ケント州
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ケント人はノルマン人に対し抵抗を続け、1067年にケントを半自治のパラタイン伯領とする決定を引き出した。

中世にはワット・タイラーの乱と後年1450年ジャック・ケイドの乱が起きた。トマス・ワイアットメアリ1世に対して反乱を起こし、1553年にケントからロンドンに攻め入った。カンタベリーはトマス・ベケットの殉教後は大巡礼地になった。カンタベリーの宗教上の役割は、英語の書き言葉の発展の鍵となり表面上はケントの田舎で使われるチョーサーの『カンタベリー物語』を世に知らしめることになった。

17世紀までにイギリスとオランダフランスといった大陸列強との緊張が、ケントの軍備増強につながっていった。1667年オランダ海軍がメドウェイの造船所を奇襲してからは海岸沿いのあらゆる場所に砦を築いた。

第二次世界大戦ではケントの空軍基地が、民間施設が度々爆撃された英独航空戦で極めて重要な役割を担った。
地理
自然地理

ケントはイングランド最東端の州である。北はテムズ川北海で、南はドーヴァー海峡(カレー海峡)イギリス海峡(ラマンシュ海峡)で隔てられている。ヨーロッパ大陸はドーヴァー海峡を渡って約21マイルの距離である。西から東に走る分水嶺の列が主な特徴となっている。分水嶺は1000万年から2000万年前のアルプス造山運動による隆起でできたウィールデンドームの名残である。

侵食によりこうした分水嶺と谷が形成されている。北からテムズ川とメドウェイ河口沿いとケント北部の海岸沿いの沼地、約600フィートの高さの白亜質のノース・ダウンズ、メドウェイ川とその支流の砂岩と粘土層の渓谷、グリーンサンド分水嶺、粘土層のウィールド渓谷、砂岩のハイウィールドがある。

最高地点は251メートル(823フィート)のベトソン丘陵(GR TQ435563)である。

ケントで恐らく最も象徴的な地形は、ドーヴァーの白い崖である。ノース・ダウンズがここで海に達している。ここからウェスター村にかけて現在ケントで自然の景観が美しいとされる地域になっている。

ウィールドはゲルマン語で単に森林地帯を意味するWaldから来ている。この地域の多くは、今日でも森林が密集していて、長い時間をかけて通行不能な大量の泥が堆積している。

ケントの主要な川メドウェイ川は、イーデンブリッジ村近郊を流れ、北に流れが変わるメイドストーン近郊までの約25マイル(40km)を東に流れている。ここでシアネス近郊で最後の支流とテムズ川が合流する手前でロチェスターのノース・ダウンズに流れ込んでいる。この川はアリントン水門まで潮の満ち引きがあるが、かつては運搬船が上流のトンブリッジまで行っていた。他にも川はある。
産業

中世にはウィールドは2つの産業(製鉄と服地)の全国的な要所であった。

ケントは農業が盛んで広大な果樹園とホップ園があるためにイングランドの庭として知られてもいる。乾燥窯と呼ばれる特徴的なホップを乾燥する建物は、農村では良く見られるものの、多くは住宅に改築されている。ロンドン近辺は市場向けの農園が沢山ある。

近年は製紙業とセメント石炭の3つが重要な産業になっている。

製紙業は紙を作るのに見合った水が必要で、ケントでは最初はメドウェイ川の支流のデアレント川とスタウアー川に作られた。18世紀に作られた2つの工場は、レン川とルース川のトヴィルに作られた。19世紀後半には巨大な近代的工場がテムズ川のダードフォードとノースフリート、スウェール川のケムスレーにあった。

セメント業は大規模な建造物が造られた19世紀に隆盛を迎えた。石灰を採掘したストーンとグレーヴセンドがこの産業隆盛の証である。メドウェイ川河口近くのバーハムに他の産業も栄えた。

石炭はケント東部に鉱山があり、1900余りの坑道が掘られ、スノーダウン炭鉱は1908年に創業した。現在は閉鎖されている。

政治カンタベリーは東ケントにある。
Man of KentかKentish Manか

ケントは古くからメドウェイ川により西ケントと東ケントに分かれている。この東西の分裂は、メドウェイ川の東の住民をMen of Kentと呼び、西の住民はKentish Menとして知られていることにも表れている。

しかし、更に調べてみると、分岐点はメドウェイではなく、その東のジリンガムにある。エドワード・ヘーステッドは1798年のレインハムの記述で書いている。「この教区のすべては、ケント西部そのものである西に向かって隣接するここジリンガム教区に始まるケント東部との境になっている。」

歴史家でジリンガム前市長フレディー・クーパーによると、この分断は抵抗はあったもののミルトン田園区からジリンガムに移る1929年4月1日まであった。

宗教上はケントはカンタベリーとロチェスターの2教区に分かれている。
Lathes

Latheはケントの古代行政区分のことで、大抵はジュート族に支配された時代に起源があると見られている。こうした古代の区分は現存するが、行政上の意味はなくなっている。ケントにはlatheがエイルスフォード、ミルトン、サットン、ボロー、イーストリー、リムニー、ワイの7つある。


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