1981年1月、東京・有楽町の日劇が取り壊されるのを前に、内田裕也を中心に『サヨナラ日劇ウエスタンカーニバル』が開催され、ザ・タイガース、ザ・スパイダース、ジャッキー吉川とブルーコメッツ、ザ・カーナビーツなど往年のグループ・サウンズが再結成した。ザ・タイガースは1981年11月に本格的な再結成が発表され、翌1982年に全国主要都市でのツアーを展開した。一方ザ・ワイルドワンズも、1981年に再結成し、21世紀も活動中である。またジャッキー吉川とブルー・コメッツは解散せず(いわゆるGSとしてのブルー・コメッツは1972年秋に解散=再編成という形を採った)にメンバーチェンジを繰り返しながら活動を続けている。
また1988年から1993年にかけて、タイガース・メモリアル・クラブ・バンドと称したユニットが結成され、当時のヒット曲を次々と披露した。さらに、沢田研二の物真似をやっていた岩本恭生が彼らに感動し、ザ・タイガースのメンバーの内、加橋かつみ、森本太郎、岸部シローとザ・タイガースマニアというバンドを1993年に結成し、「涙のロマンス」をリリースした。2002年にはヴィレッジ・シンガーズの『亜麻色の髪の乙女』が島谷ひとみによってカバーされ(詳細はこちらの項目を参照)てスマッシュ・ヒットとなった。
GSはブームが去った後、いわゆる『懐メロ』として長らく扱われた。だが、1980年代半ばからのGS研究家、黒沢進による研究や近田春夫による再検証がおこなわれ、一部から注目されるようになった。モップスは、海外でも『サイケデリック・ロック』や『ガレージロック』、として評価されている[13]。日本ではレーベル別の再編集アルバムや、ジャンル別のアルバム、発売当時そのままの紙ジャケット仕様によるCD再発などのリリースが相次いだ。
1980年代半ばに登場したC-C-Bは筒美京平が曲を提供していた[注 9]。時をほぼ同じくして、GSファンの若い世代が東京のライブハウスを中心にGS風の曲を演奏する現象が見られた。当時の代表的なバンドは ザ・ファントムギフト、ザ・コレクターズ等が挙げられる。このムーブメントは一部のメディアに取り上げられたが、小さな現象であった。その後もデキシード・ザ・エモンズ等がGSを継承した。
そして21世紀以降もキノコホテル、ザ・キャプテンズ、ザ・シャロウズなどのGS風ロックバンドやGSフォロワーが生まれている。2010年以降は、元ジャッキー吉川とブルー・コメッツの三原綱木がプロデュースするザ・ジュリアンズなどのバンドが誕生している。 ※黒澤進が定義する主要10グループ・サウンズ[14]
日本のグループ・サウンズ
主要10グループ・サウンズ
ヴィレッジ・シンガーズ(ヴィレッジシンガーズ)
オックス
ザ・カーナビーツ
ザ・ゴールデン・カップス
ザ・スパイダース(田辺昭知とザ・スパイダース)
ザ・ジャガーズ
ブルー・コメッツ(ジャッキー吉川とブルー・コメッツ)
ザ・タイガース
ザ・テンプターズ
ザ・ワイルドワンズ(ザ・ワイルド・ワンズ、加瀬邦彦とザ・ワイルドワンズ等)
その他のグループ・サウンズ
アウト・キャスト([15]G&Vo.水谷公生、Key. 穂口雄右)
アダムス
井上宗孝とシャープ・ファイブ:曲「追憶」
ザ・ヴァン・ドッグス
内田裕也とザ・フラワーズ(内田裕也、Vo. 麻生レミ)
江田聖明とザ・ブレイズ
ジ・エドワーズ(G. 大石吾朗):曲「クライ・クライ・クライ」
オリーヴ
ザ・ガリバーズ
ザ・キッパーズ[16]
ザ・キングス
ザ・クーガーズ
ザ・サニー・ファイブ
ザ・サベージ(B. 寺尾聰)
ザ・ジェット・ブラザーズ
ザ・ジェノバ:曲「サハリンの灯は消えず」
ザ・シェリーズ
ザ・ジャイアンツ[16]
ザ・シャーウッド
シャープ・ホークス(Vo. 安岡力也)
ザ・スウィング・ウエスト(ザ・スィング・ウェスト等)(Vo. 湯原昌幸)
スケルトンズ
ズー・ニー・ヴー(Vo. 町田義人)
ザ・スパローズ(G&Vo.中本直樹)
ザ・スピリッツ
ザ・ダイナマイツ[17](Vo. 瀬川洋、G. 山口冨士夫)
ザ・ダーツ
ザ・タックスマン
ザ・ターマイツ
千葉真一とザ・サタンズ[18][19]
ザ・デビィーズ
寺内タケシとブルージーンズ、寺内タケシとバニーズ