この他にも、元衆議院議員の上西小百合が議員在職中に写真集を発売したり、藤川優里(青森県八戸市の市議会議員)が市議会選挙初当選後に水着姿が収録された写真集やDVDを発売したことでも話題となったが、上西・藤川は大学時代にキャンペンガールやタレントとして活動経験がある。
2020年代からはりりか、あみちなどSNSインフルエンサーのグラビア進出が本格化。週刊プレイボーイ編集部・金髪りさはグラビアをやっているインフルエンサーに「グラエンサ―」と名付けた[31]。 バーチャルアイドル#AIグラビアアイドル参照。 日本においての「グラビアアイドル(以下、特別な場合を除きグラドルに略記)」の歴史は、キャンペーンガールとして1976年より活躍したアグネス・ラム(ハワイ出身)に始まる。 この時代はグラビア誌面の雑誌は、『平凡パンチ』(1964年創刊、マガジンハウス刊)、『週刊プレイボーイ』(1966年創刊、集英社刊)などの週刊誌系のみで、飾っていたのは当時の女性アイドルと専任のヌードモデルたちであった。 女性アイドルのメインは、ほぼすべてがテレビ出演やコンサートでの歌手活動で「アイドル歌手」とも呼ばれ、彼女らのグラビアにおける水着披露は、歌手としての人気を獲得するプロモーションの一環に過ぎず、「あくまで本業は歌手」の前提であった。 1974年に小学館からA4大判のグラビア雑誌『GORO』が創刊される。それまでの雑誌グラビアが、どちらかと言えば読み物記事の添え物といったような扱いだったのに対し、『GORO』は表紙と巻頭グラビアを写真家篠山紀信が担当した。無名女性モデルのヌードからアイドル歌手、新進の若手女優を等価に扱ったグラビアコーナー「激写」を生み出し、これが世に受けてグラビア写真により大きな比重を置いた雑誌として、成人男性読者を中心に大きな反響を呼ぶ。 1980年代前半当時の芸能界は、山口百恵引退後の第2期女性アイドル歌手ブームが起きていた時期であり、掲載していた場合について、まだ世間的にも女性アイドルが「グラビアに載っている」という捉え方でしかなかったが、アイドル歌手、クラリオンガールなどのキャンペーンガールや新人女優が、グラビアで水着を披露する割合が多かった。 1984年、堀江しのぶがデビューする。堀江は後に巨乳アイドルブームの立役者となる野田義治(現:サンズエンタテインメント会長)の秘蔵っ子であり、野田に「堀江を売り出すためにイエローキャブを創った」と言わしめるほどの存在だった。グラビアで人気を獲得した堀江は徐々にバラエティー番組やドラマ、映画へと活動の幅を拡げ、現代においても見られる「グラドル→マルチタレント」の流れの基礎を築いたが、4年後の1988年9月に、胃癌により23歳の若さで急逝。彼女の死が大きく報じられたことによりグラドルの存在を世に記す第一歩となり、その後野田が手掛けたかとうれいこや細川ふみえも、豊満で肉感的なスタイルを活かしてまずグラビアで人気を博した後、テレビ番組など活動の幅を拡げており、野田率いるイエローキャブはグラビア界で地位を確立した。 1990年代に入ると、大手のオスカープロモーションがC.C.ガールズやシェイプUPガールズといった、セクシー路線に徹したアイドルグループを売り出し、こうしたセクシータレント及びグループが多数登場した。しかしながら、この時点でも「グラビアアイドル」の言葉は浸透しておらず、売り込む対象は一部の男性層に限られており、彼女たちは(後年には別な意味合いとなる)「セクシータレント」などと呼称をされていた。 1994年、この年にエポックメーキングな登場をしたのが雛形あきこである。2年前に俳優として芸能界デビューしていたが伸び悩んでおり、イエローキャブに移籍して水着グラビアを始めるとその素質が一気に開花する。俗に「雛ポーズ」と呼ばれる両腕を絞って胸の谷間を強調するポーズで広く知られ、これ以降の水着グラビアに一定の方向性を示した。 イエローキャブ系の巨乳グラドルが隆盛の中、細身で美乳の新しいタイプのタレントとして、藤崎奈々子や山川恵里佳らを擁するアバンギャルドが台頭し、彼女らもグラビアでの成功を機にマルチタレントへとステップアップしている。 また、この頃から大手プロダクションもグラビアアイドルを手掛けるようになり、ホリプロからは優香がデビュー。1年後の1998年にゴールデン・アロー賞のグラフ賞を受賞したのを皮切りに、1999年度には最優秀新人賞・放送新人賞を、2000年度にも放送賞を受賞し、2002年度には記念表彰のゴールデングラフ賞を受ける快挙を成し遂げ、グラビアタレントの地位向上に大きく貢献した。 イエローキャブ系以外の巨乳グラドルとしては、青木裕子、黒田美礼、坂木優子、松田千奈などが活躍。取り分け、青木裕子と黒田美礼はグラビア雑誌の表紙を競い合うように飾ったが、雑誌以外のメディアに出演することは少なかった。一方、坂木優子や松田千奈はバラエティやVシネマなどでも活躍した。 1990年代末期になると、バストのサイズが100cmを超えるグラドルも登場。大沢舞子(100cm、1999年デビュー当時はみなみ名義)を皮切りに、2000年代以降の根本はるみ(103cm)、石川夕紀(105cm)へとつながっていく。また、巨乳グラドルの増加に伴い、雑誌の紹介記事などでは、サイズに加えてカップが記載され、キャッチコピーで使われることも多くなっていった。 2000年以降、アイドル系の新しいグッズアイテムとしてトレーディングカードが登場し、グラドルの有力商品グッズの1つとして定着していった。 グラビアタレントのバラエティ番組への本格的進出が顕著になり、特にMEGUMIや若槻千夏をはじめとする「芸人並にしゃべれて面白いリアクションができるグラビアタレント」の出現が、グラビアタレントの裾野を広げる大きなきっかけとなった。 この頃から大抵の番組では俗に「グラビアタレント枠」と言われるものが設けられ、お笑い芸人たちに混じって番組を盛り上げる役として、お茶の間の人気を獲得していく。 2000年代中盤以後、ライブアイドル・ファッション雑誌専属モデルなど、グラビアのキャリアなくキャリアを成長させるタレントの増加などがみられるほか、グラビアタレントより露出の多いジャンルへの人材流出などがみられた。 2000年代中盤以後、『ヤングガンガン』(スクウェア・エニックス)の新規参入や『漫画アクション』(双葉社)、『ヤングキング』(少年画報社)の復活といったものはあるものの、グラビア業界の市場規模の拡大については、陰りが見え始めた。 市場規模拡大について陰りが見えた主な原因として、少子化によるグラビア誌の購買人口の減少や、出版不況による紙媒体の衰退などがあげられる。2008年夏には『週刊ヤングサンデー』が『ビッグコミックスピリッツ』に編入される形で休刊され、2010年の始めには『sabra(サブラ)』が紙媒体からWEBサイトへ移行した。 更に2010年ごろから、AKB48などのグループ・アイドルやファッション誌のモデルらが、雑誌の表紙やグラビアページ、更には先述したバラエティ番組の「グラビアタレント枠」に割って登場するようになり、既存グラドルの活躍の場が、少しずつ失われていった[32]。グラビア出身の小池栄子、酒井若菜らはこの間に女優業へシフトしていった。そんなグラビア冬の時代と言われる中で奮闘したのが14歳でデビューした篠崎愛、12歳でプレイボーイの表紙となった紗綾らのジュニアアイドル出身者や、吉木りさ、おのののから癒し系と言われるアイドルたちである[33]。 こうした中、倉持由香や塚本舞、鈴木咲らは、SNSなどで水着姿の自画撮り画像を公開し、雑誌や既存メディアに頼ることなく、水着グラビアを披露する動きが出てくる[34]。後に倉持は人気グラドルの一人となり、SNSなどの自画撮り画像の公開は、その後のグラドルたちのアピール手法の一つとして確立する[34]。そして、デジタルカメラの普及により、全国的に増加していた撮影会への出演を通して知名度を重ねていく。 また、いわゆる「ご当地アイドル」ブームの低下と同時に、ライブアイドルたちがタレントとしての生き残りを探る中で、水着グラビアを披露する例が増加する。 2010年代中ごろから、イメージDVDなどに出演していたモデルがAV女優に転身するケースとして、AV女優やヌードモデルとして活動させることが決まっているタレントに「タレント」の肩書をつけ、転身の箔を付けさせるため、あらかじめ水着・着エロなどでのグラビア媒体に出演させる例も見られていく。 2016年ごろからは、グラビアタレントとしてもファッションモデルとしても活躍する人物が「モグラ女子」として注目されるようになり、馬場ふみか、久松郁実、内田理央、大川藍、泉里香、武田玲奈、石川恋、朝比奈彩、松元絵里花、武田あやな、松本愛らが活躍[35]。 2017年ごろより、AKB48系アイドルタレントが、グラビア活動をセーブする[要出典]。 その一方、非AKB系のメジャーアイドルユニットを抱える事務所は、AKB系が独占してきた雑誌グラビア枠に、続々と所属タレントを出演する戦略を取った。これまで音楽業界に重点をおいてきた大手エイベックス・マネジメント(浅川梨奈・出口亜梨沙・大原優乃など)も、先行するアップフロントプロモーション勢(例えば牧野真莉愛・譜久村聖・植村あかりら)のように、グラビア業界に参入していった。 2018年ごろからは、新興のモデル事務所であるリップ(葉月あや・橋本梨菜・森咲智美・戸田れいなど)、ゼロイチファミリア(青山ひかる・桃月なしこ・伊織いおなど)のタレントがグラビア界に参入する。 そして脊山麻理子・塩地美澄・薄井しお里・鷲見玲奈・森香澄ら、アナウンサーからの転身組、えなこ・伊織もえなどのコスプレーヤーの登場など、多種多様なジャンルから、モデルが参入する。 こうして、群雄割拠な状況ながら、グラビアタレントは復権しつつある。2022年5月、週刊プレイボーイ編集部(週プレチャンネル担当)の金髪りさ、とりはグラビアアイドル104人にアンケートを行い、ライバルは「いない」と答えた女性が多かったことに言及し、SNSで誰でも自己発信できるようになり、いかに自分らしさを写真などで表現するかが大事になった時代と考察している[36]。 一方、2023年12月には女性ファッション誌『LARME』から仲川瑠夏と月足天音を起用したデジタル写真集が発売。これまでも女性向け女性グラビアは『an an』や『ar』で観られたが、デジタル写真集に落とし込んだのは珍しく、水着や下着表現も多いことから、女性向け女性グラビアの誕生と位置付けられた[31]。週刊プレイボーイにおいてもファッション誌カメラマンである東京祐、中村和孝、前康輔の起用が増えるなどコンテンツのボーダーレス化が増した[31]。 社団法人(現:一般社団法人)日本雑誌協会雑誌芸能記者クラブ主催の「ゴールデン・アロー賞」には、日本雑誌写真記者会が選考する「グラフ賞」があり、もともとその年度で最も雑誌のグラビアを飾り話題を提供した被写体が受賞者に選出されていた。 以下、1998年度(第36回)受賞の優香以降は、グラビアアイドルの登竜門的な賞となっていた。
AIグラビアアイドル
足跡
1970年 - 1980年代
1990年代
2000年代以降
グラビアアイドル関連のプロジェクト・コンテスト
ゴールデン・アロー賞「グラフ賞」
1998年度(第36回):優香
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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