グレン・ミラー
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やがてトミー・ドーシーベニー・グッドマン、レッド・ニコルズ(英語版)などの音楽家と親交を結び、1937年に自己の楽団「グレン・ミラー楽団」を結成後、1938年にRCA傘下のブルーバード・レコードと契約、翌1939年から「ムーンライト・セレナーデ」「茶色の小瓶」「イン・ザ・ムード」「チャタヌーガ・チュー・チュー」など次々とヒット曲を発表し、バンドリーダー、作曲家、編曲家として人気を博した[1][2][3]

ビルボードのジュークボックス・チャートにおいて「イン・ザ・ムード」(12週連続1位、通算13週1位)「タキシード・ジャンクション(英語版)」(9週連続1位)「ウッドペッカー・ソング(英語版)」(5週連続1位)の3曲で26週連続1位(1940年2月10日付?8月3日付)を達成した。1941年に録音された「チャタヌーガ・チュー・チュー」は、同バンドが出演した映画『銀嶺セレナーデ(英語版)』の主題歌であり、レコードはおよそ120万枚販売された。これを記念して1942年にRCAレコードからゴールドディスクが授与され、これがゴールドディスク第1号とされる。軍服を着用したミラーUC-64

第二次世界大戦の勃発にともない1942年陸軍航空軍に入隊、慰問楽団を率いて演奏にまわった。国内外ツアー他、米国慰問協会で演奏した[4]。ミラーは精力的に慰問演奏を続けていたが、大戦末期の1944年12月15日にイギリスからフランスへ慰問演奏に飛び立った後、乗っていた専用機(UC-64)がイギリス海峡上で消息を絶った(最終階級は少佐)。原因として、ドイツへの爆撃から帰還する途中のイギリス空軍爆撃機が上空で投棄した爆弾が乗機に当たり墜落したとする説の他、イギリス軍機の誤射で撃墜されたとする説などがある。2014年に『シカゴ・トリビューン』は、消息を絶った原因として、乗機のUC-64に特有の故障によるものとする説を挙げた。それによるとミラーの搭乗したタイプのUC-64は、エンジンキャブレターに欠陥があり、冬期に凍結することにより故障し、墜落する事例が他にも複数発生していたという[5] 。また、前述の爆撃機が投棄した爆弾が命中したという説は、当時の飛行記録によるとミラーの乗機と同時期に航路を飛んでいた航空機や付近で爆弾を投棄したという記述がないことから可能性が低いともしている[6]

行方不明後も残された楽団員がリーダーとなり、グレン・ミラー・オーケストラ(英語版)として、現在まで世界各地で活動している。
主な演奏曲

ムーンライト・セレナーデ(Moonlight Serenade)

イン・ザ・ムード(In The Mood)

アメリカン・パトロール(American Patrol) - 編曲

チャタヌーガ・チュー・チュー(Chattanooga Choo Choo) - 世界初のゴールドディスク授与曲

タキシード・ジャンクション(英語版)(Tuxedo Junction)

茶色の小瓶(Little Brown Jug)

真珠の首飾り(英語版)(String of Pearls)

ペンシルベニア6-5000(英語版)(Pennsylvania 6-5000)

虹の彼方に(Over The Rainbow)

ムーンライト・カクテル(英語版)(moonlight cocktail)

カラマズーの娘(英語版)(I've got a Gal in Kalamazoo)

関連映画

『銀嶺セレナーデ
(英語版)』- Sun Valley Serenade(1941年) - グレン・ミラー&グレン・ミラー楽団が出演したミュージカル映画。

『オーケストラの妻たち(英語版)』- Orchestra Wives(1942年) - グレン・ミラー&グレン・ミラー楽団が出演したミュージカル映画。

グレン・ミラー物語』- The Glenn Miller Story(1953年) - グレン・ミラーの生涯を描いたアメリカ映画

5つの銅貨』 - The Five Pennies(1959年) - 若き日のグレン・ミラーが登場するアメリカ映画。

『グレン・ミラー アメリカンズ・ミュージカル・ヒーロー』 - Glenn Miller America's Musical Hero(1990年) - グレン・ミラー楽団の元メンバーや関係者が出演しグレン・ミラーの人生を辿るドキュメンタリー映画。

脚注^ Glenn Miller 26 February 2022
^ David Pilditch. “Mystery of Glenn Miller's death is finally solved 73 years after his disappearance”. Daily Express. 2022年2月26日閲覧。
^ “ ⇒Glenn Miller”. Arlingtoncemetery.mil. 2022年2月26日閲覧。
^ “Glenn Miller”. The Official USO Blog (2009年12月15日). 2013年10月28日閲覧。
^ Reich, Howard. ⇒"'History Detectives' explains why bandleader Glenn Miller vanished" シカゴ・トリビューン、2014年7月7日。
^ Spragg, Dennis M. "Resolved: The Disappearance of Glenn Miller, December 15, 1944" fall 2014 (forthcoming)

関連項目

ビバップ

マイルス・デイヴィス

外部リンク.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、グレン・ミラーに関連するカテゴリがあります。

グレン・ミラー - YouTubeチャンネル










グレン・ミラー楽団(英語版)


グレン・ミラー

ディスコグラフィー

ヒット曲

1939年

「ウィル・メイク・イット・ソー」

「星への階段」

「ムーン・ラブ」

虹の彼方に

茶色の小瓶

「マンドリンを持つ男」

「ブルー・オーキッド」

イン・ザ・ムード

1940年

「タキシード・ジャンクション」

「ウッドペッカー・ソング」

1941年

ヴォルガの舟歌

チャタヌーガ・チュー・チュー

「エルマーズ・チューン」

1942年

「真珠の首飾り」

「ムーンライト・カクテル」

「カラマズーの娘」

1943年

「ザット・オールド・ブラック・マジック」


アルバム

シカゴのジャズクラブ (1943年)

アップスイング (1944年)

スモーク・リング (1944年)

グレン・ミラー (1945年)

グレン・ミラー傑作集2 (1947年)

映画「グレン・ミラー物語」よりグレン・ミラーの演奏セレクション (1954年)

グレン・ミラー物語 (1954年)

グレン・ミラー・カーネギーホール・コンサート (1958年)

純金 (1975年)

イン・ザ・デジタル・ムード (1983年)

メンバー

ボーカリスト

マリオン・ハットン

レイ・エバール

テックス・ベネキー


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