グーリ・アミール廟
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廟正面のイーワーン外側の壁が小さく設計されているため、ドームの高さが強調されている[5]。17世紀には西側に新たなイーワーンの建設が計画されたが、未完に終わった[5]

グーリ・アミール廟は外部から見ると1つのドーム状の建築物に見える。グーリ・アミール廟はその構造の単純明快さと外観の荘厳さで有名な建物である。建物は青色のドームが建物の上部に付属したような構造となっている。壁の外装は青、淡青と碑文を記した幾何学模様の白のテラコッタ製のタイルからできている。八角形の母屋の上に、高さ約37mの椎の実型の二重ドームが建つ[1]。ドーム部分に深い溝で凹凸を付けることにより、見事な表現を実現している。

ドーム北側の方形の中庭の東西には、マドラサとハーンカーが向かい合う形で建っている。ウルグ・ベクの治世には、霊廟と中庭を繋ぐ東側の通路が作られた[1]

グーリ・アミール廟の内部には壁に多様な装飾が施された大広間がある。壁の地上に近い部分には切りだされた一枚岩のメノウが使用されている。各々のメノウも塗装で鮮やかに装飾されている。これらの一枚岩の上には大理石によるムカルナスの装飾がある。壁の大部分は塗装された石膏で装飾されている。アーチ型の部分とドーム内部はカルトゥーシュのような形式で深く文字が刻まれ、周りに装飾がなされている。

廟内部の部屋にある凝った装飾の行われた墓石は地下室にある墓の位置を示しているのみで、実際の墓ではない[1]。ウルグ・ベク統治下に、黒緑色のネフライトがティムールの墓石として安置された[6]。ティムールの墓石は、ウルグ・ベクが1425年に実施したモグーリスタン遠征の帰途で持ち帰ったものだと伝えられている[7]。13世紀末のチャガタイ・ハン国の君主ドゥアが石をカルシの宮殿に運び、モグーリスタン遠征の途上でカルシに立ち寄ったティムールが石を気に入ったがサマルカンドに持ち帰ることはできなかったという伝承が残る[8]。ティムールの墓の周囲には彼の息子であるミーラーン・シャーとシャー・ルフ、彼の孫であるムハンマド・スルターンとウルグ・ベクの大理石の墓が置かれている[5]。グーリ・アミール廟内にはティムール朝の王族だけでなく、ティムールの精神面の師であったミール・サイード・バラカと他のサイードたちもまた眠っている[9]
盗掘ティムールの墓、1910年頃

1740年、ナーディル・シャーは自身が中央アジアの支配者として心酔していたティムールの石棺を持ち出そうとした。彼はティムールの武勇伝を模倣しようとし、それは特に治世の残酷さとなって現れ、結果、彼は暗殺され、帝国は分裂した。石棺の持ち出しを悪い兆しであると考えた彼の補佐官は石棺を正しい場所に置いたままにしておくよう忠告した。

1941年6月19日、ティムールの石棺は2回目の盗掘に被害に遭うこととなった。ソビエト連邦の考古学者が地下室を発見、ミハイル・ゲラシモフはティムールの頭蓋骨からティムールの顔の特徴を再現することができた。これにより、ティムールの身長は当時としては長身の部類に入る約172cmであり、はっきりと足を引き摺って歩いていたことが確認された。さらに、ウルグ・ベクの暗殺に関する歴史情報、他の墓の真偽も確認された。ティムールとウルグ・ベクの頭蓋骨はスターリングラードの戦いが始まった1942年11月に完全なイスラム教の形式に則って再埋葬された。
廟の周辺

グーリ・アミール廟、ルハバード廟 (Ruhabad Mausoleum)とアクサライ廟は互いに非常に近い位置関係にあることから3つ全てで1つの建築物と考えるものもいる。

ルハバード廟 (14世紀)は小規模な廟であり、イスラム教預言者ムハンマドの頭髪が納められているとされている。この廟の中にある1階建てのマドラサには現在は工房がある。マドラサに隣接する形で機能的なモスクがある。全ての3つの建物が並ぶことで美観を提供している。

アクサライ廟 (15世紀)は修復が行われていないが、グーリ・アミール廟の裏の静かな通りにある。
ギャラリー









関連項目.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、グーリ・アミール廟に関連するカテゴリがあります。

レギスタン広場

ビービー・ハーヌム・モスク

シャーヒ・ズィンダ廟

ウズベキスタンの観光

参考資料

グーリ・アミール廟、Rukhobod廟、Aksaray廟の情報、写真、位置

脚注^ a b c d 川口『ティムール帝国』、217頁


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