音楽はハンス・ジマー、リサ・ジェラルド、クラウス・バデルトが担当、ゴールデングローブ賞の音楽賞を受賞したほか、アカデミー作曲賞にノミネートされるなど高い評価を受けたが、戦闘場面の楽曲はホルストの組曲「惑星」の「火星」と酷似しており、2006年、ホルスト財団から著作権侵害で訴訟を起こされた。ジマー側は盗作ではないと主張し全面的に争っている[31][注釈 2][32][33]。またコンモドゥスの凱旋式シーンに使用された曲はワーグナーの「ニーベルングの指環」と酷似しており[34]、冒頭におけるゲルマニアの曲はリドリー・スコットが愛好している映画「ズールー」との関連を主張する意見もある。
また、同作品の主題歌「ついに自由に(Now We Are Free)」を歌ったリサ・ジェラルドも一気に知名度を上げた。
楽曲は高い評価を受けた映画音楽として多方面において借用され、2003年のNFL決勝戦でハーフタイム中に流されている[35]。同年、ルチアーノ・パヴァロッティは劇中音楽の歌唱部分を担当する申し出を断ったエピソードを明かし、受けておけばよかったと後悔を口にしている[36]。
反響
歴史考証詳細は「en:Gladiator (2000 film)#Historical authenticity」を参照
同作品は史実に誠実でなければならない学問的な歴史資料ではなく、娯楽としての史劇作品であることから必ずしも史実性を絶対視する必要があるわけではない。だが現実問題として映像作品に社会的な影響がある以上、特に成功した歴史映画である『グラディエーター』が「誤ったローマ時代の知識を与える」との批判を受けており、実際に史実と創作の混同を助長しているのもまた事実である。
リドリー・スコット自身は史実のローマ時代に深い興味と敬意を抱いており、できる限りは「実際のローマ」の映像化を望んでいたとコメントしている。事実、スコットは撮影に挑むにあたって数人の権威ある歴史学者を史実考証のスタッフとして招致している。しかし作品を盛り上げる為の演出や脚色もまた娯楽作品の監督として行っており、史実考証のスタッフと衝突することも多かった。またスコットは史実を重んじる一方で「史実で不明瞭な部分は想像で補ってもよい」というスタンスも持っており、例えば冒頭の火矢を溝に注いだ油で点火する場面はスコットの想像(或いは創造)である。
他にコロッセウムにカフェが用意されている場面についても「暴君ネロがカフェで万引きをした」というある歴史書の記述を下に、「ローマ時代にカフェという文化はない」という考証スタッフの意見を退けてシーンに取り入れている。他に登場人物の衣服なども史実に基づきつつ、より華やかで映像栄えするアレンジや色彩が採用されている。体力自慢の暴君として歴史書に描写されるコンモドゥスを気弱で情緒不安定な青年に描く一方、アウレリウスを皮肉屋の共和主義者として描くなど独自の歴史解釈も与えている。スコットのある意味で柔軟で独創的であり、乱暴で優柔不断でもある史実への態度は論争を巻き起こし、少なくとも一人の歴史考証役が途中で降板している。
コネチカット大学のアレン・ウォード教授はスコットの態度を「創作上は必要だった部分もある」と擁護しつつも、「作家が娯楽の為に許されている脚色は、史実を乱雑に扱うことへの許可証ではない」と批判している[37][38]。
特に一番論争の種になったのは物語の重要箇所である「コンモドゥスによる父アウレリウス暗殺」の場面で、多くのローマ時代に関連する歴史書はコンモドゥスによる暗殺を否定している。次に主人公マキシマスが極めて高位の官職についている重臣であり、最終的に皇帝を暗殺するという大業を成し遂げたにも関わらず、その存在が完全なフィクションであることが批判される。ただしマキシマスのモチーフとなった人物は幾人かの実在人物が用いられている[39]。具体的には実際にコモドゥスを宮殿で暗殺したとされる剣闘士ナルキッソス
(英語版)、戦争の英雄として活躍した後に潔く農夫に戻った独裁官キンキナトゥス[40][41]、アウレリウスの重臣の一人であった執政官マルクス・ノニウス・マクリウス(英語版)などである[42][43]。大筋において史実に基づきつつ、細かい部分で独創的な脚色が加えられた歴史映画という意味で、『グラティエーター』はソード&サンダル路線の継承者といえる。その中でも特に共和政期の奴隷反乱を元にした『スパルタカス』と、本作と同時代を元にした『ローマ帝国の滅亡』の影響が指摘される[44]。『ローマ帝国の滅亡』の大筋は暴君コモドゥスが父を暗殺して帝位を奪い、主人公を味方に加えようとするが拒否されたことから粛清するが、生き残っていた主人公と一騎討ちの末に倒れるという内容で、グラディエーターも同じ粗筋を使用している。