ゲームミュージック
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映像に付随するサウンドトラックを再生できる為、生演奏を録音しゲームBGMとして用いることが出来た最初の環境である(代表作『ドラゴンズレア』、『スペースエース』、『サンダーストーム』、『ロードブラスター』、『宇宙戦艦ヤマト』等)。しかしLDゲーム機の制作・運営コストが高い事もあり当時主流ではなかった。

1984年にゲームミュージックの消費形態を大きく変える出来事が起こる。細野晴臣プロデュースのアルバム「ビデオ・ゲーム・ミュージック」にて、『ゼビウス』などのゲームミュージックが初めてレコードとしてリリース。翌年にはアルファレコード内に、ゲームミュージック専門のレーベル・G.M.O.レコードが発足。今までゲームをプレイしている時だけしか聴けなかった[注 3]ゲームミュージックを単体の音源として楽しむことが可能になり、ゲームミュージックのサウンドトラック市場が形成され始めた。

1985年には『戦場の狼』を皮切りにFM音源がアーケードゲーム機に取り入れられ、音源チップ演奏における表現の幅が広まった。同年に登場した『コスモポリス ギャリバン』は効果音にオーケストラル・ヒットが業界初に用いられた[1][2][3]

この時期に作曲された『スーパーマリオブラザーズ』における一連のBGM、『ドラゴンクエスト』のテーマ曲およびBGMなどはゲーム外の場面で使用されることもあり、ゲームを全くやらない人にも一定の知名度を持っている。
1980年代後半・1990年代前半

この時期は、技術の発展に伴って様々な音声処理系が登場した時期であり、その中心となったのは正弦波を基に乗算を含めた複雑な演算で波形を合成するFM音源や、任意の波形を使用できるパルス符号変調(PCM)であった。このFM音源は1984年から1985年にかけてNECの8ビットパソコン(SRシリーズ)で採用され、家庭用ゲーム機ではセガ・マスターシステムで初めて標準搭載された(セガ・マークIIIでも別売りのFMサウンドユニットを装備することでFM音源を鳴らす事が出来た)。PCMはファミリーコンピュータにも搭載されていた例があるように1980年代前半にも見られたものであるが、記憶容量・処理速度的に本格的な実用段階に達したのがこの時代である。同時発音数も増加し、10音を越えるものも珍しくなくなった。こうした高性能な音源によって、音の自由度が格段に増し、ピアノやトランペット等実際の楽器に近い音を出すことも可能になった。とは言え、当時はまだ発展途上の部分も多く、そのためこれら新音源と従来のPSGの組み合わせで各々の弱点をカバーし合う処理系なども多く見られた。

家庭用ゲーム機やパソコンでは、ディスクメディアを採用した一部のゲームにおいてCD-DAトラックとして音楽を収録する手法(ミックスモードCD[注 4]も用いられた。かつてゲームセンターのLDゲーム機で行われた表現手法が一般家庭でも手軽に楽しめるようになった。

この頃の楽曲の特徴としては、音声処理系の向上によって得られた新しい音色やアンサンブル方法に主眼が置かれていることが多いという点が挙げられる。いかにサウンドを豪華にしようとしても限界があった1980年代前半とも、誰でも簡単に高音質を手に入れられる現在とも異なり、この時期は音源性能やサウンドプログラマの技量が大いにサウンドの質に反映され得る状況にあり、そのためサウンドにこだわりのある制作者達がより高品質なミックスを目指してしのぎを削っていったのである。その結果、1980年代前半と大差ないサウンドのゲームもあった一方で、優れたサウンドプログラミングによってオーケストラに迫る様な曲も作り出された。例えば古代祐三は『イース』の頃よりFM音源を駆使しその性能を余すことなく使ったBGMを作成した。また後年古代によるスーパーファミコンで発売された『アクトレイザー』は生のオーケストラを髣髴とさせる高品質なもので、その当時の水準とは比べものにならないレベルの高さに『ファイナルファンタジーIV』の開発スタッフは衝撃を受けたという[4]

その音源構成はゲームセンターで聴き取れる音にも大きく変化を与える。FM音源は金属的な音を発音可能だが多用すると曲全体の中域が薄くなる。またPCMで人声を発音させる使い方も増え、「人声を目立たせBGMは脇役に回る」音響手法がカプコンストリートファイターII』の大ヒット以降対戦格闘ゲームを中心に多用され、それとともに業務用ゲームでのBGMの多くは影が薄れていった。しかしそのような状況の中でもFM・PCM音源を用いてメロディーを聴かせる既存の手法で作った曲も少なからず存在した(ナムコ『ワルキューレの伝説』『コズモギャングス』シリーズ他、タイトー『ダライアス』『ガンフロンティア』各シリーズ他など)。

制作体勢も細分化され始め、PCMを中心に用いる楽曲制作現場においては、音素材データと曲(譜面)データが独立してきたために、作曲家とは別に音素材を担当する役職も登場した。「サウンドエンジニア」などと呼ばれる。この役職は作曲家に代わりハード上で鳴る音素材の作成を行う。作曲者がゲームハード外の環境(シンセサイザなど)で作成した音素材をもとにする場合と、エンジニアがあらかじめ音素材を用意しておく場合がある。サウンドプログラマがこの役割をかねている場合もある。

また、冒頭やエンディングにおいてビデオクリップと共に歌曲主題歌・ゲームソング)をゲームミュージックとして挿入する演出が取り入れられ始めたのもこの頃である。世界で初めてロムカセットよりも大容量のメディアであるCD-ROMゲームソフトとして流通したCD-ROM2ローンチタイトルである『No・Ri・Ko』(小川範子タレントゲーム)が既存曲ながら初めての事例で、その次作の『鏡の国のレジェンド』(酒井法子タレントゲーム)も既存曲だった。『コズミック・ファンタジー 冒険少年ユウ』が初めてゲームソングとして制作された歌曲をゲーム内に採り入れ、『銀河お嬢様伝説ユナシリーズ』、『コブラ2 伝説の男』、『ときめきメモリアル』や、メガCDの『ゆみみみっくす』、『ソニック・ザ・ヘッジホッグCD』、『LUNAR ザ・シルバースター』、『LUNAR ETERNAL BLUE』、『ヘブンリーシンフォニー』などは特にその主題歌も多くのファンに受け入れられた。ロムカセットのゲーム機であるスーパーファミコンでも、『テイルズ オブ ファンタジア』が初めてロムカセット内の歌曲収録を実現した。特に『サクラ大戦シリーズ』(セガレッド・エンタテインメント)の「檄!帝国華撃団」や、『ファイナルファンタジーVIII』(スクウェア)の「Eyes On Me」は、シングルCDが大ヒットを記録したゲームソングである。

なおサウンドトラックにおいては、ゲーム基板から直接曲を収録したオリジナルバージョンの他、曲を他の楽器などで再構成する「アレンジバージョン」が同時に収録されるようになる。初期はMIDI音源を用いた、デスクトップミュージック(DTM)に類するものが多かったが、ギターなどの生楽器の導入を経て、各メーカーがアレンジ専門のバンドを有するまでに至る。1990年に入ると、ゲームミュージックフェスティバルというライブイベントが毎年開催され、最盛期には日本青年館2DAYSで6組のバンド・ユニットがライブを繰り広げた。

1988年の『第30回日本レコード大賞』で、『交響組曲「ドラゴンクエスト」 I II III』が「特別企画賞」を受賞[5]。1990年3月26日付[6]オリコンチャートで、『交響組曲「ドラゴンクエストIV」導かれし者たち』が、ゲーム関連のアルバムとして初めてオリコン週間チャート1位を獲得した[7]
1990年代後半・2000年代

セガサターンプレイステーションの頃から、ディスクメディアが主流になっていった(但し、NINTENDO64はディスクメディアを使用せず、ロムカセットを使用)。


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