コサキンDEワァオ!
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注釈^ 2024年1月8日現在。地上波放送のみの回数。『コサキン ポッドキャストDEワァオ! 』の地上波放送版は含まない。
^ あくまで放送上での説明。
^ 現在は『JUNK』表記。
^ 会社としては、現在のTBSホールディングス。放送局としては、現在のTBSテレビTBSラジオ
^ 例えば小堺の持ち歌である『マージナル』を紹介時に、「マジになるんですよ、小堺一機が。マジになる、『マージナル』小堺一機」という要領であった。
^ 本人いわく、「予約開始の時点で予約しているにもかかわらず、そのことを忘れて発売開始でまた買ってしまう」とのこと。
^ a b 「なぜかクラスの女の子がスカートをめくって、中を見せてくれた」「女の子に『今日両親がいないから家に来ない?』と誘われた」「土肥温泉に当時の彼女と行ったが、その後彼女にストーカーまがいの行為をされトラウマとなった」「若手時代、収録の合間に代々木上原の彼女(前述の彼女とは別)の家に行き『何か』があった」など、モテエピソードが多数ネタにされていた。関根は一時期、小堺を「恋愛の先輩」と呼んでいた。
^ 雄犬のライルを溺愛する余り「結婚してくれ」「雌犬になってお前の子犬を産みたい」「松阪牛になってお前に食べられたい」などと言って夫人に「気持ち悪い」と言われる、など。
^ 目黒の中華料理屋の娘マジカルの女ちょっと前のCM女王、えぼ鯛の広げたのみたいな血液がワインとか言ってた女他多数
^ 1987年4月15日放送分から作家として参加。
^ 2016年より、構成作家としての名義を「有川周壱」としているが、当記事では放送当時の名義である「有川周一」と表記する。
^ 1995年まで。番組卒業後もトークやネタの対象にされていた。1997年1月9日放送分、2009年3月21日放送分にはゲストとして出演。
^ Apple Podcasts、SpotifyAmazon Musicラジオクラウド
^ 宇津井が『スーパージャイアンツ』に主演した際、全身タイツを着用した彼の股間が目立っていたことが特にネタにされた。
^ a b c d e 名前は「ことひろ」と読む。番組初期から、浅井企画の名物マネージャーとして知られていた。ニセ社長の異名は、番組内で事務所の先輩である車だん吉をネタにしていたところ、川岸がスタジオに直接電話をかけ、社長に成りすまして「もしもし浅井だけど、お前ら何やってんだ!」とコサキンを一喝したことによる。その際川岸が発言した「だん吉は(ゲストに)出さんぞ。…2億年出さん!」は、後に初の番組本『ら゛』のキャッチコピーに応用され、同書のオビには「買わなきゃ2億年許さん!」と記載された。浅井企画の専務取締役を45年務め、現在は芸能スクールを運営する株式会社ICHの名誉会長を務める。
^ 書籍『コサキンというラジオ』(TBSラジオ編、鶴間政行著、興陽館)の56-58ページの記述によれば、川岸はコサキンの二人の進行の拙さではなく、トークのネタに困り事務所の先輩芸人をいじっていたことに対し叱責した、と振り返っている。
^ 2016年3月30日放送の『ライオンのごきげんよう』で関根がゲスト出演した際にも、同様のエピソードを語っている。
^ 土曜18時台、土曜24時台時代を除く。
^ 『無理矢理100%』時代、ゲスト出演した明石家さんまに写真ネタを見せた際、「ラジオでわかれへんやないか」「こんなんリスナーかわいそうや、スタジオだけでゲラゲラ笑ろて」「せやから、写真ネタやめぃ!」と終始苦笑交じりでダメ出しされたこともあった。特に「写真ネタやめぃ!」は番組初期の名台詞となり、番組本で写真ネタを収録したコーナー名にまで使われた。
^ 3択や4択によるクイズ形式での質問もあったが、選択肢に本当の答えを出しておきながら、"意味ねぇ"正解や問題にない選択肢をでっちあげする内容が大半だった。
^ 実際は、関根の感想を有川に言わせているだけである。
^ そのほか、コサキンやゲストの発言などを抜き出したTPが使用されていた。
^ 正式に「洗礼」として扱い始めたのは、1996年10月10日放送分から。それ以前にも関根が名前を短縮して読むことは度々あった。
^ しかし、話のほとんどが「競馬で負けて泣いた」「ファンからもらった差し入れが賞味期限の過ぎたカールだった」といった悲しいエピソードのため、コサキンの二人からは突っ込みやダメ出し(特に関根)をよく受けていた。2001年7月4日放送分では、リスナーから寄せられた過去のコメント集が紹介された。
^ 鶴間・舘川もスタッフとして参加。有川は「眠いので来ない」(小堺談)という理由で不参加だった。
^ 事前に『星野源のANN』内において、コーナーの概要を説明した上でリスナーからネタを募集した。
^ 初期は「こんなときに絶対言うのが○○、絶対言わないのが××」というテーマだった。
^ このバカ発言集が送られてくるたびに、関根は特に「俺、そんなこと言ったっけ?」「これはバカですね」というフレーズを繰り返していた。
^ 『快傑アドレナリン』時代では、小堺、関根と電話参加のリスナーが順番に解答する対決形式だった。
^ a b ここでのイントロクイズは、実際は曲名連想クイズであった。例えば坂本冬美の『火の国の女』のイントロを聴き(歌手名、曲名はこの時点で発表される)、そこから「火の国と言えば熊本県」「熊本県の女性と言えば水前寺清子」「よって正解は『三百六十五歩のマーチ』」と連想しなければならず、またある時は文部省唱歌われは海の子』のイントロ及び歌の冒頭部を聴き、「歌い出しの“我(われ)”」「われと言えば、長嶋さんは顎が割れ(われ)ている」「よって正解は『長嶋茂雄のウイスパーカード』」と連想することで正解にたどり着くという、正解者が極端に少ないクイズであった。
^ 飯尾和樹村山ひとしのコンビ。しかし番組内での彼らの不甲斐なさからLa.おかきの番組残留を賭けた「コント4番勝負」が行われ、リスナー投票により'97年4月第1週で降板となった。La.おかき解散後、村山は放送作家やアイドル評論家として活動し、飯尾はずんを結成してコサキンヤング部開始以降に再登場した。
^ ネタの持ち時間が約2分4秒のため。のちに出演者が「若手」と呼ばれるキャリアで無くなったことから「コサキンヤンガー(younger)部」と改題された。
^ ルーが「くどいポエム」を朗読するオープニング企画。実際はポエム形式の漫談に近いものであった。1989年2月から1990年4月まで放送。BGMは実際の「パックインミュージック」のオープニングテーマとサウンドステッカーを使用していた。
^ a b 午前2時の時報と同時に強制的に始まるコーナーで、眠気覚ましとしてラッキィと一緒に「モンキーダンス」「クラゲダンス」などを踊ろう、という内容。1989年7月から1990年4月まで放送。
^ a b 坂上二郎を担当していた浅井企画名物マネージャーの一人。
^ 小堺は「まぐろがわたいち」と誤読することが多かった。自信を持って「たいちです!」と訂正したことさえあった。
^ 絶叫マシンでアメリカのキャンプソング「ジャンボリー」を無理矢理歌わされた時の絶叫。
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