ケネディ大統領暗殺事件
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考えていませんとも[注釈 7]」と答えている[8]。 これがジョン・F・ケネディの生涯最後の言葉となった。

12時30分にケネディのリムジンはメイン通りからディーリー・プラザに入って右折し、ヒューストン通りをテキサス教科書倉庫ビルの正面にゆっくり進んだ。そして次にリムジンはゆっくりと左折して、エルム通りに入り、教科書倉庫ビルからわずか20メートル離れた位置に達した。
狙撃ザプルーダー・フィルムより白黒で複写された、ケネディ大統領に最初の銃弾が命中した瞬間のコマ。ケネディは被弾した喉を手で押さえている。狙撃直後、後方の護衛車からリムジンに飛び移るシークレット・サービスのクリント・ヒル

リンカーン・コンチネンタルが教科書倉庫ビルの前を通過し、緩やかな下り坂をブレーキを掛けて速度を落としながら走行(この時のシークレットサービスの運転は明らかに護衛対象を危険に晒すものであった[要出典]。)するという絶好の機会を利用したかのように立て続けの発砲音が轟き、およそ6 - 9秒[要出典]の間にケネディは狙撃された。狙撃の間リムジンの速度は時速14キロメートル(時速9マイル)[要出典]から時速21キロメートル(時速13マイル)[要出典]であった。ウォーレン委員会はその後、3発の銃弾の内1発は車列を外れ、1発がケネディの頸部に命中、貫通のうえコナリーを負傷させ、最後の1発がケネディの頭部に命中し、致命傷を与えたと結論を下した。全ての委員がケネディに2発の銃弾が命中し、頭部への被弾で死亡したことを認めている[注釈 8]

犯人が最初の第1発目の発射後、群衆から様々な反応が起こった。多くの者は後にクラッカーかアフターファイアーが鳴ったと思ったと証言している。リムジンに乗っていた大統領夫妻や知事夫妻は一斉に右方向を向き、大統領は喉を押さえるように両腕を開き胸に当てて頭を下向きにして苦しい顔になり、ジャクリーン夫人は一瞬何が起こったのか判らず、大統領の顔を覗き込んだ。その前列では撃たれたコナリー知事[9][10][11]が「ノー、ノー、ノー!大変だ、皆殺しにされるぞ!」と叫び、その声で運転していたビル・グリアーは素早く振り向き、叫んでいる知事と大統領を確認して前方を見た。その時に彼はブレーキを踏んでおり[注釈 9]、再び後方を振り向くとケネディが頭部に致命傷を負う瞬間を実際に目の前で目撃することとなった。[注釈 10]犯人が狙撃したとされる教科書倉庫ビル。6階右端の窓(写真の印(A))から撃ったと目撃されている。

ケネディに命中した第2発目がケネディの右側頭部を貫通すると、彼はわずかに前傾し、彼の頭部右側の傷が頭蓋を開き、右肩は前方にねじれ僅かに上向きになり、その後座席後方のクッションに垂直にぶつかり、すぐに妻のいた左側に崩れ落ちた。ジャクリーン夫人が動転して後方に目を移し、オープンカーの後方のトランクに這い出た(この時、夫人はトランクに飛び散ったケネディの頭部の骨片を手にしており、病院到着後に医師に渡している)。1発目の直後に後続の車を降りて駆け寄った護衛官のクリント・ヒルが夫人が這い出るのとほぼ同時にリンカーン・コンチネンタルに追いつき[注釈 11]、トランクに飛び乗って夫人を座席に押し戻し、パークランド記念病院へ向かうよう、大統領専用車の前席にいたケラーマンが運転手に指示した[13]

テキサス教科書倉庫ビルの前は芝生の広場で通称ディーリー・プラザと呼ばれている[注釈 12]。この広場の道路をパレード中の大統領が市民の目前で撃たれてすぐにリンカーン・コンチネンタルが猛スピードで走っていくところを多くの市民が見て、エルム通りはパニックに陥り、パレードを見に来ていた市民が一斉にディーリー・プラザをかけ抜けていった。地元ダラス警察の白バイ隊員がバイクを置いてその場で拳銃を取り出して構えたが、何がどうなったのか分からず警察官もパニックになっていた。
大統領の被弾

大統領が最初の弾を受けた時は喉に手を当てようと両腕の肘が上に向かっている。背中の上部から喉仏に貫通したと見られているが、この1発だけの被弾であれば致命傷に至らなかったとも言われている[注釈 13]。2発目が大統領の右側頭部を貫き、大統領の頭部はひどく破壊され、これが致命傷になった。狙撃の瞬間をたまたま8mmフィルムで撮影していたエイブラハム・ザプルーダーのいわゆるザプルーダーフィルムの映像(後述)では、被弾した際に大統領の身体が一瞬後方に動いて、その致命的な射撃は前方から行われたようにも見えることから、オズワルド以外の狙撃者の存在について様々な議論を生んだ。

ただし、ザプルーダーフィルムのコマ番号313では血しぶきなどの飛沫は前方に飛び散っているとされている一方、大統領夫妻の乗る車の左後方にバイクで張り付いていた警官は、砕かれた脳の欠片と血しぶきを浴びて横転しそうになったと証言している。
夫人の証言

ジャクリーン夫人は後にウォーレン委員会での証言で「銃撃は2発しかなかったと記憶している」「1発目が当たった時、彼がちょっと訝しげな表情を顔に浮かべていて片手が上がっていた」「2発目で吹き飛ばされた彼の頭蓋骨を押さえようと彼の髪をしっかり押さえて、彼の頭を膝に載せて車内で伏せていた」と述べて、後方に這い出したことは「そのことは全く覚えていない」と説明している[14]
コナリー知事夫妻の証言

コナリー知事および知事夫人は1967年のインタビューにて「すべての銃撃は右後ろから発射された。[15]」と証言している。
ザプルーダーの証言

1967年6月26日テレビのインタビューで「私は弾道の専門家ではありませんが、もし右耳から(グラッシーノールの柵から)発砲があったなら、違う音が聞こえると思います。私は銃声が--方向はわかりませんが--テキサス教科書倉庫から撃ち込まれたのを聞きましたが、どれも同じような音でした。音にまったく違いがないんです。[16]」柵からの銃撃があれば、ほとんど彼の耳元をかすめていったはずだが、彼はグラッシーノールは関係ないということに同意する傾向があった。彼のいた場所と柵とは約6メートルの距離である。彼とその秘書マリリン・シッツマンは、コンクリートの壁の上に立っており、柵の中を見ることができる位置にいた。
マリリン・シッツマンの証言

1966年11月29日インタビューで「銃撃の音についてですが、最初の音は、まるで爆竹のような音でした。2発目の音も1発目と同じように聞こえました。2発の音に違いはありませんでした。もし仮に、2発目の銃弾が1発目と違う場所から発射されたとしたら、たとえば、右側のもっと近い場所から発射されたとしたら、私の耳にはもっと大きく聞こえたはずですし頭の横で鐘が鳴るように感じたと思いますが、そんなことはありませんでした。だって、私は木の柵の間近に立っていたんですよ。本当にすぐ近くでした。でも2発の音に違いはありませんでした。その日の出来事でもう一つ覚えているのは、黒人のカップルのことです。彼らは、だいたい18歳から21歳くらいの若い男女で、ちょうど私の右側で、木の柵のすぐ真ん前あたりにあるベンチに座って昼食をとっていました。彼らはそこで昼食を取っていたのです。食事が入った袋を持っていました。そしてコーラを飲んでいました。なぜ、私がそのことを覚えていたかと言いますと、最後の銃声がした後、車がトリプルアンダーパスのほうに消えました。そのとき、ガラスが割れる音がしたのです。そして、音の方向に目をやると、その黒人の男の子がコーラのボトルを投げ落として、投げ落とすと同時に後ろの方に向かって走り出しました。もちろん、その行為自体は、特におかしな点はありませんでした。なぜなら、皆、その方向に走っていたんですから。それから私の左手にいた丘の人々もそちらに向かって走り出していました。私の考えでは、ザプルーダ氏はあの子達が投げたコーラの瓶が割れる音を聞いたのではないでしょうか?そのとき、彼はビクッと飛び上がりましたが、私は銃声ではないと分かりましたので飛び上がることはありませんでした。でも、ガラス瓶の割れる音は、銃声よりも大きかったんですもの。この木の柵と、コンクリートの壁あるいは、遊歩道のあたりを見ましたが、先ほどの黒人のカップル以外誰もいませんでした。[17][18]」と証言している[19]
アルトゲンの証言

大統領の車の近くで絶好の見晴らしの良い場所にいたAP通信のカメラマン、アルトゲンは「ケネディ大統領が近づいてきて、ほとんどカメラを目の高さまで持ってきたときに、頭を撃たれたんです。ケネディの頭を吹き飛ばした銃弾が後ろからやってきたことはとても明らか(so obvious)だった。というのも、銃弾により彼は前のめりになったからです。[20]」「人々がグラッシーノールの丘の上へ走っていったのは奇妙だった。[20]」と1967年テレビインタビューで証言している。
ハーチェル・ジャックスの証言

副大統領車の運転手であった彼は「ライフルの銃撃は、私の後ろからやってきた。振り向いて教科書倉庫を見上げた。柵のエリアから撃たれたという意見には同意しません。そこだとは思いません。私が聞いたのは3発の銃撃、3つの衝撃を感じた[21]」と1967年テレビインタビューで証言している。
チャールズ・ブラムの証言

「1発目から3発目までは約7秒。私が警察官に伝えたのは、教科書倉庫かその隣のビルから発射されたと思うと。


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