グレイバック_(SS-208)
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10月17日、グレイバックは南緯05度12分 東経153度10分 / 南緯5.200度 東経153.167度 / -5.200; 153.167の地点で8,000トンから10,000トン級貨物船を発見し、攻撃を行ったが魚雷は命中しなかった[17]。10月22日にも南緯04度44分 東経152度33分 / 南緯4.733度 東経152.550度 / -4.733; 152.550の地点で煙を発見して潜航し、白鷹型敷設艦と思しき艦艇に護衛された輸送船に対して魚雷を4本発射[18][19]。うち2本が命中したと判断され、直後から爆雷攻撃を受けた[18]。この目標は沈没したと判断された[20]。10月31日朝、グレイバックは南緯04度38分 東経152度33分 / 南緯4.633度 東経152.550度 / -4.633; 152.550[21]のセントジョージ水道でニューギニア島ブナに向かう輸送船団を発見[22]。陸軍輸送船能登丸(日本郵船、7,191トン)の左舷に魚雷を命中させ撃破し、グレイバックには後刻能登丸「撃沈」の報告がなされた[23]。実際には、能登丸は船首を海中に突っ込みながらもラバウルに引き返すことが出来た[24][25]。翌11月1日夜、グレイバックは南緯05度22分 東経152度40分 / 南緯5.367度 東経152.667度 / -5.367; 152.667の地点で夜間浮上攻撃を敢行[26]。11月4日深夜には南緯04度59分 東経152度37分 / 南緯4.983度 東経152.617度 / -4.983; 152.617の地点で2隻の大型船を発見して浮上攻撃[27]。その後は11月8日に南緯04度50分 東経152度35分 / 南緯4.833度 東経152.583度 / -4.833; 152.583の地点で神風型駆逐艦と思しき艦艇と、同日夜に南緯04度58分 東経152度35分 / 南緯4.967度 東経152.583度 / -4.967; 152.583の地点で潜水艦に対して、翌11月9日には南緯04度42分 東経152度35分 / 南緯4.700度 東経152.583度 / -4.700; 152.583の地点で小型貨物船に対してそれぞれ攻撃を行った[28]。11月16日、グレイバックは41日間の行動を終えてブリスベンに帰投した[29]
第5の哨戒 1942年12月 - 1943年1月

12月7日、グレイバックは5回目の哨戒でソロモン諸島方面に向かった。一週間後、乗組員の一人が盲腸で倒れるというハプニングに出くわした。グレイバックは100フィートの深度に潜航した上で[30]薬剤師出身のハリー・B・ロビーが盲腸の切除手術を執刀することになった。ロビーは薬剤師であっても外科学は教育を受けておらず手術に関しては素人であったが、12月8日未明にかけて手術を行い何とか盲腸を切除することに成功[30]。患者は哨戒終了まで安静にするよう指示され、とりあえず一命は取り留めた。12月25日未明、グレイバックは4隻のを発見し、浮上して3インチ砲の砲撃によりこれらを一掃した[31]。4日後の12月29日、モノ島南西50浬地点付近で浮上して航行中、伊31に発見されて雷撃を受けるも回避[32]。年明けて1943年1月2日には南緯08度32分 東経157度10分 / 南緯8.533度 東経157.167度 / -8.533; 157.167の地点で駆逐艦を発見してやりすごす[33]。日付が1月3日に変わった直後には南緯08度49分 東経157度09分 / 南緯8.817度 東経157.150度 / -8.817; 157.150ののニューブリテン島南方沖で、輸送任務中の伊18を発見し雷撃したものの、魚雷は早爆したらしく命中せず、伊18は潜航して離脱していった[34][注 1]。1月5日、グレイバックは味方爆撃機隊の誘導および救助任務のためムンダ近海に向かっていた。その朝、グレイバックの元に「ムンダのさる集落に、撃墜されたB-26 マローダーのクルー6名が匿われている」という情報が届けられた。グレイバックはムンダ沿岸に到着し、まず2名の乗組員、デーヴィス大尉とブルックス大尉を連絡のため上陸させた[36]。夜明けとともに、グレイバックは敵機に発見されないよう潜航。その間に上陸した乗組員はジャングルの中に、負傷して寝かされている3名のパイロットを発見。夜になってからデーヴィス大尉とブルックス大尉は海岸から発光信号を送り[37]、グレイバックはこれに答えて浮上。パイロットと小さなボートを収容した。グレイバックは哨戒を再開し、1月16日には南緯07度22分 東経156度15分 / 南緯7.367度 東経156.250度 / -7.367; 156.250の地点で大型輸送船と駆逐艦を[38]、1月17日にも南緯06度41分 東経154度40分 / 南緯6.683度 東経154.667度 / -6.683; 154.667の地点[39]で駆逐艦に護衛された別の大型船をそれぞれ発見。グレイバックは、前者の攻撃では2つの命中音を聴取し[40]、後者の攻撃においては駆逐艦を片付けてから大型船を攻撃しようと、駆逐艦に向けて魚雷を発射。しかし、駆逐艦は回避し、グレイバックに19発の爆雷を投下した。そのうちの1発がハッチの上で爆発し、グレイバックはガスケット部に軽度の損傷を被った[41]。1月23日、グレイバックは47日間の行動を終えてブリスベンに帰投。パイロット救助の功により、ステファン艦長に海軍十字章が授けられた。
第6の哨戒 1943年2月 - 4月

2月13日[42]、グレイバックは6回目の哨戒でグランパスとともにソロモン諸島方面に向かった。3月5日夜、グレイバックはベララベラ島沿岸部にグランパスらしき潜水艦を目撃したが[43]、その潜水艦が本当にグランパスかどうかは分からなかった[44]。その後、哨戒海域をビスマルク諸島方面に移動。3月13日には南緯00度10分 東経151度06分 / 南緯0.167度 東経151.100度 / -0.167; 151.100[45]ニューアイルランド島近海で特設運送船能代丸(日本郵船、7,184トン)に対して魚雷を4本発射。うち1本が能代丸の右舷に命中し、残る3本のうち1本が能代丸の船首をかすめた[45]。能代丸は大破したもののトラック諸島に引き返すことができた[45][46]。翌3月14日には南緯02度09分 東経150度48分 / 南緯2.150度 東経150.800度 / -2.150; 150.800の地点で6,000トン級貨物船に対して攻撃を行う[47]。しかし、この哨戒では能代丸撃破以外には戦果はなく、新装備のSJレーダーもあまり作動しなかった。4月4日、グレイバックは47日間の行動を終えてブリスベンに帰投した。
第7の哨戒 1943年4月 - 5月

4月25日、グレイバックは7回目の哨戒でビスマルク諸島方面に向かった。5月11日、グレイバックは付近にいたアルバコア (USS Albacore, SS-218) からの情報により、輸送船団の通過を知らされた[48]。夜になり、グレイバックは北緯00度40分 東経148度55分 / 北緯0.667度 東経148.917度 / 0.667; 148.917のカビエン北西方で目指す輸送船団に接触。ラバウルからパラオに向かっていたR09船団は7隻の輸送船と3隻の護衛艦で構成されており[49]、グレイバックは浮上して魚雷を6本発射。護衛艦が向かってきたので潜航を余儀なくされたが、魚雷は特設運送船(給炭油)淀川丸(東洋海運、6,450トン)に命中してこれを撃沈した。5月16日には南緯01度00分 東経148度44分 / 南緯1.000度 東経148.733度 / -1.000; 148.733の地点[50]で4隻の輸送船で構成された輸送船団を発見し、魚雷を4本発射[51]。魚雷は駆逐艦夕霧の艦首部に命中し、艦首折損の損害を受けた[46][52]。翌17日にも北緯00度45分 東経148度30分 / 北緯0.750度 東経148.500度 / 0.750; 148.500の地点で陸軍船英蘭(いんぐらんど)丸(山下汽船、5,829トン)を撃沈した。


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