ケネディ大統領暗殺事件
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背中の上部から喉仏に貫通したと見られているが、この1発だけの被弾であれば致命傷に至らなかったとも言われている[注釈 13]。2発目が大統領の右側頭部を貫き、大統領の頭部はひどく破壊され、これが致命傷になった。狙撃の瞬間をたまたま8mmフィルムで撮影していたエイブラハム・ザプルーダーのいわゆるザプルーダーフィルムの映像(後述)では、被弾した際に大統領の身体が一瞬後方に動いて、その致命的な射撃は前方から行われたようにも見えることから、オズワルド以外の狙撃者の存在について様々な議論を生んだ。

ただし、ザプルーダーフィルムのコマ番号313では血しぶきなどの飛沫は前方に飛び散っているとされている一方、大統領夫妻の乗る車の左後方にバイクで張り付いていた警官は、砕かれた脳の欠片と血しぶきを浴びて横転しそうになったと証言している。
夫人の証言

ジャクリーン夫人は後にウォーレン委員会での証言で「銃撃は2発しかなかったと記憶している」「1発目が当たった時、彼がちょっと訝しげな表情を顔に浮かべていて片手が上がっていた」「2発目で吹き飛ばされた彼の頭蓋骨を押さえようと彼の髪をしっかり押さえて、彼の頭を膝に載せて車内で伏せていた」と述べて、後方に這い出したことは「そのことは全く覚えていない」と説明している[14]
コナリー知事夫妻の証言

コナリー知事および知事夫人は1967年のインタビューにて「すべての銃撃は右後ろから発射された。[15]」と証言している。
ザプルーダーの証言

1967年6月26日テレビのインタビューで「私は弾道の専門家ではありませんが、もし右耳から(グラッシーノールの柵から)発砲があったなら、違う音が聞こえると思います。私は銃声が--方向はわかりませんが--テキサス教科書倉庫から撃ち込まれたのを聞きましたが、どれも同じような音でした。音にまったく違いがないんです。[16]」柵からの銃撃があれば、ほとんど彼の耳元をかすめていったはずだが、彼はグラッシーノールは関係ないということに同意する傾向があった。彼のいた場所と柵とは約6メートルの距離である。彼とその秘書マリリン・シッツマンは、コンクリートの壁の上に立っており、柵の中を見ることができる位置にいた。
マリリン・シッツマンの証言

1966年11月29日インタビューで「銃撃の音についてですが、最初の音は、まるで爆竹のような音でした。2発目の音も1発目と同じように聞こえました。2発の音に違いはありませんでした。もし仮に、2発目の銃弾が1発目と違う場所から発射されたとしたら、たとえば、右側のもっと近い場所から発射されたとしたら、私の耳にはもっと大きく聞こえたはずですし頭の横で鐘が鳴るように感じたと思いますが、そんなことはありませんでした。だって、私は木の柵の間近に立っていたんですよ。本当にすぐ近くでした。でも2発の音に違いはありませんでした。その日の出来事でもう一つ覚えているのは、黒人のカップルのことです。彼らは、だいたい18歳から21歳くらいの若い男女で、ちょうど私の右側で、木の柵のすぐ真ん前あたりにあるベンチに座って昼食をとっていました。彼らはそこで昼食を取っていたのです。食事が入った袋を持っていました。そしてコーラを飲んでいました。なぜ、私がそのことを覚えていたかと言いますと、最後の銃声がした後、車がトリプルアンダーパスのほうに消えました。そのとき、ガラスが割れる音がしたのです。そして、音の方向に目をやると、その黒人の男の子がコーラのボトルを投げ落として、投げ落とすと同時に後ろの方に向かって走り出しました。もちろん、その行為自体は、特におかしな点はありませんでした。なぜなら、皆、その方向に走っていたんですから。それから私の左手にいた丘の人々もそちらに向かって走り出していました。私の考えでは、ザプルーダ氏はあの子達が投げたコーラの瓶が割れる音を聞いたのではないでしょうか?そのとき、彼はビクッと飛び上がりましたが、私は銃声ではないと分かりましたので飛び上がることはありませんでした。でも、ガラス瓶の割れる音は、銃声よりも大きかったんですもの。この木の柵と、コンクリートの壁あるいは、遊歩道のあたりを見ましたが、先ほどの黒人のカップル以外誰もいませんでした。[17][18]」と証言している[19]
アルトゲンの証言

大統領の車の近くで絶好の見晴らしの良い場所にいたAP通信のカメラマン、アルトゲンは「ケネディ大統領が近づいてきて、ほとんどカメラを目の高さまで持ってきたときに、頭を撃たれたんです。ケネディの頭を吹き飛ばした銃弾が後ろからやってきたことはとても明らか(so obvious)だった。というのも、銃弾により彼は前のめりになったからです。[20]」「人々がグラッシーノールの丘の上へ走っていったのは奇妙だった。[20]」と1967年テレビインタビューで証言している。
ハーチェル・ジャックスの証言

副大統領車の運転手であった彼は「ライフルの銃撃は、私の後ろからやってきた。振り向いて教科書倉庫を見上げた。柵のエリアから撃たれたという意見には同意しません。そこだとは思いません。私が聞いたのは3発の銃撃、3つの衝撃を感じた[21]」と1967年テレビインタビューで証言している。
チャールズ・ブラムの証言

「1発目から3発目までは約7秒。私が警察官に伝えたのは、教科書倉庫かその隣のビルから発射されたと思うと。いずれにせよ、大統領の後ろから銃撃があったのは絶対(Absolutely)です。[22]
ウィリアム・ニューマンの証言

パーゴラの北側を指示して「銃撃が来た方向はだいたいこの辺りです。[23]」、「1963年11月22日に『大統領が撃たれた直後、立ち上がった。』と証言したのは間違いで、両腕をあげた動作だった。」と証言している[24]
ビューエル・ウェズリー・フレージャーの証言

「前日、オズワルドから下宿に取り付けるカーテンロッドを取りに行きたいから、ペイン宅まで車に乗せて欲しいと依頼された。翌朝、カーテンロッドが入っているとする紙袋を持ったオズワルドと共に教科書倉庫へ出勤した。[25]」だが、オズワルドの下宿には既にカーテンロッドがついておりカーテンもあった。「発砲は3発だった。発砲は、パーゴラの裏、北西の角から聞えた。」
マリオン・ベイカーの証言

「ケネディ大統領のリムジンが左折したあと、3発の銃撃を聞いた。教科書倉庫からだった。[26]
ユージン・ブーンの証言

「銃撃後、メイン通りから芝生を超えてエルム通りへ渡り、最終的には、柵とコンクリートの壁を越えて、グラッシーノールの駐車場へ入りました。グラッシーノールにも鉄道エリアにも狙撃者も足跡も焼けた葉っぱなどの痕跡もなかった。[27]
記録された暗殺(ザプルーダー・フィルム)

大統領一行がダラスに到着した時に、地元のラジオおよびテレビ局は空港での到着の模様は中継放送したが、市内パレードの中継はしなかった。そして目的地のダラス・トレードセンターの昼食会の会場にテレビカメラを設置して昼食会を中継する予定であった。後にKBOX-AMはその日のニュースの抜粋で銃撃の音をLPレコードで放送したが、それはオリジナルの録音ではなかった。車列の後方の車に乗車した各メディアの記者やカメラマン[注釈 14] を除いて、ほとんどの報道機関はトレードセンターでケネディの到着を待っていた。

しかしながら、ディーリー・プラザでの暗殺現場はサイレントの 8mmフィルムに26.6秒間記録されていた。アマチュアカメラマンのエイブラハム・ザプルーダーが撮った物である為、後にザプルーダー・フィルムの別名で呼ばれるようになった[注釈 15]

FBIはザプルーダーが使っていた8ミリカメラが毎秒18.3コマで動いていたことから、暗殺時の大統領のリムジンの速度は時速11.2マイル[28](18キロ)であったと推測した。そしてザプルーダーフィルム全486コマから各コマに番号を確定して、大統領が頭部に致命傷を負った弾を被弾したコマを番号313[注釈 16] と指定した。そして大統領が1発目の銃弾を受けたのが番号210から224の間と確定した。1発目は道路標識に遮られて、被弾した瞬間の大統領の様子は写っていない。大統領の顔が再び写っていたのは番号225で明らかに撃たれている様子であったため、それ以前に撃たれたと見られている。そしてコナリー知事が被弾した反応を示したのは番号240であることが分かった[29]。被弾した反応であって被弾から反応までタイムラグが生じる。被弾した際、後ろから殴られたような衝撃を感じたが、病院に着くまで痛みは一切感じていなかったとコナリー知事はウォーレン委員会で証言している。

これは事件直後にFBIが3発撃ち込まれて、1発目が大統領へ、2発目が知事へ、3発目が再び大統領へ当たったという報告と矛盾することとなった。オズワルドが撃ったとされるライフル銃[注釈 17] で連射した場合、「好機をとらえた二発の命中弾」の最低限の時間は2.3秒でザプルーダーフィルムで42コマが必要であった[30]。ここに当初考えられた単独の狙撃犯ではなく、別に狙撃犯がいたのではと考えられることとなった。だが、車内から見つかった銃弾は2発分しかなく、FBIの報告は誤りであると結論づけられた。


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