ケネディ大統領暗殺事件
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車列の後方の車に乗車した各メディアの記者やカメラマン[注釈 14] を除いて、ほとんどの報道機関はトレードセンターでケネディの到着を待っていた。

しかしながら、ディーリー・プラザでの暗殺現場はサイレントの 8mmフィルムに26.6秒間記録されていた。アマチュアカメラマンのエイブラハム・ザプルーダーが撮った物である為、後にザプルーダー・フィルムの別名で呼ばれるようになった[注釈 15]

FBIはザプルーダーが使っていた8ミリカメラが毎秒18.3コマで動いていたことから、暗殺時の大統領のリムジンの速度は時速11.2マイル[28](18キロ)であったと推測した。そしてザプルーダーフィルム全486コマから各コマに番号を確定して、大統領が頭部に致命傷を負った弾を被弾したコマを番号313[注釈 16] と指定した。そして大統領が1発目の銃弾を受けたのが番号210から224の間と確定した。1発目は道路標識に遮られて、被弾した瞬間の大統領の様子は写っていない。大統領の顔が再び写っていたのは番号225で明らかに撃たれている様子であったため、それ以前に撃たれたと見られている。そしてコナリー知事が被弾した反応を示したのは番号240であることが分かった[29]。被弾した反応であって被弾から反応までタイムラグが生じる。被弾した際、後ろから殴られたような衝撃を感じたが、病院に着くまで痛みは一切感じていなかったとコナリー知事はウォーレン委員会で証言している。

これは事件直後にFBIが3発撃ち込まれて、1発目が大統領へ、2発目が知事へ、3発目が再び大統領へ当たったという報告と矛盾することとなった。オズワルドが撃ったとされるライフル銃[注釈 17] で連射した場合、「好機をとらえた二発の命中弾」の最低限の時間は2.3秒でザプルーダーフィルムで42コマが必要であった[30]。ここに当初考えられた単独の狙撃犯ではなく、別に狙撃犯がいたのではと考えられることとなった。だが、車内から見つかった銃弾は2発分しかなく、FBIの報告は誤りであると結論づけられた。

暗殺を現場で目撃し記録した者は、ザプルーダーだけではなかった。いずれも、ザプルーダーのフィルムに比べて遠くからではあるが、狙撃の瞬間をフィルムに撮影した者は他に3人いることが知られている[31]。その他にも、暗殺時刻あたりで現場やその周辺をフィルム撮影した者は、ディーリー・プラザに多数いたことが知られているほか、暗殺時ケネディの車列が通行していたエルム通りの南側で、身元不明の青い服を着た女性がフィルム撮影を行っていたことが分かっている[注釈 18]。写真(静止画)撮影も多くの人々によって行われている。事件発生時、ディーリー・プラザには32人ものプロ、アマの写真家がいた。その中でプロの写真家は、ジェームス・アルトゲンというダラスのAP通信のジャーナリスト唯一人であった。アルトゲンが撮影した写真は、この暗殺事件を撮影した写真の中でも最も有名なものの一つである。

JFK暗殺事件の専門家として知られているエミー賞受賞者のデール・K・マイヤーズ(Dale K. Myers)氏による、ザプルーダーフィルム等を使用してケネディ暗殺事件を再現したCG分析により、3発の銃弾による二人の反応が番号157、番号223-224、番号313と特定されている[32]。3発の発砲にかかった時間は、少なくとも約8.5秒と算定できるが、これには銃撃音が二人まで届くのにかかった時間とそれを聞いて反応するのにかかる時間は含まれていない。223-224フレームでの二人の位置関係とその後の動きが、テキサス教科書倉庫の6階窓の狙撃手の巣と呼ばれる場所から発射された1発の弾丸が2人を襲ったという説を裏付けている[33]。グラッシーノールから発射された弾丸が大統領の頭蓋骨の右前を直撃し、右後方から出たという仮説は無効であると結論づけている[34]。すべてのフィルム映像を分析することで下院暗殺特別委員会における4発の銃声音とされるものの存在を否定している[35]
沿道の負傷者

暗殺を目撃した市民の1人であるジェームズ・ターグ(James Tague)は、ケネディが銃撃された位置から前方およそ80メートルの地点に立っていたが、発射弾の破片によると思われる傷を右の頬に受けた。後年の書籍の中には、「ただし、これは発射された弾の破片ではなく、弾が近くの橋の支柱に当り、その支柱のコンクリートの破片が飛んできたものであった[36][注釈 19]。」と記載があるが間違いである。ウォーレン委員会報告書によれば、頬に当たったのは、道路わきのコンクリートでできた縁石の破片である。当時のニュース映像[37]や2013年のインタビュー[38]などでも確認できる。彼はすぐに地元警察に報告し、午後12時40分頃に無線で連絡した内容が記録され、FBIの専門家がメイン通りの南縁石のマークを科学的に金属分析調査したと、ウォーレン委員会報告書に記載がある[39]。スペクトル分析の結果、縁石の跡は弾丸の鉛芯に由来する可能性があるが、銅がないことから、一度別の場所に当たった破片が飛んできて縁石に当たったと考えられる。
狙撃の目撃者メアリー・モーマンが撮影した画像

ディーリープラザでの目撃者で、直接ライフル銃を構えて撃っている姿を見た人として、ハワード・ブレナン[40][注釈 20] がいる。彼はちょうどヒューストン通りからエルム通りに入る角の壁の上に腰掛けていたが、1発目の音はオートバイのものだと思い、2発目の音は花火のような音に聞こえて上を見上げた時に、教科書倉庫ビルの6階窓から「ある種の高性能ライフル」を構え「左の窓の下枠に体をあずけ、銃を右肩にあてて、左手で銃を支えながら、最後の1弾を発射しました」とウォーレン委員会に証言している。彼の場所から教科書倉庫ビル6階までは直線でわずか35メートルの距離であった。彼はその直後に警察官に通報して、警官が教科書倉庫ビルに入ると同時に、ブレナンが見たライフルで撃った男の人相や風体が警察無線で市内のパトカーに伝わった[41][42][注釈 21]

またこの教科書倉庫ビルでオズワルドの同僚3人[43][44]が5階の窓際でパレードを見ていた時に、上の階から3発の発砲音とライフルのボルト(遊底)が引かれ、また押し込まれる音を聞き、また空薬莢が床に落ちる音も聞いている。翌年ウォーレン委員会が直接現場で実験したところ上の階でのライフル銃の操作の音も薬莢が床にゴツンと落ちる音も驚くほど聞こえることが分かった[45]

大統領が撃たれた所から前方にある草の生えた丘の上(グラシー・ノール、grassy knoll)から発砲があったとする複数の証言がある。ジーン・ヒル[46](Jean Hill)はグラシー・ノールから銃声がしたとウォーレン委員会において証言し、後に男が銃撃したと述べている。しかし、横で一緒に車列を見ていたメアリー・モーマンは事件直後の保安官事務所のプレスルームでの聞き取り時に彼女が丘からの銃撃を目撃したことに全く言及していなかった、と証言している[47]。また狙撃時にパレードの前方にあったトリプル・アンダーパスの陸橋にいたサム・ホランド[48][注釈 22](Sam Holland)は「アーケードの背後(behind the arcade)の木立からタバコのような煙かスチームが上がった」と証言し、同じ場所にいたオースティン・ミラー(Austin Miller)も煙かスチームを見たと証言した。彼らはすぐに柵の裏側を見に行ったが誰もいなかった。トリプル・アンダーパスの陸橋にいた他13名は、ヒューストン通りとエルム通りの交差点方向か、教科書倉庫西側から銃撃音が聞こえたと証言している。この他にダラス市警の制服警官ジョー・スミス(Joe Marshall Smith)はグラシー・ノールでシークレットサービス(当日は配置されていなかった)を名乗る私服の男を見たと証言した[要出典]。ウォーレン委員会では、この場所で結局物的証拠が全く見つからず、また当時この場所で数人の見物人が立っているので誰にも見つからずにライフル銃を発射できたとは想像できないとして重要視しなかった[注釈 23][注釈 24]

メアリー・モーマン[49][50][注釈 25] は、頭部に致命傷を受けた直後(約0.17秒後)の大統領と背後のグラシー・ノールをポラロイド写真機[51] で撮影した[注釈 26]。その際、暗殺犯(バッジマン)とその発砲の瞬間[注釈 27]が撮影されたとする説がある。


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