コマーシャルメッセージ
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2013年3月22日に放送された『放送記念日特集「テレビ?60年目の問いかけ?」』で、「CMと連動したスマートフォン向けクイズ」を紹介時に「ミスタードーナツ」のCMが音声無しで流れた[注釈 12]

番組内容によっては、過去に流れたCMを放送するケースもある[注釈 13]

NHKが放送するバラエティやトーク番組にNHKの放送するドラマの出演者が出演したり、ニュース番組で「静かなブーム」などと称して特定のメーカー・商品の紹介をするなど実質的にCMの機能を担うものもある。

民放がCMを放送しない例
CMが放送されなかった番組

本編全体がCMによって中断されなかった事例として、以下の番組がある。

題名のない音楽会』(テレビ朝日・出光興産一社提供)が出光興産の創業者である出光佐三の「芸術に中断は無い」の言葉を受ける形のもと、日本のレギュラー番組で唯一実施されており、本編中は一切CMを挟まず、CM自体は本編前後に挟むという韓国のテレビ番組とほぼ同じ番組構成となっており、東京12チャンネルの番組としての放送開始時から変わっていない。また、初代司会者の黛敏郎が亡くなった直後の1997年4月13日放送回は、黛の追悼の意味合いもあり、CM自体が放送されなかった。

朝日放送テレビ部長刑事シリーズ』、KBS京都『中島貞夫の邦画指定席』、一部の深夜アニメの一部の回[64]なども、出演者やスポンサーの意向により番組内でコマーシャルを放送しない(いずれもCM自体は本編の前後に放送)

1987年2月10日に行われた高松宮宣仁親王斂葬の儀の特別番組では、民放各局はCMを自粛する対応をした[65]

1990年3月21日に日本テレビで放送された単発テレビアニメ『雲のように風のように』や、2001年9月4日に同じく日本テレビで放送された単発ドラマ『夏休みのサンタさん』は、いずれもスポンサー企業の創業記念事業(前者は三井不動産販売の創業20周年、後者は明治生命創業120周年)として制作された番組で、スポンサーの厚意として本編がノーカットで編成された。

ラジオ関西林原めぐみのHeartful Station』の1995年1月21日放送分(第173回放送)は、CMなしで放送された。後述の災害対応に伴う同局のCM自粛期間であったことに加え、被災者を励まし、かつて他局で放送されていた番組の再開に尽力した同局への恩義に報いたいというパーソナリティ・林原めぐみの強い希望で放送されたものである。

BayFMでは本編中はCMを挟まない場合が多い。

CMが放送されなかった日

1967年10月31日吉田茂国葬が行われた際、フジテレビジョンは早朝6時40分の放送開始(「おはようフジテレビです」)から、23時30分の放送終了時(「こちら報道部」)までの終日、CMを一切放送しなかった。その理由についてCX幹部関係者は「吉田氏の功績を鑑みると当然である」とし、「国葬の雰囲気の中でのんきにCMを流すのはまずい」としてスポンサーからの協賛金の数千万円の損失による赤字を覚悟してCMの全面中止に踏み切ったとされる。またこの日は日中の時間帯にその国葬をNHK教育テレビジョンを除く各局で放送、ゴールデンタイムプライムタイムに相当する時間は一部を除き定時編成に戻していたが、CXだけは上述の理由から歌舞音曲関係を控えて、ほぼ終日吉田追悼に関連した特番、ないしは教養色の強い映画・アニメーションに差し替え、深夜23:30以後の深夜放送の編成も休止した[66]

1989年昭和64年・平成元年)1月7日、8日は昭和天皇崩御のため、各放送局の取り決め事項で、服喪期間中の派手な歌舞音曲を控えるという観点から全ての民間放送は通常放送・CMは一切自粛し、追悼特番(関係のある映画など)やニュースなどを放送していた(俗にテレビ東京「昭和天皇崩御の日も通常放送をしていた」といわれるがこれは誤りで、開始時間こそ他局と比べ遅かったものの、他局にならい追悼特番を放送していた)。この特別編成態勢のもとで民放がCMを全国規模で全面カットした時間は、日本テレビ系列における1989年1月7日5時30分すぎから1月8日分の放送終了(キー局では1月9日1時30分頃)までの44時間が最長。
1月9日から通常の編成に戻りCM放送も再開されたが、服喪期間に華美なCMを放送することは好ましくないという理由で草花の映像などといった「風景映像」に差し替えたスポンサーが多かった。大喪の礼が開かれた2月24日も儀式開催中に限りCM放送を一切中止した。

1995年1月17日の阪神・淡路大震災発生当時も、17日と18日の近畿地方の一部の民間放送局がCMを自粛していた。
震源地の所在局であるサンテレビは、1月17日 - 22日に全ての定時放送・CMを休止して震災関連の特別番組編成に差し替えた。
他地区が報道特別番組の編成にCMを含んで放送する中、MBSテレビは1月17日8時30分にCM放送をすべて中止し、準備の整った10時台以降、被災地の生活に関連した情報を中心として、大阪ガス関西電力などからの震災発生時の対応指示の告知などに差し替えて伝えた。全国ネット放送の時間帯には、キー局であるTBS(のちのTBSテレビ)から送出されたCMを環境映像などで埋めた。この毎日放送の試みは「全国ネットでは伝えられない、伝えきれないローカルの情報を差し挟めるタイミングはCM枠しかない。この枠を有効的に活用する」という考え方に基づいたものである。毎日放送の社内マニュアルにもその旨が明記されているという。
ABCテレビも当初はCM中のつなぎ映像として「風景映像」を放送したが、上記の毎日放送の英断に刺激され、正午以降のCM枠を同様のローカル情報枠として活用し始めた。その他の在阪3局は環境映像を流す局や、通常通りCMを流す局とに分かれた。
CM枠の再開後もしばらく在阪各局では、公共広告機構(のちのACジャパン)の中野浩一増田明美の「空き缶ポイ捨て禁止」CMが継続的に流され、企業が商品やサービスのプロモーションを目的として制作したCMはほぼ全面的に自粛となっていた。

2011年3月11日の東日本大震災に際して、民放各局は14時46分の地震発生直後からCMを全面カットして、報道特別番組を中心とした特別編成態勢を取った。在京民放5局がCMをカットして放送した時間は、最短でもテレビ東京の33時間、最長でテレビ朝日の74時間に及んだ。そのほかの3局は、TBSが62時間、フジテレビと日本テレビが61時間[67]と、いずれも昭和天皇崩御時を上回った。

CMに関連したイベント・特別番組

民放連は
1968年に、毎年4月21日を「放送広告の日」(1993年から「民放の日」)と定めた。これは、日本で初めての商業放送局(いわゆる民放)のラジオ放送局16社に対し、1951年のこの日に放送予備免許を交付し、1952年に民放連が発足したことによるものにちなんで、日本でのテレビ放送開始15周年に当たる1968年のこの日から、民間放送の統一キャンペーン活動としてこの記念日が制定された。

かつて「放送広告の日」は、テレビコマーシャルを主題とする民放全局共通の特別番組を放送していた。

フジテレビ系列は毎年5月頃に、「フジサンケイグループ広告大賞」として、同賞の授賞式報告などを取り上げる特別番組を放送している。

放送以外での動画・音声広告
映画館におけるCM

映画館で映画本編の開始前に流される動画CMをシネマ・アドバタイジング(cinema advertising)、略してシネアド
[68][69]と呼ぶ。放送のCM枠のように、編成別・上映作品別の料金が設定されており、幕間よりも本編に近い時間帯の料金が高い傾向にある。

非常に稀ではあるが、『'80アニメーション ザ・ベストテン[70]のように、劇場映画の本編にCMが入ることもある。

ビデオソフトにおけるCM

市販の
ビデオソフトにCMが入れられることがある。

販売価格を下げられる効果[71][72]のほか、テレビCMよりも長時間の広告を入れられるメリットもある[72]

日本では1983年8月にポニーが発売した田原俊彦のコンサートビデオ『Toshi Forever』に田原が出演する江崎グリコのCMが入れられたのが初である[71][72]


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