西の系統は、過去の記録から推測すると夏はオホーツク海や黄海・渤海[49]などで過ごし、冬に朝鮮半島や日本列島、中国大陸の広東省や海南島などの沿岸で繁殖し、春と秋の回遊時には、朝鮮半島近海から日本列島を通過していたとみられる。
かつては東京湾や瀬戸内海なども含め、東アジア圏沿岸のほぼ全土が生息域であった。済州島、黄海・渤海[注釈 14]、中国南部[注釈 15]に繁殖海域が存在したと思われる[50]。南西諸島や台湾に越冬海域が存在したかは未確認であるが、完新世に該当する化石が台湾と澎湖諸島の付近から発見されていたり[51]、トンキン湾[41]や青ヶ島[43]やハワイ諸島[44]や東シナ海の沖合[42]など、既存の分布外での確認も散見されることから、南西諸島や台湾も通常の分布域に含まれていた可能性があるだけでなく[51]、バブヤン諸島などのフィリピン国内等にも到達した可能性もある。
アジア系個体群に現在のバンクーバー島やピュージェット湾に見られる夏季の地方滞在群[46]が存在したか否かに関しても不明であるが、渤海や黄海から中国南部にかけて年間を通して棲息していた可能性は示唆されている[49]。
捕鯨以前は日本列島の沿岸にも数多く、北海道ではセミクジラやツチクジラなどと同様に一種の風物詩とされるほどよく見られ、とくに採餌海域が到達していた可能性がある北海道全域[注釈 16]や本州や九州の北部[注釈 17]、土佐湾などは捕獲上の統計的に見ても数が多かったとされる[52]。北海道北東部[注釈 18]、陸奥湾、伊豆半島周辺[53][注釈 19]、丹後半島、周防灘、鳥取砂丘沿い、有明海などにも本種に適した自然環境が存在する。かつて、日本列島の日本海沿岸は本種の分布には当てはまらないとされてきたが、少数の目撃や混獲等の記録が存在する事から覆された[54][55][56]。大村秀雄は祝島や小野田市沿岸や別府湾などの瀬戸内海および豊後水道が本種の繁殖海域であったとする説を発表しており[57][58]、広島県三原市の二つの無人島からなる「鯨島[注釈 20]に回遊していた鯨種を本種だと推定する説もある[59]が、これらの説を科学的に支持する資料は少数の捕獲記録以外には存在しないために検証が必要である[11]。
これまで日本では、大隅半島以南および南西諸島など東シナ海での確認は考古学的検証や記録からも発見された事はなかった[60][注釈 21]が、上記の通り東シナ海のかなりの沖合で音響調査によって遊泳している事が判明している[42]。近年、未確認の目撃例がトカラ列島および宮古島であったが、過去、このような記録がこれまで一切存在しなかった理由は謎である。
大西洋と南半球