屋:サントリートリス)[81][82][83][84]

あたり前田のクラッカー(1962年 前田製菓:前田のクラッカー 藤田まこと[85][86]

かあちゃん、いっぱいやっか(1962年 山本本家:清酒神聖 伴淳三郎[81][82][87][88][89]

スカッとさわやか(1962年 日本コカ・コーラ[81]

アスパラで生きぬこう(1962年 田辺製薬[注釈 15]:アスパラ 弘田三枝子[90]

アンネの日(1962年 アンネ[90]

なんである、アイデアル(1963年 丸定商店:アイデアル傘 植木等[81][82][87]

丈夫で長持ち(1963年 エーザイ:ユベロン 渥美清[81]

25歳はお肌の曲がり角(1963年 ジュジュ化粧品:マダムジュジュ[91]

インド人もびっくり(1964年 エスビー食品:特製ヱスビーカレー[92][93] 芦屋雁之助[89]

わたしにもうつせます(1965年 富士写真フイルム:フジカシングル8 扇千景[81]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:437 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef