南部のスエービーの主力部分はボヘミアへ移住し、6世紀頃までにマルコマンネン人が住んでいたドイツ南東部からオーストリアに移住し、バイエルンと呼ばれた[4]。
ユトランド半島にいたキンブリーとテウトニーは紀元前100年頃にイタリアへ侵攻したが、ローマ軍に撃退された[4]。また、彼らはケルト系のボイイー地域へ移住した[4]。キンブリーとテウトニーの後裔にはアトゥアートゥキーがいる[4]。
このほか、ハルーデース、マルコマンニー、トゥリボキー、ウァンギオネース、ネメーテースなどがいた[4]。
紀元100年頃にはインガエウォネース、イスタエウォネース、ヘルミノネースの3つの種族に分かれていた[4]。
インガエウォネース:北海沿岸。アングル、サクソン、フリージアンをふくむ。
イスタエウォネース:エルベ川流域。
ヘルミノネース:その他。
タキトゥスの時代から大移動までの300年の間連続性を保っていた部族は、
ワンディリイー(ヴァンダル)
フリースィイー(フリージアン)
スエービー
ランゴバルディー(ランゴバルド)
アングリイー(アングル)
エウドセース(ジュート)
マルコマンニー(マルコマンネン)
クァディー
ゴトーネース(ゴート)
ルギイー
スイーオネース(スウェーデン)
などである[4]。
ゲルマン諸部族については『ベーオウルフ』『ウィードスィース』にも記録がある[4]。 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
歴史
先史時代
出典検索?: "ゲルマン人"
Y染色体ハプログループI1aの分布図。北欧、イギリス、バルト海沿岸部に広がっており、西欧では北部ドイツやフランスの大西洋沿岸部より南にはあまり存在しない。
ゲルマン人は血統的には非印欧語系スカンディナヴィア原住民、球状アンフォラ文化の担い手など様々な混血である。ゲルマン語をもたらした集団の源流はヤムナ文化より分化し、バルカン半島、中央ヨーロッパを経由し、スカンディナヴィア半島南部にやってきた集団(ケルト語やイタリック語の担い手と近縁)という説、戦斧文化の担い手でありバルト・スラブ語派に近縁という説、あるいはその混合であるとの説[6]がある。ゲルマン語の成立に非印欧語系の基層言語を認める説(ゲルマン語基層言語説)もある[7]ことから、多かれ少なかれ、非印欧語の担い手との混淆はあったと考えられる。ゲルマン人は紀元前750年ごろから移動を始め、紀元前5世紀頃にゲルマン祖語が成立、その語西ゲルマン語群、東ゲルマン語群、北ゲルマン語群に分化した。 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
ゲルマン民族の大移動
出典検索?: "ゲルマン人"
「民族移動時代」も参照ゲルマン民族の大移動の推移;紀元前750年-1年[8]:
赤:移動前 紀元前750年
橙:紀元前500年
黄:紀元前250年
緑:1年
375年、フン族に押されてゲルマン人の一派であるゴート族が南下し、ローマ帝国領を脅かしたことが大移動の始まりとされる。