結成当初はキーボード担当で当時SBSアナウンサーで番組にも出演していた河野憲了(SBS退職後伊達けんとしてフリーアナウンサー)が参加していたが、のちに脱退。その後は4人で活動していたが、荻嶋がSBSからTBSの早朝番組のメイン司会者として出向することとなり、ケッタウェイズとして活動を続けることができなくなった。当初は半年の予定であったが番組の好調により再三出向期間が延長され(1982年4月 - 1985年3月)、最終的には荻嶋はSBSを退社しフリーアナウンサーとなる。)。
荻嶋の出向時に「Kettaways 1st Break Concert」(1982年3月25日)を行い、活動を一旦停止する。その後、荻嶋がSBSに戻れたわけではないが、戻れた際に活動を継続できるようにと「Kettaways 4th Concert」(1983年5月1日)を行い、「ケッタウェイズは伝説ではない」と高らかにケッタウェイズの復活を告げた。しかし、母体となる番組の終了、荻島の帰静が再三にわたり延期となったこと等で活動の継続がさらに難しくなったため、その翌年には「Kettaways Final Concert」(1984年10月13日)を行い、多くのファンに惜しまれつつも、7年間の活動にピリオドを打った。
ライブやコンサートは規模の大小、ゲスト出演も含め、30回以上行われたとされる。一回で2000人の客を軽く動員したこともあり、これが元で追加公演も行われたこともあったという[1]。ファイナルコンサートを最後に解散したが、静岡市青葉公園で開催されたSBSラジオのイベントで「ケッタウェイズ再結成コンサート」(1997年11月16日)が行われ、13年ぶりにファンの前に姿を見せた。このコンサートの模様は、翌年にSBSラジオの特別番組「Kettaways Forever」としてOAされた。 2011年末に、2012年3月4日、「ケッタウェイズ ぶっちゃけ同窓会 ?あの時ラジオは若かった?」と題する、静岡市のライブハウスで「同窓会コンサート」を開催することが発表された。当日は、150名以上の観客を集め2部構成、3時間の「演奏会」となった。 2012年3月24日、青葉シンボルロードにて開催された「SBSラジオパーク」内で「SBSパーソナリティ大集合」(生放送)内のコーナーとして「再々結成ライブ」として、オリジナル曲6曲を演奏した(厳密には1997年の「再結成」以来「再解散」はしていない)。 2014年6月21日、荻嶋正己が食道癌の闘病の末逝去、ケッタウェイズの再結成の可能性は完全に断たれることとなった。
近年の動向
エピソード
「フリーステーション1.2.0!」最終回の荻嶋正己の発言によると、バンドのリーダーは月替わりだったそうである(実際にはリーダーは置いていない。ちなみに番組最終回当時の「今月のリーダー」は荻島曰く、佐藤信雄であったという。)。
「4th Concert」では直前にドラムのディレクターの鷹森泉が盲腸で入院、中止もできない状況でコンサート開催が危ぶまれたが当時第2期フリステに出演していた後藤さとる
静岡県の民放テレビ局としてSBS静岡放送とは競合するライバル局である静岡第一テレビの若者向け情報バラエティ番組「JanJanサタデー」に出演したことがある。これは國本良博がJanJanサタデーに出演していた、当時静岡第一テレビアナウンサーの「ミスターK」こと北嶋興と交友があったことから実現したもので、競合する放送局のアナウンサーと関係者が他局の番組に出演したことは極めて異例の出来事であった。ちなみにこの出演前には、國本が「フリーステーション1.2.0!」に北嶋をゲストとして招いている。
残されていた音源を利用し、公式サイト「KETTAWAYS MUSEUM」管理人により、オリジナル曲を収録したレコードを自費出版したことがある[2]。そのレコードに収録漏れの曲や「再結成コンサート」後に作られた新曲「Love is Everywhere」を追加収録したCD-Rも後年制作された(アナウンサーの國本の退社記念番組(2009年12月31日)でも聴取者プレゼントとされた)。
2012年3月の「ぶっちゃけ同窓会」及び「再々結成コンサート」には、ベース担当の佐藤信雄は都合により参加できず、國本が現在活動しているバンド「THE LEGEND」のベーシスト竹島躍が代理として演奏した。
2013年4月國本の著書「くんちゃんのはなしのはなし」が発売[3]。局アナ時代のエピソードなどを回顧、検証を加えて記述されている。また、付属のDVDにてKettawaysのコンサート映像(ファーストコンサート、再結成コンサート、同窓会コンサートのダイジェスト)、SBS局アナとしてSDT「JanJanサタデー」への出演時の映像などが収録されている。
KAWAIで「ケッタウェイズモデル」のエレクトリックギターとエレクトリックベースが特別に製作され、メンバーに贈られている。ギターはそれぞれ荻島と國本に一本ずつ製作された。
脚注^ a b c 月刊ラジオパラダイス 1988年5月号 88ページ
^ 月刊ラジオパラダイス 1989年8月号 8ページ などで紹介
^ 國本良博『くんちゃんのはなしのはなし』(319p; 19cm + DVDビデオディスク(1枚 12cm))マイルスタッフ発行、インプレスコミュニケーションズ刊行、2013年4月5日。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 978-4844375579。 —本項掲載のエピソードのほとんどはこの書籍で検証可
関連項目
静岡放送
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外部リンク
⇒ケッタウェイズ・ミュージアム(公式サイト)