グランド・オール・オープリー
[Wikipedia|▼Menu]
ケンタッキーの青い月」を、その曲の作曲者で当時レギュラー出演者だったビル・モンローの前で演奏した。モンローはそのアレンジに怒り出すとプレスリーは思ったが、逆に感心された。司会者のジム・デニーは、プレスリーに「メンフィスに戻ってトラックの運転手をやり直した方がいい」と言ったといわれている。
1960年代

1960年代、ヒッピー反体制文化の広がりにより、オープリーは長髪を受け入れない保守的で道徳的な立場を保持していた。カントリーロック先駆者のグラム・パーソンズが当時メンバーであったバーズアルバムロデオの恋人』のためにナッシュビルにやってきた[10]。このバンドのレコードレーベルコロムビア・レコードは1968年3月15日にライマン公会堂で演奏できるようアレンジし、パーソンズはこれを楽しみにしていた[10]。しかしながら観客の声援に応え舞台に登場しようとした途端に出演を止められ、客席からはヤジ、ブーイング、「歌え、歌え」とのコールが起こった[11]。トムポール・グレイサーに曲紹介されたマール・ハガードの『Life in Prison 』のカバーを歌う予定であったが、怒った彼らは代わりに『Hickory Wind 』を歌った[10]
オープリー・ハウス


グランド・オール・オープリー・ハウス
Grand Ole Opry House
アメリカ合衆国国家歴史登録財

.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}
所在地アメリカ合衆国テネシー州ナッシュビル
オープリーランド・ドライブ2804番地[13]
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}南緯nan° 西経nan° / 北緯-nan度 東経-nan度 / -nan; -nan
面積約4エーカー(16,187m2)[13]
建設1972年-1974年[13]
建築家ウェルトン・ベケット&アソシエイツ;ピア・キャブロル[13]
建築様式モダン/ブルタリスト[13]
再建2010年(洪水被害の修復)
NRHP登録番号14001222[12]
NRHP指定日2015年1月27日

1974年、その後はナッシュビルのダウンタウンの9マイル (14 km)東に4,400席のグランド・オール・オープリー・ハウスが建設され、ショーも移動した。2年前に開業したオープリーランドUSAというテーマパークに隣接。オープリー・ハウス開幕日の3月16日、リチャード・ニクソン大統領が来訪し、ピアノで何曲か演奏した[14]。ライマン公会堂のオーク材の舞台を直径6フィート (1.8 m)の円形に切抜き、新しいオープリー・ハウスの舞台にはめ込んだ。

テーマパークのオープリーランドUSAは1997年に閉鎖され、オープリー・ミルズ・モールとして生まれ変わり、オープリー・ハウスはそのまま存続し、新しい施設に合併。北米最大のカジノのないホテル、ゲイロード・オープリーランド・リゾート・アンド・コンベンション・センターが建てられた。現在も世界中のファンが、オープリーの音楽を見にナッシュビルに観光に来ている。現在『グランド・オール・オープリー』は、ライマン公会堂の年に一度の冬季公演を除き、グランド・オール・オープリーで週に数回公演が行なわれる。
2010年の洪水

2010年5月、オープリー・ハウスはテネシー洪水によるカンバーランド川沿岸決壊によりナッシュビル全域同様浸水被害を受けた。復旧作業中、ナッシュビル市内の会場を一時的に使用し、多くの公演はライマン公会堂で行なわれた。また以前オープリーを公演していた戦争記念館の他、TPACアンドリュー・ジャクソン・ホール、ナッシュビル市民会館、リプスコム大学のアレン・アリーナ、トゥ・リヴァーズ・バプティスト教会などが使用された[15]。2010年9月28日、オープリーがグランド・オール・オープリー・ハウスに戻り、特別番組『カントリー・カムズ・ホーム』としてグレート・アメリカン・カントリーでテレビで生放送された。この日はオープリーの歴史的な日の1つとなった。マルティナ・マクブライドとコニー・スミスはスミスの『Once a Day 』をデュエットし、ディークス・ベントリーとデル・マクーリーは『Roll On Buddy, Roll On 』、ジョシュ・ターナーとロリー・モーガンは『Golden Ring 』、モンゴメリー・ジェントリーチャーリー・ダニエルズ・バンドは『The Devil Went Down to Georgia 』を演奏するなど数々のコラボレーションが行なわれた。この公演はブラッド・ペイズリーキース・アーバン、スティーヴ・ウォリナー、リッキー・スキャグス、マーティ・スチュアートのオールスターギタージャムで幕を閉じた。
文化、経済的側面

あらゆる面において、オプリはアメリカのカントリー音楽の登竜門と定義されている。新人、スーパースター、伝説の人を問わず、数百の演奏家が出演した。グランド・オール・オプリに出演することは、カントリー音楽のエリートであることを意味していた。番組開始当初は出力も小さく、ナッシュビル発の電波を受信できるような地域では、オプリは例外として早朝か昼に放送されることが一般的で、それは聴取者が主に農家であったことによる。アパラチアの山村の農民たちは、土曜の夜のオプリを聞くために、数マイル離れたラジオのある家に集まって熱心に聞いた。特に、辺境の地に住むミュージシャンはその一流のミュージシャンたちの演奏技術を盗もうと耳をそばだてて聞いた。チェット・アトキンスもオプリを聞いて独学でギターを学んだ一人である。

オプリでは出演者へのギャラはないこともしばしばで、演奏者たちは、代わりに自分達のツアーやコンサートの告知ができればいいと思っていた。しかし、やがて出演者たちは、隔週でレギュラー出演するとしても、年に少なくとも26回はナッシュビルで番組にノーギャラで出ることが重荷になっていった。このため、1960年代中期には出演料が出されることになり、落ちていた番組の質は向上した。

長年、グランド・オール・オプリへの出演はカントリー音楽のスターへの道と考えられていたが、1970年代終わりと1980年代前半には、かつてのスターしか出演しなくなったため、「古くさいお遊び」として見放されるようになった。特にドラムとエレキ楽器の使用がされなかったという点では、新しくて若いカントリーロックのアーティストは出演できなかった。保守的なカントリー音楽の伝統を守っていることで、よくも悪くも、オプリは長年続けることができたとも言える。

2004年9月、グランド・オール・オプリはカントリー料理のチェーンレストラン、クラッカー・バレルを提供スポンサーに迎え、「グランド・オール・オプリ presented by クラッカー・バレル」となった。
放送

『グランド・オール・オープリー』は中部標準時で土曜夜7時よりWSM-AMで生放送されている。以前は6時半からだったが短縮された。同様の番組として『フライデー・ナイト・オープリー』が金曜夜に生放送される。3月から12月、『チューズデー・ナイト・オープリー』も生放送される[16]

オープリーでの演奏は『Willie's Roadhouse 』(XM Satellite Radio チャンネル56、Sirius チャンネル64)でも聴くことができる。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:56 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef