実生活ではザルツブルクやインスブルックで薬剤師や役所の職員などいくつかの職を転々とするが、いずれも長続きしなかった。
市民生活への復帰が絶望的になったのと同時に、嫁いで間もない最愛の妹マルガレーテが死産して彼女自身も危篤状態に陥ったとの報を受ける(さいわい一命は取り留める)。
第一次世界大戦、そして自殺ザルツブルクのミラベル公園にあるトラークルの詩碑。『詩集』から「ミラベル庭園の音楽」が引かれている
どこにも救いのない現実から逃れるため第一次世界大戦の開始と同時に志願して再入隊、ガリツィア(今日のウクライナとポーランドの一部)で薬剤士官候補(衛生兵見習い)として従軍する。
そこでロシア軍との戦闘により負傷した100人近い兵士を薬もないまま看護する任務につくが、室内では重傷を負い苦悶の呻き声を上げる血まみれの友軍兵士、室外ではスパイ容疑で絞首刑となって木々に吊るされた敵軍兵士、といった惨状を直視できずにピストルによる自殺未遂をおこす。
幸か不幸か同僚に助けられて一命をとりとめるが、拘束されてクラクフの精神病棟へ強制入院させられ鬱病が悪化、助けを求める手紙をフィッカーに書き送る。この手紙の中で「一言でいいから便りがほしい」というトラークルの気落ちした言葉を見て、フィッカーは自分が送っていたはずの手紙が前線へは届いていないということを知り、あわててトラークルを励ましにクラクフへ向かう。
精神病棟で憔悴するトラークルの危機を見て取ったフィッカーは、ウィトゲンシュタイン(偶然にも当時トラークルと同じクラクフ地方にやはり志願入隊していた)にトラークルを励ましてやってはくれまいかと手紙で頼むが、不運なことにウィトゲンシュタインはそのとき別の任務でクラクフを離れていた。
帰着後、トラークル本人からも「ぜひお会いしたい」という手紙を受け取ったウィトゲンシュタインは、自身も孤独と憂鬱に悩まされていたこともあり、あの天才詩人と親しく話せる仲になれればなんと幸せなことかと喜び勇んで病院へ見舞いに向かったが、到着したのはトラークルがコカインの過剰摂取により自殺した3日後のことであった。 表現主義の詩人であるトラークルだが、色彩語の独特の配剤には若いころに洗礼を受けた象徴主義、とりわけランボーの影響が見られる。 トラークルを高く評価し、その作品を愛した思想家・芸術家にはマルティン・ハイデッガー、ライナー・マリア・リルケらがいる。アントン・ヴェーベルンは彼の詩による歌曲を残している(作品13-4、『トラークルの詩による6つの歌曲』作品14)。 トラークルと同様に母からピアノの手ほどきを受け、ピアニストとしての道を歩み始めていた妹のマルガレーテ(愛称グレーテ)もまた、1917年に突然のピストル自殺を遂げている。トラークルの詩作の中に唯一限りない(そして罪の意識に彩られた)愛情の対象として登場し、この妹とトラークルの近親相姦が疑われるが、二人の死後この兄妹間の書簡などは家族が処分したため、明白な証拠は残されていない。
備考
日本語訳された作品集など
『ゲオルク・トラークル詩集 対訳』ノルベルト・ホルムート、栗崎了・滝田夏樹訳注 同学社
『トラークル詩集』平井俊夫訳 筑摩叢書 1967年、新版1985年
『原初への旅立ち 詩集』畑健彦訳 国文社 1968年 ピポー叢書
『トラークル詩集』吉村博次訳 弥生書房 1968年 世界の詩
『世界詩人全集 第22』トラークル(高本研一訳)新潮社 1969年
『ドイツ表現主義 1 (表現主義の詩)』(トラークル、内藤道雄訳) 、河出書房新社 1971年
『トラークル全詩集』中村朝子訳 青土社 1983年
『トラークル全集』中村朝子訳 青土社 1987年、新版1997年、2015年
『トラークル詩集』滝田夏樹編訳 小沢書店 1994年 双書・20世紀の詩人
リューディガー・ゲルナー『ゲオルク・トラークル 生の断崖を歩んだ詩人』中村朝子訳、青土社、2017年
他 ⇒ゲオルク・トラークルと表現主義 (未完成URL)
外部リンク
⇒Red Yucca ? German Poetry in Translation (trans. Eric Plattner)
⇒Translation of Trakl Poem
⇒Translations of Trakl on PoemHunter ? PDF[リンク切れ]
Twenty Poems, trans. by James Wright and Robert Bly ? PDF file of a 1961 translation, listed in Bibliography
⇒The Complete Writings of Georg Trakl in English ? translations by Wersch and Jim Doss