ゲイ・タウンとは、同性愛者が集まる地域、ゲイを対象としたショップやゲイバーなどが多い所、または多くのゲイやレズビアンが住んでいる地域のことである。 日本では、東京・新宿二丁目と大阪・堂山町、名古屋・池田公園が3大ゲイ・タウンとして知られている[1]。東京の新宿二丁目以外のゲイ・タウンは上野・浅草が比較的大きく、歴史も古い。新橋も近年は急速にゲイバーが増えている(後述)。池袋や渋谷などその他のエリアにはゲイバーなどがいくらかあるが、それほど多く集まっているわけではなく、ゲイ・タウンではなくゲイ・スポットと呼んだほうが実態に近い。 大阪はキタ(堂山)だけではなく、ミナミ(旧・新歌舞伎座の裏=難波4丁目)と新世界の3つがゲイ・タウンとして知られている[2]。そのほか名古屋(池田公園・女子大小路/伏見駅・納屋橋)、博多(住吉/春吉)・小倉(紺屋町)、札幌(すすきの南西)、広島(流川)、那覇(桜坂)などにも比較的多くのゲイバーがあり、ゲイタウンの規模は都市の人口に概ね比例している。日本においてゲイ・タウンは大きなターミナル駅の駅前や中心街から、一定程度離れた場所にできていることが多い。 世界のゲイ・タウンにはゲイのシンボルである「レインボー・フラッグ」を掲揚し、街を盛り上げようとしている所もある。新宿二丁目でも2000年から「レインボー祭り」が開催されている。 近年、新宿2丁目などのゲイ・タウンには異性愛女性客や一般向けチェーン店が急増し、ゲイの居場所が奪われつつある。そこに2008年の地下鉄副都心線新宿三丁目駅開設に伴う土地バブルが追い打ちをかけ、街には再開発の波が押し寄せ、撤退に追い込まれるゲイバーが続出。ゲイ・タウン2丁目の存続を危ぶむ声が上がり始めている[3]。一方で豪州ではゲイバーへの女性客の入店を合法的に制限することが認められた。その理由は異性愛女性がゲイを捕食し、ヘテロにしようとして不安におとしいれるからというものだった[4]。 江戸時代中期(元禄年間)頃には少年たちが男色を売る陰間茶屋(上方では若衆茶屋)といわれる、今でいう売り専バーに近い形態のゲイバーがあり、遊女ならぬ色若衆と呼ばれる少年たちも現れた[2]。少年を置いた遊廓は京、大坂、江戸に多数あり、江戸では芝居小屋が多かった日本橋の葭町(現日本橋人形町1-3丁目)、堺町・葺屋町(現日本橋人形町3丁目)、今の上野に近い湯島天神門前町、芝神明門前(現港区芝大神宮)などに陰間茶屋が集中した[5]。
日本のゲイ・タウン
概略
歴史「衆道」も参照