コスプレイヤー
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第二次世界大戦後、日本においてもアメリカで主に開かれる世界SF大会の影響を強く受けた日本SF大会で1960年代末から1970年代に既にコスチューム・ショーとしてプログラムの中に取り入れられていた[14][15]。日本SF大会におけるコスプレは、1974年の京都大会からショウアップが行われて翌年から定着したとされる[14]1977年の神戸での全国アニメーション総会では、『太陽の王子 ホルスの大冒険』のヒルダのコスプレをする者が現れた[16][17]

1978年に神奈川県芦ノ湖で開催された第17回日本SF大会の仮装パーティーに於いて、当時はファンの一人だったSF評論家の小谷真理ひかわ玲子らで構成されたファンタジーサークル「ローレリアス」が、エドガー・ライス・バローズの『火星の秘密兵器』(創元SF文庫)の表紙イラスト(武部本一郎によるもの)を真似た格好で参加[注 3]。他の参加者がその姿を見てアニメ『海のトリトン』の仮装だと勘違いし、本人も強く否定しなかったことから、いつの間にかトリトンが日本のコスプレ第1号と言われるようになったとされる。その後も日本SF大会ではコスプレのコンテストが行われた[注 4]
「コスチュームプレイ」という和製英語の登場原宿にて

同人誌即売会等でもコスプレは行われており、漫画やアニメの扮装をすることをコスチュームプレイと呼ぶようになったのは、コミックマーケット(コミケット、コミケ)代表者の米澤嘉博を中心したメンバーだった[20]。米澤は、元は少女マンガの同人作家やファンがコミケをお祭りの場として派手な格好をしていた中から、アニメのキャラクターの扮装をする者が現われ、徐々に増えていったとしている[21]

コスプレアイドルの先駆者的な存在になった漫画家・一本木蛮はプロデビュー前の1980年頃から『うる星やつら』のラムの衣装を自作、コミケ会場でコスプレをして注目を集めていた[注 5]。アニメやマンガのコスプレが登場する以前のコミケでは、自分が愛好するロック系の衣装を身につけることも行われていたが、1977年になってコミケにアニメ『海のトリトン』の衣装をした少女が登場して注目を集め、その次の回には『科学忍者隊ガッチャマン』のコスプレが登場し、徐々に広まっていった[14]

日本のメディアでは、アニメ雑誌等が同人誌即売会に関連してコスプレを少しずつ取り上げ始めたが、特に大きく取り扱ったのは、ラポート発行の『ファンロード1980年8月号(創刊号)で、同誌は、当時原宿を席巻していたタケノコ族を捩り、原宿にコスプレ集団「トミノコ族」が現われたとする「特集記事」を掲載した[22]。「トミノコ」は『機動戦士ガンダム』の富野由悠季監督に由来するもので、記事には『機動戦士ガンダム』の登場人物やモビルスーツガンダムの仮装をした人々が踊っている写真が掲載された。実際には、当時そのような風俗は存在せず、これは報道記事の体裁を採った映画宣伝企画だった[14]

しかし、翌年1981年2月22日、劇場版公開前に行われた「アニメ新世紀宣言」(サンライズ主催。新宿駅東口広場)の折には、ガンダムファンが1万人以上が集まり、ファンの中には自主的にキャラクターの衣装を制作して参加する者もみられた(永野護川村万梨阿らなども参加していた[23])。

出版プロデューサーの高橋信之は、1983年秋田書店マイアニメ」に『コスチュームプレイ大作戦』の連載を開始したが、担当者の町山智浩から「コスチュームプレイ」は英語として正しくないとの指摘を受け、「コスプレ」という言葉を造語し、連載タイトルを『コスプレ大作戦』としたと述べている[24][25]。翌1984年週刊ヤングジャンプ」1984年11月23日号に掲載された江口寿史短編群『寿五郎ショウ』中の作品『素人勝ち抜き漫画合戦』に「コスプレ(※)だけには自信があります」と『うる星やつらラムのコスプレーヤーが発言、欄外に「※コスプレ→コスチュームプレイの略」と註が付されており[26]、「コスチュームプレイ」や「コスプレ」という言葉の認知度がこの頃高まっていたことが窺える。

1985年になると、TBSがテレビ番組でコミケを取材して、多くのコスプレイヤーに取材を行った[14]。テレビでは1989年になって、テレビ番組はなきんデータランド』(テレビ朝日系、1989年 - 1995年)が、アニメランキング特集を行った際にコスプレランキングも発表していた。

1985年頃には、同人誌界で人気だった『キャプテン翼』のコスプレが、Tシャツの改造やユニフォームショップに注文するだけの手軽さから拡大する。同年結成されたアイドルグループ『おニャン子クラブ』の派生ユニット『うしろゆびさされ組』は、主題歌を担当した『ハイスクール!奇面組』のキャラクターの衣装を着て歌番組やコンサートに登場した。1986年からは集団で行うコスプレが発生したと言われ、同時期には、富士フイルムから発売された写ルンですの普及によりコスプレを撮影する人々が劇的に増加した[27]

一方、1988年頃から、同人誌即売会でのコスプレは混雑やマナー、過度な露出などの問題から、禁止とするイベントも増えていった[14]

アメリカでは、1970年代後半にSF映画『スター・ウォーズ』の人気によりコスプレはポピュラーとなり、日本のアニメ人気によりアメリカ全土で行われるようになったアニメコンベンションなどのイベントでは日本の漫画アニメのキャラクターに扮する光景が見られるようになっている。そこでは従来の masquerade ではなく、和製英語由来の cosplay の名称で呼ばれている[28]
1990年代での発展神宮橋でヴィジュアル系(2006年3月26日)

1990年代にコスプレの人口は増大し、コミケのコスプレイヤーは1991年には約200人、1994年に約6,000人、1997年には約8,000人を数えた[14]

この背景としていくつかの事象が重なる。まず、直接的な背景としてはアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の流行等でサブカルチャーに注目が集まるようになり、コスプレという用語・行為も普及したことが挙げられる。間接的な背景としては1990年代初頭のヴィジュアル系バンドブームであり、特に火付け役となったX JAPANを筆頭にファンによる凝ったコスプレが披露される傾向を見せ、この傾向は2007年の復活後にも少数ながら見ることができ、他のヴィジュアル系バンドのコスプレにおいても同様なファンが続いた。


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