グラミー賞
[Wikipedia|▼Menu]
Album of the Year(最優秀アルバム賞) - アルバム演奏者および製作チームに授与される。

Record of the Year(最優秀レコード賞) - シングル曲演奏者および製作チームに授与される。

Song of the Year(最優秀楽曲賞) - シングル曲の作詞者、作曲者に授与される。

Best New Artist(最優秀新人賞) - この1年で著しい活躍をみせた新人に授与される。正確な発売日やデビュー日時は考慮されない。

主要4部門の受賞者はグラミー賞受賞者一覧を参照。

その他の賞はジャンルによってアートワークやビデオを含み演奏者や製作者に授与される。音楽業界へ長年貢献してきた者には特別賞が授与される。

2023年現在、84カテゴリーと膨大であり、様々なアーチストの演奏も行われることから、上記の主要4部門およびポップ・ミュージックロックカントリー・ミュージックラップなど最も人気のあるジャンルから1から2カテゴリーの授賞式のみテレビ放送される。その他の賞は授賞式当日昼間からテレビ放送前に授与される。
カテゴリー再編

2011年4月6日、NARASは2012年に行われる第54回グラミー賞のカテゴリーの多くの大幅な見直しを発表し[11]、カテゴリー数は109から78に減少した。最も重要な変更点はラップ、ロック、リズム・アンド・ブルース、カントリー、ラップで男女、コラボレーションおよびデュオやグループの区別がなくなったことである。また、インストゥルメンタルのソロのいくつかのカテゴリーがなくなった。これらのカテゴリーは現在他のジャンルの最優秀ソロに含まれる。

ロック部門ではハードロックメタルは一緒にされ、最優秀ロック・インストゥルメンタル・パフォーマンス賞は演奏者の減少により削除された。

リズム・アンド・ブルース部門ではコンテンポラリー・リズム・アンド・ブルースと他のリズム・アンド・ブルースとのアルバムの差異はなくなった。現在どちらも最優秀リズム・アンド・ブルース・アルバム賞として授与される。

ラップ部門ではソロとデュオおよびグループは合併され、最優秀ラップ・パフォーマンス賞となった。

アメリカン・ルーツ・ミュージック部門において大幅な削除が行われた。2011年まではハワイアン・ミュージックネイティブ・アメリカン・ミュージック、ザディコまたはケイジャン・ミュージックなどアメリカ国内の様々な地域の音楽のカテゴリーがあった。しかしこのカテゴリーでの演奏者の数が常に少なく、2009年に削除されたポルカと共に最優秀リージョナル・ルーツ・ミュージック・アルバム賞として統合された。

また同部門において、コンテンポラリー・フォークとアメリカーナ、コンテンポラリー・ブルースとトラディショナル・ブルースの区別がなくなってきたことから、ブルースのトラディショナルとコンテンポラリー、フォークのトラディショナルとコンテンポラリーがそれぞれ統合された。ワールドミュージック部門でもトラディショナルとコンテンポラリーが合併された。

クラシック音楽部門では最優秀クラシック・アルバム賞が広義すぎるため、この賞に受賞したアルバムがクラシック部門の他のアルバム賞でも受賞し重複することが多いため削除された。クラシックのアルバムも現在最優秀アルバム賞を受賞可能である。

その他にもより自然に近い名前に変更されるなど、小さな改変がいくつか加えられた。ゴスペル部門は「ゴスペル」という言葉がコンテンポラリー・クリスチャン・ミュージックとかけ離れた伝統的なソウル・ゴスペルを思い起こさせるため、ゴスペル/コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージック部門となった。
会場

1971年までグラミー賞授賞式は毎年違う会場で行われ、元々はニューヨーク市ロサンゼルスが主催地であった。1962年、シカゴが主催地に加わり、1965年、ナッシュビルが第4の主催地となった。

1971年、ロサンゼルスのハリウッド・パラディアム(英語版)で行われた第13回グラミー賞(英語版)が、1箇所で行われた最初の授賞式となった。その後ニューヨーク市のマディソン・スクエア・ガーデンのフェルト・フォーラムに移動し、更にその後2年間はナッシュビルのテネシー・シアターで行われた。1974年から2003年、ニューヨーク市とロサンゼルスのいくつかの会場で行われた。主な会場はニューヨーク市のマディソン・スクエア・ガーデン、ラジオシティ・ミュージックホール、ロサンゼルスのシュライン・オーディトリアムステイプルズ・センター、ハリウッド・パラディアムである。

2004年、ステイプルズ・センターが恒久的授賞式会場となった。グラミー賞の歴史を振り返るグラミー博物館がステイプルズ・センターの向かい側のL.A.ライブに創設された。博物館の歩道にはハリウッド・ウォーク・オブ・フェームのように毎年の最優秀アルバム賞、最優秀レコード賞、最優秀楽曲賞の受賞者のブロンズ・ディスクが埋め込まれている。
受賞者
最多受賞者

ビヨンセが史上最多の32回の受賞者である。グループでは22回受賞のU2が最多である。
日本人受賞者
詳細は「日本人のグラミー賞受賞者」を参照
批判

グラミー賞はミュージシャン音楽評論家から批判を受けることがある。

1991年、シネイド・オコナーは4部門でノミネート(1部門受賞)されたものの、商業的な祭典であることを理由に授賞式への参加を拒否した。これはグラミー賞史上初めての出来事となった[12]

1996年、パール・ジャムが最優秀ハードロック・パフォーマンス賞を受賞した際には、リードボーカルエディ・ヴェダーが「この賞に何の意味があるのか分からない。全く意味がないと思う」とスピーチし、物議を醸した[13]。同年、6部門にノミネートされていたマライア・キャリーが何も受賞できなかったことに論争が巻き起こった。彼女のアルバム『デイドリーム』は全米で1,000万枚以上を売り上げ、ボーイズIIメンと歌ったシングル『ワン・スウィート・デイ』が当時のビルボード Hot 100で史上最長となる16週連続1位を記録するなど、評論家たちは彼女の受賞は間違いないものと予想していた[14]。受賞を完全に逃した瞬間の彼女の落胆した表情がテレビ画面に映し出され、話題となった。

2021年にドレイクがグラミー賞にノミネートされるも、ドレイクはこれを拒否し取り下げを要求した[15]。また、en:Rap-A-Lot RecordsのCEOen:James Princeは、2022年のグラミー賞授賞式と同日にヒップホップのイベントを開催するよう呼び掛けるなど、ヒップホップカルチャーでグラミー賞ボイコットの動きが見られている[16]
秘密委員会問題

秘密委員会は1989年に設置され、1995年から主要4部門の最終選考に関与していた。2019年にグラミー会長となったデボラ・ドゥーガンはノミネートの選考過程の見直しを唱えたところ、他の上層部からの猛反発を受け、2020年にグラミー協会から追放された[17]

2020年にザ・ウィークエンドブラインディング・ライツが世界的に大ヒット。グラミー賞主要部門を独占すると予想されていた[18]が、1部門もノミネートすらされなかったという事件が発生。これは、ザ・ウィークエンドが2021年スーパーボウルハーフタイムショーに出演することが原因とも言われている[19]。これを受けて、ザ・ウィークエンドはグラミー協会を猛批判し、今後のグラミー賞ボイコットを発表した。世論はザ・ウィークエンドを支持し、これを受けてグラミー協会は2021年以降の秘密委員会の廃止を決定した[20]
日本での放送
テレビ中継

1989年の授賞式まではテレビ朝日系で放送され、翌1990年の授賞式からはテレビ東京系に移る。その後、1990年代後半よりWOWOWで放送されている。生中継は同時通訳を介して放送され、再放送は字幕スーパーによる放送となる。
2017年の放送


WOWOWで生中継
案内役:ジョン・カビラホラン千秋
ラジオ中継

1980年に、FM大阪が日本国内での独占放送権を獲得し、JFN系全国ネットで放送された。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:44 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef