原始ゲルマン人は現在のデンマーク人やスウェーデン人、ノルウェー人、アイスランド人、アングロ・サクソン人、オランダ人、ドイツ人、イングランド人、スコットランド人などの祖先となった[3]。アングロ・サクソン人になったゲルマン人系部族にはアングル人、サクソン人、ジュート人、フリース人がいた[4]。
またゲルマン人の一派であるノルマン人はイングランド、アイルランド、北アメリカ、ロシア北部、エストニアにも移住し、リムリックやダブリン、ノヴゴロドといった主要都市に拠点を築いた。 ゲルマンという語が文献上最初にあらわれるのは前80年ころギリシアの歴史家ポセイドニオスの記録であり、前2世紀末におけるゲルマンの小部族キンブリ族Cimbriとテウトニ族Teutoniのガリア侵寇について書かれた[5]。なお、紀元前4世紀末にマッシリアのギリシア人航海者ピュテアスがノルウェーやユトランド半島の民族について書いているが、ゲルマンという呼称は使われていない[5]。 ゲルマン人の記録として重要なのは、カエサルの紀元前50年頃の『ガリア戦記』やタキトゥスの紀元100年頃の『ゲルマニア』である[4]。これらによれば、 原住地
初出
ゲルマン人の社会と政治
ゲルマン人は定着農耕と牧畜を営んでいた[3]。
階層的には自由人、半自由人、奴隷に分かれ、自由人の上層部は政治的特権と豪族層を形成した[3]。彼らはローマ人達がキーウィタースと見做した政治単位に分かれ、それはさらにパーグス(村落共同体
原住地
紀元前1000年紀中葉ないし紀元前3世紀までには西はオランダからライン川下流域、東はヴィスワ川流域、ドナウ川北岸、ドニエプル川下流域まで広がり、北ゲルマン、西ゲルマン、東ゲルマンの3つのグループを形成した[3]。