シリア正教会においては地域により、あるいは各信徒内での伝統の差異により、ユリウス暦とグレゴリオ暦が併用されている[要出典]。
コプト正教においてはグレゴリオ暦は採用されておらず、独自のコプト暦が用いられている。
アッシリア東方教会では1964年に当時のアッシリア総主教マル・エシャイ・シムン23世(英語版)が行った宗教的改革の一環としてグレゴリオ暦が採用されている。ただしこの改革はすべての信徒に受け入れられた訳ではなく、改革に反対する信徒の一部は古代東方教会(英語版)として分離独立している。 詳細なリストは、en:List of adoption dates of the Gregorian calendar by country グレゴリオ暦は、ユリウス暦に比べはるかに精度が高くなっているが、それでも上記の通り誤差は完全に解消されたわけではない。そもそも地球の自転周期と公転周期の比は整数の比になっていない以上、この誤差は必然的に生ずるものである。 また年初の日付が、天文学的な現象とは関係がない日付であること[注釈 8]や、各月の日数が不規則であること、1年の日数が週の倍数になっていないため、暦日と曜日が一致しないことなどの問題点が指摘され[26]、しばしば改暦運動が盛り上がった。こうした改暦運動で実施されたものは、1793年にフランスで施行されたフランス革命暦のみであるが、合理性に徹するあまりそれまでの週や七曜の廃止を行うなどして大混乱を招き、1806年にはグレゴリオ暦に復帰した。しかしその後も、世界暦への改暦提案などがしばしばなされている。
各国のグレゴリオ暦導入年月日
1582年10月15日 - イタリア、スペイン(ポルトガルを含む)、サヴォイ公国、ポーランド・リトアニア共和国
1582年12月20日 - フランス王国 後に中断(フランス共和暦)
1583年1月1日 - ベルギー、オランダのカトリック諸邦フランドルとベルギーの一部では、1582年12月21日の翌日(12月22日)を1583年1月1日とした。これは1582年のクリスマスを失ったことを意味する[24]。
1583?1587年 - ドイツ、スイス、ハンガリーのカトリック諸都市
1700年3月1日 - ドイツのプロテスタント諸都市、デンマーク
1752年9月14日 - イギリス帝国(後のアメリカ合衆国など当時の植民地すべて)
1753年3月1日 - スウェーデン(フィンランドを含む)
1867年10月18日 - アラスカ日付変更線がアラスカの東側から西側に移動されたため、金曜日が2回連続して繰り返された。
1873年(明治6年)1月1日 - 日本(明治改暦)
1896年(建陽元年)1月1日 - 大韓帝国
1912年(民国元年)1月1日 - 中華民国(建国とともに採用、同年2月12日の清朝滅亡とともに国内全域で正式な暦となる)
1918年2月14日 - ソビエト・ロシア(1929年10月1日にソビエト連邦暦に移行した)
1923年3月1日 - ギリシャ
1940年6月27日 - ソビエト連邦(1929年10月1日より採用されていたソビエト連邦暦から復帰した)
1941年 (2485タイ太陽暦年)- タイ王国
2016年春 - サウジアラビア[25]
問題点と改暦運動
脚注[脚注の使い方]
注釈^ この日は、ユリウス通日では「2299160.5」に、ユリウス暦では「1582年10月5日」に相当する。
^ 日本の公文書には西暦も和暦も義務付けた法令が存在せず、省庁や自治体がどちらを使用するかはそれぞれの判断に任されている[1]。
^ 日本は1873年(明治6年)からグレゴリオ暦に移行し、それまでの天保暦を旧暦、導入したグレゴリオ暦を新暦と呼ぶ。
^ ユリウス暦での1年は、平均太陽年より約675秒長い。