ケネディ大統領暗殺事件
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後年の書籍の中には、「ただし、これは発射された弾の破片ではなく、弾が近くの橋の支柱に当り、その支柱のコンクリートの破片が飛んできたものであった[36][注釈 19]。」と記載があるが間違いである。ウォーレン委員会報告書によれば、頬に当たったのは、道路わきのコンクリートでできた縁石の破片である。当時のニュース映像[37]や2013年のインタビュー[38]などでも確認できる。彼はすぐに地元警察に報告し、午後12時40分頃に無線で連絡した内容が記録され、FBIの専門家がメイン通りの南縁石のマークを科学的に金属分析調査したと、ウォーレン委員会報告書に記載がある[39]。スペクトル分析の結果、縁石の跡は弾丸の鉛芯に由来する可能性があるが、銅がないことから、一度別の場所に当たった破片が飛んできて縁石に当たったと考えられる。
狙撃の目撃者メアリー・モーマンが撮影した画像

ディーリープラザでの目撃者で、直接ライフル銃を構えて撃っている姿を見た人として、ハワード・ブレナン[40][注釈 20] がいる。彼はちょうどヒューストン通りからエルム通りに入る角の壁の上に腰掛けていたが、1発目の音はオートバイのものだと思い、2発目の音は花火のような音に聞こえて上を見上げた時に、教科書倉庫ビルの6階窓から「ある種の高性能ライフル」を構え「左の窓の下枠に体をあずけ、銃を右肩にあてて、左手で銃を支えながら、最後の1弾を発射しました」とウォーレン委員会に証言している。彼の場所から教科書倉庫ビル6階までは直線でわずか35メートルの距離であった。彼はその直後に警察官に通報して、警官が教科書倉庫ビルに入ると同時に、ブレナンが見たライフルで撃った男の人相や風体が警察無線で市内のパトカーに伝わった[41][42][注釈 21]

またこの教科書倉庫ビルでオズワルドの同僚3人[43][44]が5階の窓際でパレードを見ていた時に、上の階から3発の発砲音とライフルのボルト(遊底)が引かれ、また押し込まれる音を聞き、また空薬莢が床に落ちる音も聞いている。翌年ウォーレン委員会が直接現場で実験したところ上の階でのライフル銃の操作の音も薬莢が床にゴツンと落ちる音も驚くほど聞こえることが分かった[45]

大統領が撃たれた所から前方にある草の生えた丘の上(グラシー・ノール、grassy knoll)から発砲があったとする複数の証言がある。ジーン・ヒル[46](Jean Hill)はグラシー・ノールから銃声がしたとウォーレン委員会において証言し、後に男が銃撃したと述べている。しかし、横で一緒に車列を見ていたメアリー・モーマンは事件直後の保安官事務所のプレスルームでの聞き取り時に彼女が丘からの銃撃を目撃したことに全く言及していなかった、と証言している[47]。また狙撃時にパレードの前方にあったトリプル・アンダーパスの陸橋にいたサム・ホランド[48][注釈 22](Sam Holland)は「アーケードの背後(behind the arcade)の木立からタバコのような煙かスチームが上がった」と証言し、同じ場所にいたオースティン・ミラー(Austin Miller)も煙かスチームを見たと証言した。彼らはすぐに柵の裏側を見に行ったが誰もいなかった。トリプル・アンダーパスの陸橋にいた他13名は、ヒューストン通りとエルム通りの交差点方向か、教科書倉庫西側から銃撃音が聞こえたと証言している。この他にダラス市警の制服警官ジョー・スミス(Joe Marshall Smith)はグラシー・ノールでシークレットサービス(当日は配置されていなかった)を名乗る私服の男を見たと証言した[要出典]。ウォーレン委員会では、この場所で結局物的証拠が全く見つからず、また当時この場所で数人の見物人が立っているので誰にも見つからずにライフル銃を発射できたとは想像できないとして重要視しなかった[注釈 23][注釈 24]

メアリー・モーマン[49][50][注釈 25] は、頭部に致命傷を受けた直後(約0.17秒後)の大統領と背後のグラシー・ノールをポラロイド写真機[51] で撮影した[注釈 26]。その際、暗殺犯(バッジマン)とその発砲の瞬間[注釈 27]が撮影されたとする説がある。研究家ゲーリー・マック(Gary Mack)は「モーマン写真」を拡大すると「フードをかぶり、緑色のグローブを着用した人物と煙かマズルフラッシュ(発射炎)のような像」が確認できることを発見した。この説は1988年にEngland's Central Independent Televisionが製作したTVドキュメンタリー「The Men Who Killed Kennedy」でも紹介されたが、この像は人間ではないとする説もある[注釈 28]。またゴードン・アーノルド[52] の証言[注釈 29] やロスコー・ホワイト[注釈 30] と結びつける主張もある[注釈 31]。いずれにせよこの射撃について分かっていることが少なく、訓練された兵隊でも難しい射撃であることは間違いないだろう。

モーマン写真のバッジマンについてもデール・K・マイヤーズ氏によるCG分析が行われており、バッジマンの位置からザプルーダーフィルム番号313のケネディ大統領の頭は、コンクリートの壁によって遮られており、ケネディの頭に命中するような銃弾を発射することはできなかったと結論づけている[53]。バッジマンを含めそれ以外の二人とされる姿についても、3人の人物は平均的な身長だとすると、フェンスのかなり後ろに位置しなくてはならず、さらにはしごの上に登らなければならないので、見当違いの説であると結論づけている[54]
ティピット巡査の死とオズワルドの逮捕リー・ハーヴェイ・オズワルド(ダラス市警察でのマグショット

ダラス市警察とFBIは現場で、付近のビルを直ちに出入口を閉鎖して不審尋問を始めた。銃声がした方角からテキサス州立公立学校教科書倉庫ビルに第一の容疑がかかり、数人の警官がすぐにビル内に捜索に入った。ダラス市警察のマーチン・ベーカー巡査[55]はオートバイで伴走中に狙撃されるとすぐにオートバイを止めてビル内に入り、2階の従業員食堂で約6mほど離れたところにいた男が反対側に歩いていくのを見つけた。この時、男は手ぶらだった。ベーカー巡査は銃を手に男にこちらへ来るよう指示し、先に上階へ行ってしまったビルの支配人[注釈 32] が戻ってきたので、尋ねると「この男はうちの従業員です。」と支配人は答えた[注釈 33]。(支配人は「リー・ハーヴェイ・オズワルドです」とは答えていないのでこのような記載は間違いである。)

警官はそのまま上の階に上がっていった。警官たちは、まさかテキサス教科書倉庫ビルの従業員が犯人であるとは思わなかった。当然外部から入り込んだ人間の犯行という考えがあった。この時狙撃からほぼ3分が経過していた。そして6階の部屋(段ボール箱が山積みされた倉庫)からライフル銃1丁と弾丸の薬莢3個を発見[注釈 34] して、また、窓の手前に段ボール箱を積んでその上にライフル銃を安定させた跡があった[56]

すぐに従業員の点検が行われて、1人だけ姿が消えていることが判明した。つい先ほど食堂にいたリー・ハーヴェイ・オズワルドが何故か居なくなっていた。オズワルドのその後の足どりは、12時33分に警官が居たビルの出入口をすり抜けて、歩いて近くのバス停に行き、12時40分にバス[57]に乗ったが大統領暗殺事件の混乱でバスが進まず、12時44分にすぐに降りて12時48分にタクシー[58]に乗り、下宿先の自宅に帰ったのが13時頃で、下宿の管理人ロバーツ夫人[59][注釈 35] はオズワルドが息を切らして帰ってきたことを見ている。ここからすぐに上着を着て再び出ていき、13時30分頃にテキサス劇場という映画館に入っている[60]


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