ケニア
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2002年の総選挙の結果、旧KANU政権の継続を阻止しようとしたムワイ・キバキを代表とする大小多数の政党による連合組織「国民虹の連合(英語版)(NARC)」が選挙に勝利し、初めての政権交代が実現した。しかしキバキは、公約である憲法見直しへの着手を実施せず、またキバキの出身部族であるキクユ人優遇策をとり、また連合組織内の党派同士の約束を破って連合を分裂させるなど、新たな政権の樹立を期待した選挙民を裏切った。政権は保守色のある抵抗勢力と呼ばれるキバキ派と改革派の政党LDP(のちにODMに発展)に分裂する。改革派の中心はライラ・オディンガであった。2002年以来審議された憲法改正は、2005年7月にケニア議会で改正案が承認されたが、大統領権限の強い性格のものであり改革派は改正案に反対であった。11月に国民投票を行ったが、改正案は国民投票により否決され、ムワイ・キバキ大統領は閣僚の交代を余儀なくされた。
ケニア危機オレンジ民主運動の支持者たち

そして、2007年12月の大統領選挙は、キバキ派(国家統一党;PNU)とライラ・オディンガを中心とした改革派(ODM:オレンジ民主運動)との一騎討ちとなった。当初オディンガ優勢とされたにもかかわらず、同年12月30日、選挙管理委員会がキバキ大統領の再選を発表した。しかし、意外な結果となったことを不服とした野党勢力が行った抗議行動は、警官による鎮圧も含め、両派衝突による暴動へと変容した。暴動は、ナイロビのスラムリフト・バレー州において住民同士の暴力や警官による鎮圧が発生し、1,000名を越える死者(リフトバレー州での教会に逃げた避難民焼き討ちによる大量焼死事件や相次ぐODM議員の暗殺事件も含む)と非常に多くの国内避難民を生み出した。

国際連合事務総長コフィー・アナンにより翌年1月に行われた調停の結果、和解の合意がなされ、キバキとオディンガが、大統領と首相を分け合う連立政権が成立することで、2月末に政治的混乱は一応収拾された。連立政権とともに国民の対話と和解の法と暫定憲法が成立する(2007年-2008年のケニア危機)。 

連合政権はその後、本格的に憲法改正作業に着手する。2010年8月4日、国民投票によって新憲法の成立が決まった。新憲法は、1963年にイギリスの植民地支配から独立した際に制定された憲法に代わり、大統領権限の縮小による三権分立の強化など、より制度的な民主化を促進するとみられる(ケニア共和国憲法 (2010年)、en:Constitution of Kenya、en:Kenyan constitutional referendum, 2010)。
東アフリカ大旱魃詳細は「東アフリカ大旱魃 (2011年)」を参照
ウフル・ケニヤッタ政権

2013年3月の大統領選挙(英語版)でウフル・ケニヤッタが当選、4月に就任。2013年9月21日ケニアショッピングモール襲撃事件が発生し、ソマリアで活動していたアル・シャバブが犯行声明を出した。

2017年8月の大統領選挙でケニヤッタが再選されたが、最高裁はこれを無効とした。これはアフリカで選挙結果が法的に無効にされた初めてのケースである[5]。同年10月にやり直しの大統領選挙(英語版)が執行されたが、野党候補のライラ・オディンガがボイコットしたためケニヤッタが圧倒的多数で再選された。
2022年大統領選挙

2022年8月9日に実施された大統領選挙について、選挙管理委員長は同月15日、副大統領のウィリアム・ルトが50.49%の得票で勝利したと発表した(オディンガの得票率は48.85%)[6]。オディンガは翌16日、選管委員の半数が疑義を呈しているなどとして、委員長が発表した選挙結果の受け入れを拒否と法的対抗手段をとることを表明した[7]
政治ケニア国民議会議事堂詳細は「ケニアの政治(英語版)」を参照

大統領制をとる。ケニア議会は224議席、任期5年、一院制の国民議会(英語版)からなっていたが、2013年より二院制(Countyの代表である上院と選挙区議会の下院)に移行した。
政党「ケニアの政党」を参照

初代大統領ジョモ・ケニヤッタ、二代目ダニエル・アラップ・モイと建国以来ケニア・アフリカ民族同盟(KANU)が長く政権の座にあり一時期に一党制であったが、1991年より複数政党制が導入された。
国際関係詳細は「ケニアの国際関係(英語版)」を参照
日本との関係詳細は「日本とケニアの関係」を参照

在日ケニア大使館汚職事件 - 2009年大使館用地購入を巡る汚職疑惑事件が起こり、翌年、モーゼス・ウェタングラ(英語版)外務大臣が辞任した(のちに復職)。日本政府から好立地で無料の大使館用地の提示があったにもかかわらず、東京都目黒区の敷地を大使館用地として市井価格より高い金額で現金購入したことが問題となった[8][9]

在留日本人数 - 681人(2022年10月時点)[10]

在日ケニア人数 - 897人(2021年06月時点)[10]

地理ケニアの地図。ルドルフ湖は現在トゥルカナ湖と呼ばれる。北西部に、ケニアと南スーダンとエチオピアとの係争地で、ケニアが実効支配するイレミ・トライアングルがある。地形図詳細は「ケニアの地理(英語版)」を参照


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