ケレイト
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^ 村上 1972,p31
^ 志茂 2013,p870-873
^ 村上 1970,p157,282-285
^ 佐口 1968,p44-47
^ 佐口 1968,p47-51
^ 佐口 1968,p52-72
^ 志茂 2013,p867
^ 宮脇 2002,p138
^ これについてアブル・ファラジュの『東方教会史』に「ネストリウス派の総大主教ジャン(ヨハネ)は、ホラーサーンのマルヴ(メルヴ)の首都大主教エベド・イシューから、次のような文面の書簡を受けた。《東北方、トルキー(モンゴリアを指す)の内地に住むシェリト(ケレイト)という民族の王がある日、雪に覆われていた自国のある山へ猟に出て道に迷った。彼は助かる望みを全く失ったが、その時、一人の聖者が彼の前に現れ、こう言った。もし汝がイエス・クリストを信ずることを願うならば、私は汝をこの危険から救い出し、汝に路に示してやろうと。王はキリストの群羊の一つとなることを彼に約した。その時、聖者は道案内をつとめ、王をよい路へ連れて行った。自分の幕営へ帰った後、この王は自分の国に滞在していたキリスト教徒商人にその宗教の教義のことを質問した。王は洗礼を受けなければキリスト教徒になれないということを彼らから知った。しかし、彼は一冊の福音書を貰って、毎日それに礼拝した。王は私を招いて洗礼を施してくれるか、あるいは洗礼をしてくれる聖職者を派遣するよう希望している。彼は私に斎戒のことについて、我々の食物は肉と乳しかないので、我々はどうして斎戒を守るのであろうかと質問した。彼は、20万の人々が自分の手本に従う用意があると付け加えて言った。総大主教は首都大主教に対し、改宗を希望する全ての人を洗礼するための聖瓶を携えた2人の聖職者と助祭をその王の所へ派遣し、彼らにキリスト教の儀礼を教えるよう、手紙で返答した。また、この聖職者たちは、彼らに肉断ちの期間は肉を禁止すべきであるが、その国では大斎節のための食物がまったくないと言っているから、乳を飲むことを許してよいと答えた。》」とある。アブル・ファラジュはこの事実を回暦398年(1007年)のことと伝えている。シリアの著作家マリも総大主教ヨセフ伝の中で同じ事実を伝えている。J.S.Assemani,《Bibliotheca Orientalis》(ローマ、1719年)第3巻484頁≪佐口 1968,p43≫
^ 佐口 1968,p42-47
^ 村上 1972,p33-35
^ 志茂 2013,p868
^ 村上 1972,p125
^ 村上 1972,p221
^ 村上正二「モンゴル帝國成立以前における遊牧民諸部族について : ラシィード・ウッ・ディーンの「部族篇」をめぐって」『東洋史研究』第23巻第4号、東洋史研究會、1965年3月、478-507頁、.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}CRID 1390290699810644096、doi:10.14989/152678、hdl:2433/152678、ISSN 0386-9059。 

参考文献

訳注:村上正二
『モンゴル秘史1 チンギス・カン物語』(平凡社1970年ISBN 4582801633

訳注:村上正二『モンゴル秘史2 チンギス・カン物語』(平凡社、1972年ISBN 4582802095

宮脇淳子『モンゴルの歴史 遊牧民の誕生からモンゴル国まで』(刀水書房2002年ISBN 4887082444

ドーソン(訳注:佐口透)『モンゴル帝国史1』(1989年平凡社ISBN 4582801102

島田正郎『契丹国 遊牧の民キタイの王朝』(東方書店、1993年、ISBN9784497214195)

志茂碩敏『モンゴル帝国史研究 正篇』(東京大学出版会、2013年、ISBN 9784130210775

関連項目

イルカ・セングン

オイラト

タタル部

ジャライル

ナイマン

メルキト

モンゴル帝国

チンギス・カン










モンゴル帝国の諸部族
原モンゴル部諸氏族

ニルン


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