グレゴリオ暦
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この冊子によると、アロイシウスは1252年に書かれたアルフォンソ天文表における365日5時間49分16秒 = 365.242 5463日を採用し[10]、改暦案を考案した。しかし、アロイシウスは1576年に死亡しており、その年に実際に案を委員会に提出したのは弟のアントニウス・リリウス(Antonio Lilio)である[11][12][13]
ずれ修正の二つの提案

ユリウス暦の約1240年間の運用により蓄積された約10日間のずれをどのように修正するかについては、次の2案が委員会に提出された。

第1案:1584年以降の40年間にわたって、閏日を設けない。
40年 ÷ 4年 = 10 (日) であるから、これによって、10日間だけ暦を進めることができる。

第2案:1582年の最も適当な月に10日間を省く。

結局、委員会は、第2案を採用したのである[14]
どの月から10日間を省くか

10日間を省く月を1582年の10月にしたことについて、クラヴィウスは、「単に10月が宗教典礼日(religious observance)が最も少ない月であり、教会への影響が最小だからだ」と説明している[15]
改暦の実施

改暦委員会の作業の末に完成した新しい暦は1582年2月24日グレゴリウス13世の教皇勅書として発布された[16][17]。この勅書は、"Inter gravissimas"の語(「最も重要な関心事の中でも」の意)から始まるので、“en:Inter gravissimas”と称される[18]

この勅書はユリウス暦1582年10月4日木曜日の翌日を、曜日を連続させながら、グレゴリオ暦1582年10月15日金曜日とすることを定め、その通りに実施された。

グレゴリオ暦の実施日前後の日付適用の暦年月日曜日0時世界時)の
ユリウス日
ユリウス暦1582年10月03日水曜日2299158.5
ユリウス暦1582年10月04日木曜日2299159.5
グレゴリオ暦1582年10月15日金曜日2299160.5
グレゴリオ暦1582年10月16日土曜日2299161.5

1582年10月

12341516
17181920212223
24252627282930
31

ただし、上記の日付通りに改暦を実施したのは、イタリア、スペイン、ポルトガルなどごく少数の国に過ぎず[19]、その他のヨーロッパの国々での導入は遅れた。
暦法

グレゴリオ改暦が議論され始めていた1560年ごろには、平均太陽年は、約365.2422日であることが知られていた。(365.25日 ? 365.2422日)× 400年 = 3.12日/400年 であるから、ユリウス暦における置閏法(400年間で100回の閏年)に比べて400年間に3回の閏年を省けば、かなりよい近似となることが分かる。このため、グレゴリオ暦では、400年間に、97回 (= 100 ? 3) の閏年を置くこととして、1年の平均日数を365.2425日 = 365日5時間49分12秒 = 正確に31556952秒 とした。365日 + 97/400 = 365.2425(日/年)…… グレゴリオ暦による1年の平均日数

なお、400年間の日数は、365.2425 × 400 = 146 097日であり、これは7で割り切れる(146097 ÷ 7 = 20871)ので、グレゴリオ暦は、曜日も含めて400年周期である。

400年間における閏年の回数の差暦法閏年平年合計
ユリウス暦100回300回400回
グレゴリオ暦97回303回400回

400年間に3回の閏年を省くには様々な方法があり得るが、3回の平年がなるべく均等に分布すること、わかりやすく記憶しやすいことを考慮して、「西暦紀元(西暦)の年数が、100で割り切れるが400では割り切れない年は、平年とする。これ以外の年では、西暦年数が4で割り切れる年は閏年とする。」というルールが採用された。

100で割り切れる年は400年間に4回あるが、400で割り切れる年は400年間に1回だけである。以上のルールによって、ユリウス暦では閏年になる3回分の年を、グレゴリオ暦では平年とすることができるのである。

100で割り切れる年のうち、西暦1600年2000年2400年は400で割り切れるので、これらの年は閏年のままである。しかし、西暦1700年1800年1900年2100年2200年2300年2500年・2600年・2700年は400で割り切れないので、これらの年は平年となる。

100で割り切れる西暦年の平年と閏年西暦年平閏の区分備考
1600年・2000年・2400年閏年400で割り切れる年
1700年・2100年・2500年平年
1800年・2200年・2600年平年
1900年・2300年・2700年平年

平年および閏年のそれぞれにおける各月の日数は、グレゴリオ暦でもユリウス暦と同じである。すなわち、1月・3月・5月・7月・8月・10月・12月は31日、4月・6月・9月・11月は30日、2月は平年が28日、閏年は29日である。
先発グレゴリオ暦とユリウス暦詳細は「先発グレゴリオ暦」を参照

上記の暦法(グレゴリオ暦)を1582年以前に遡って適用すると、200年3月1日から300年2月28日までは、ユリウス暦と同じ日付となる(ユリウス通日も参照)。これは以下の経緯による。
「制定に至る背景」の節にあるように、第1ニカイア公会議にて、春分日たるユリウス暦3月21日直後の太陰月14日の直後の日曜日を、復活祭とすることが決定された。

しかし、ユリウス暦1582年には、ユリウス暦の精度があまり良くなかったことによって、春分日とユリウス暦3月21日の間に約10日の差が生じており、ユリウス暦の使用を続ければ、西暦1583年に含まれる春分日もまた、3月21日ではなくなってしまう。

西暦1582年10月15日(グレゴリオ暦)に上記の暦法が導入されたことで、西暦1583年からは3月21日と春分日とが基本的に一致するようになり[注釈 6]、第1ニカイア公会議での決定と矛盾しなくなった。

その結果として、ユリウス暦と1582年以前に遡って適用されたグレゴリオ暦(先発グレゴリオ暦)の日付が、200年3月1日から300年2月28日にかけて、たまたま一致する。

精度

下記のようにグレゴリオ暦での平均の1年(365.2425日)は、実際に観測される平均太陽年(2013年年央)に比べて約26.821秒(= 約0.000310428日)だけ長い。このずれは約3221年かけて1日に達する。365 .2425日/年 × 86400秒/日 = 31556952秒/年31556952秒/年 ? 31556925.179秒/年[4] = 26.821秒/年 …… 1年ごとのずれ86400秒/日(= 1日)÷ 26.821秒/年 = 3221.36(年)…… 1日のずれが生じる年数

以上のように、ユリウス暦では1日のずれが生じるまでに約128年しかかからなかったのに対して、グレゴリオ暦では同じく1日のずれが生じるまでに約3221年を要するまでに精度が高まった。

デイヴィッド・E・ダンカン(英語版)によると、1997年時点では、1582年以来の誤差が累積して、すでに約2時間59分12秒だけ進んでいる[20]

なお、上記の計算は平均太陽年が不変であるとした場合のものである。実際には平均太陽年は100年(正確には1ユリウス世紀)ごとに0.532秒ずつ短くなっている(太陽年の項を参照)。このため、3221年後には、約17秒ほど平均太陽年が短くなっていることを考慮すると、グレゴリオ暦との1日のずれはもっと早い時点で起こることになる(太陽年#太陽年の変化、平均太陽年の計算式(英語版))。

また、春分日時の間隔に着目した誤差は歳差などの影響により上記の計算とは異なり、西暦2000年時点で7700年に1日[21]、日本で明治改暦が行われた1873年の時点で7200年に1日[22]となる。
キリスト紀元とグレゴリオ暦の新年

月日を導く暦法そのものと年数を数える紀元(紀年法)は別の概念であるが、上述のように、グレゴリオ暦はその置閏法をキリスト紀元の年数に基づいて定めるものとして制定されているので、キリスト紀元と不可分一体の関係にある。ところで、キリスト紀元の正式名称は、グレゴリオ暦改暦勅書(Inter Gravissimas)末尾の日付にもある通り、anno incarnationis dominicae すなわち「主(イエス・キリスト)の受肉(受胎)から数えた年数」である。この点からすれば、キリスト紀元年を1つ繰り上げるべき日すなわち新年は、イエスが受胎した日すなわち受胎告知日の3月25日が正当となるはずである。


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