グラビアアイドル
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洋の東西を問わずにセクシーさを前面に打ち出した歌手・アーティストも非常に多く[17]、セクシャルな自身の姿をレコードジャケットなどに採用したり、セクシャルなミュージックビデオを製作するなども多くみられ、このことから、グラビア活動を展開するものも多い。日本でも過去には奥村チヨ山本リンダ五月みどり西川峰子阿川泰子、といったセクシー系歌手などがみられ、昨今でも藤田恵名望月琉叶、Sharo、紫艶はやせひとみ真梨邑ケイ秋本奈緒美倖田來未八反安未果 谷村奈南など、多くがグラビアタレント活動を展開する。

グラビア活動も展開していた浜崎あゆみは一時の休業を経て、自ら作詞もこなせる歌手として再デビュー、日本を代表するアーティストへと成長した。

2010年代半ばには「1番脱げるシンガー・ソングライター」の異名をもつ藤田恵名がミス東スポ2014グランプリ受賞などでブレイクした[18]。歌うことが本業の意味では、後述のアイドルグループもこの系統だといえる。
アイドルグループメンバー

アイドルタレントが、自身の歌手活動と連動して水着グラビアに出演する手法は、1970年代から現代まで用いられており、特に新しい芸能活動の手法ではないし、アイドルがユニット化した2000年代以降においても同様である。

1980年代半ばのおニャン子クラブをはじめ、「アイドル冬の時代」とされる1990年代前半の正統派アイドルおよびアイドルユニット(乙女塾系や桜っ子クラブなど)のメンバーも、音楽番組などへの出演数が減った分、雑誌などの水着グラビアに積極的に出演し、存在感を示す手法が取られた。

1990年代後半から2000年代前半にかけてミリオンセラーを連発し、本業の音楽活動でも成功したモーニング娘。などのハロー!プロジェクトや、Dream(ドリーム)なども、メンバーのソロ活動の中で、雑誌グラビアに取り上げられ、水着姿が中心の写真集やDVDを発売する事例も多かった。

2000年代後半から国民的な人気を得たAKB48とその姉妹グループメンバーらは、活動当初からメンバー各自で水着グラビアに積極的に進出し、CDセールスや総選挙・握手会といったライブアイドルとしての先客とは別の男性ファンを獲得する原動力となった。

2010年代からはさらにアイドルグループグラビア進出が活発となり、SUPER☆GiRLSフェアリーズらが雑誌グラビアやグラビア写真集に登場した。同年代後半からは、乃木坂46欅坂46らの坂道グループが雑誌グラビアに登場し始める。雑誌グラビアでは水着を封印していた坂道グループは写真集で水着グラビアを披露し、乃木坂46の白石麻衣の写真集は売上歴代1位になるなど、坂道グループメンバーのグラビア写真集が写真集の売上ランキングを席巻した。2000年代後半に活躍したAKB48グループの卒業生もグラビアアイドルに転向し、中でも永尾まりや平嶋夏海は水着グラビア界でも活躍した。

2022年の「オリコン年間BOOKランキング」女性写真集部門では、乃木坂46、櫻坂46、日向坂46のいわゆる「坂道グループ」関連作品が1位から10位までを独占した[11]。雑誌グラビアではHKT48田中美久が30以上の雑誌で表紙を飾った[11]
ファッションモデル系

1990年代後半になると、ローティーン向けファッション誌の専属モデルを務め、同世代の少女たちに人気のあったタレントらが、専属モデル卒業を機に、もしくは高校進学した時期に合わせて、続々とグラビア界に進出させる青田買いが増え始めた。

これは、前述した「グラビアからの転身」とは逆の現象であり、これらのタレントは、新たに別のファッション誌などでモデルに起用されるまで、あるいはテレビドラマや映画などで、ある程度女優としての経験を積むまで、グラビア活動を並行継続している。

古くは、例えば『ピチレモン』出身では榎本加奈子酒井彩名、加藤あいなどがこのケースで、酒井と加藤は新人グラビアタレントを発掘することを目的とした日本テレビのプロジェクト『日テレジェニック』の第1回メンバーにも選出されている。

2000年代に入っても、この流れは続き、当時Seventeen(セブンティーン)誌の専属モデルとして人気を誇っていた榮倉奈々は、現役専属モデルとして水着写真集を出版し、水着グラビアに挑戦しており、当時のティーン向けファッション誌では珍しい例であった。同様の現役専属モデルでのケースには、ピチレモン(PichiLemon)誌の専属モデルとして人気を誇っていた福原遥の例がある。

その他にも、『ニコラ』で幾度となく表紙を飾った新垣結衣岡本玲川口春奈らも、同誌卒業後に女優業の傍ら、グラビアにも短期間進出した。同誌では久保ユリカなどは卒業後、イメージビデオを多く発売する展開を見せていく。そのほかにも天野莉絵(ピチレモン) 岩ア名美(ハナチュー) 大野いと(Seventeen) 岡崎紗絵(Seventeen) 尾形沙耶香(Seventeen) 泉はる(ニコラ、non-no) 北乃きい(ハナチュー) 北山詩織(Seventeen) 新川優愛(Seventeen、non-no) 杉本有美(ピチレモン、JJ) 千眼美子(ラブベリー) 広瀬アリス(Seventeen) 水沢奈子(ピチレモン、ハナチュー) 三原勇希(ニコラ) 安田聖愛(ラブベリー) 岡本夏美(Seventeen、ラブベリー、ニコラ、non-no) 川津明日香(Seventeen) 飯豊まりえ(Seventeen、ニコラ) 大原優乃(ピチレモン)らの例がみられる。

2015年ごろからは、女性ファッション雑誌モデルのグラビア進出が「モグラ女子」と呼ばれムーブメントになった(後述)。
アナウンサー系

1990年代からあった流れとしては、テレビ局のアナウンサーがタレント並みに注目されるにつれ、フリーアナウンサー・キャスターとなって、グラビアを通して清楚で知的な雰囲気を醸し出し、一定の男性ファンを獲得する手法が取られた。

キャスターとしてのイメージを守るためか、ヌードや水着グラビアは無く、露出は抑えめにする例(根本美緒杉崎美香小林麻央皆藤愛子ら)が多いが、お天気キャスターで全国区の人気を得た角田華子吉田恵が写真集で水着姿を披露したり、競馬番組のキャスターだった柳沼淳子、NHK契約キャスター出身の古瀬絵理らが積極的にグラビアに進出する動きも出てきた。これらはフリーアナウンサーの枠組みができたことが大きい。

2010年代に入ると、タレントとしてのキャリアがあるアナウンサー・キャスターが増加したことや、フリーアナウンサーそのものが供給過多状態になったことから、脊山麻理子塩地美澄伊東紗冶子薄井しお里など、局アナからグラビアタレントに転向し、水着グラビアに進出する者も現れている。一方で、前述のフリーアナウンサーの露出を抑えたグラビア進出の影響から、局アナのグラビア進出も鷲見玲奈(テレビ東京、のちにフリー)[19]三谷紬(テレビ朝日)など稀にみられるようになった[20]。局アナやフリーアナウンサーを問わず、レアな露出と美貌や知性で人気を集めているとされる[21]
アスリート系

日本国外でもアリカ・シュミットなどの例があるとおり、スポーツの分野では、日本の例においてもスポーツ出身タレントもしくは現役アスリートで兼務する者も非常に多く、ビーチバレー選手(当時)の浅尾美和がそのアイドル並みのルックスの良さと鍛えられたしなやかな肢体が注目されて、オフシーズンの活動の一環としてグラビア活動をするようになり、水着写真集を発売、テレビ広告にも起用されるなどビーチバレーの知名度向上に一役買ったことが知られる。ほかに高野人母美菅山かおる益子直美中田久美長崎宏子岩崎恭子田島寧子寺川綾伊藤華英村主章枝今井メロ中村真衣中西悠子畠山愛理などの例が見られ、また女子プロレスラーなどが並行しまたは引退後にグラビアタレント活動を展開することが多い。

逆に、グラビアタレントからプロアスリートに転向した稀有な例もある。中原未來は元来ギャンブル好きで自身は賭ける側であったが、仕事でガールズケイリンの存在を知ったことで自身も競輪選手に憧れ競輪選手への転向を目指し芸能界を引退した。中原はのち日本競輪学校(当時)の入学試験に合格、同校で訓練を積んだのち2018年7月より本名の日野未来としてガールズケイリンでプロデビューを果たし、トップレーサーにまで登り詰めた[22][23][注釈 1]。ほかにも、プロレスリング転向組もおり、2010年代以降、愛川ゆず季まなせゆうな万喜なつみ白川未奈らがリングデビューしている。
その他(声優など)

また、グラビア界には、前述の傾向以外からの進出も増えているが、2000年代後半からはその流れが加速している。

声優界では、アイドル声優として知られる平野綾たかはし智秋戸松遥などが、いずれもグラビアアイドルと同様の水着姿を披露していくほか、2010年代になると、内田真礼[25]佐倉綾音[26]水瀬いのり[27]小倉唯[27]斉藤朱夏[28]逢田梨香子[29]豊田萌絵[30]などのように、いわゆる一般の漫画雑誌などの巻頭グラビアに登場したり、水着姿を含む写真集を発表する声優も現れるようになった。いくつかの声優雑誌では(特に巻頭特集などで)、インタビューページよりもグラビアページの方にページが割かれている傾向が強いことが少なからず存在している。一例として『声優アニメディア』『声優パラダイスR』『B.L.T VOICE GIRLS』などが該当する。

この他にも、元衆議院議員上西小百合が議員在職中に写真集を発売したり、藤川優里(青森県八戸市市議会議員)が市議会選挙初当選後に水着姿が収録された写真集やDVDを発売したことでも話題となったが、上西・藤川は大学時代にキャンペンガールやタレントとして活動経験がある。

2020年代からはりりか、あみちなどSNSインフルエンサーのグラビア進出が本格化。週刊プレイボーイ編集部・金髪りさはグラビアをやっているインフルエンサーに「グラエンサ―」と名付けた[31]
AIグラビアアイドル

バーチャルアイドル#AIグラビアアイドル参照。
足跡
1970年 - 1980年代

日本においての「グラビアアイドル(以下、特別な場合を除きグラドルに略記)」の歴史は、キャンペーンガールとして1976年より活躍したアグネス・ラム(ハワイ出身)に始まる。

この時代はグラビア誌面の雑誌は、『平凡パンチ』(1964年創刊、マガジンハウス刊)、『週刊プレイボーイ』(1966年創刊、集英社刊)などの週刊誌系のみで、飾っていたのは当時の女性アイドルと専任のヌードモデルたちであった。

女性アイドルのメインは、ほぼすべてがテレビ出演やコンサートでの歌手活動で「アイドル歌手」とも呼ばれ、彼女らのグラビアにおける水着披露は、歌手としての人気を獲得するプロモーションの一環に過ぎず、「あくまで本業は歌手」の前提であった。

1974年小学館からA4大判のグラビア雑誌GORO』が創刊される。それまでの雑誌グラビアが、どちらかと言えば読み物記事の添え物といったような扱いだったのに対し、『GORO』は表紙と巻頭グラビアを写真家篠山紀信が担当した。無名女性モデルのヌードからアイドル歌手、新進の若手女優を等価に扱ったグラビアコーナー「激写」を生み出し、これが世に受けてグラビア写真により大きな比重を置いた雑誌として、成人男性読者を中心に大きな反響を呼ぶ。

1980年代前半当時の芸能界は、山口百恵引退後の第2期女性アイドル歌手ブームが起きていた時期であり、掲載していた場合について、まだ世間的にも女性アイドルが「グラビアに載っている」という捉え方でしかなかったが、アイドル歌手、クラリオンガールなどのキャンペーンガールや新人女優が、グラビアで水着を披露する割合が多かった。

1982年に『スコラ』(講談社、のちに分社)が創刊した。

1984年堀江しのぶがデビューする。堀江は後に巨乳アイドルブームの立役者となる野田義治(現:サンズエンタテインメント会長)の秘蔵っ子であり、野田に「堀江を売り出すためにイエローキャブを創った」と言わしめるほどの存在だった。


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