典礼言語には、古代エジプト語の末裔であるコプト語と、アラビア語が用いられる。教会暦にはディオクレティアヌス紀元とコプト暦を用いる。洗礼は原則的に全浸礼のみを認める[3]。その他の教義や様式には、ギリシャ正教系の正教会との共通点が多い。
なお、「コプト教」と称して、キリスト教から分派して独特の変容を遂げたエジプト土着の宗教であるかのような見方がされることがあるが、これは誤解である。古代教会からの歴史と伝統を忠実に受け継ぎ、「正教会」(Orthodox Church)を自認する、れっきとしたキリスト教の一派であり、「コプト教」という呼称は不適切である。 相互領聖関係(=教派間において、聖餐におけるパンとぶどう酒を互いに領食することを認めること)については、同じく非カルケドン派であるアルメニア使徒教会、シリア正教会、エチオピア正教会等との間でフル・コミュニオン(完全相互領聖)の関係にある。 ギリシャ系の正教会など他のカルケドン派の正教会との間においては今のところ相互領聖は認められていないが、ここ近年の関係は改善しつつあると言われている。2001年、コプト正教会とカルケドン派のアレキサンドリア総主教庁は、互いの教会で行われた洗礼が相互に有効であることを確認し、互いの教会の婚配機密が有効であると認めることに合意した。これにより、カルケドン派の正教徒とコプト正教徒のパートナーが婚配機密を受ける際の障害が取り払われた。[4]
他教派との関係
組織
教皇アレクサンドリア総主教シェヌーダ3世:コプト正教会の教皇アレクサンドリア総主教コプト正教会の現アレクサンドリア総主教タワドロス2世
教会の代表者は、「アレクサンドリアのパパ(教皇)大主教並びに聖マルコ管区および全アフリカの総主教」(通称「コプト教皇」)である。但しアレクサンドリア総主教/総大司教は、コプト正教会だけではなく東方正教会(ギリシャ正教)とコプト典礼カトリック教会にそれぞれ存在する(コプト典礼カトリック教会のアレクサンドリア総大司教は、「パパ(教皇)」の称号を持たない)。
名目上は古代五総主教座の称号を受け継ぎ「アレクサンドリア総主教」であるが、11世紀以降はエジプトの首都カイロに聖座がある。主教座聖堂はカイロの聖マルコ・コプト正教会大聖堂(英語版)である。
2012年3月17日、教皇であったシェヌーダ3世が死去。2012年11月4日、第118代教皇にタワドロス主教がタワドロス2世(英語版)として選出された。 現在、エジプト・スーダン・南スーダン及びエチオピア・エリトリア、またディアスポラとしては米国・オーストラリアを中心に、総計5千万人のコプト系キリスト教徒がいる。エジプトにおけるコプト正教会信者の割合は、統計上5%であるが、実数は1割であるともいわれる。 1959年にエチオピア正教会、1998年にエリトリア正教会が分離したが[5]、教理上の違いはない。また両教会は、コプト正教会の教皇アレクサンドリア総主教の名誉的首位を認めている。
信者数