グラディエーター
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事実、街中で見られる建物の多くやコロッセウムの基礎部分を除いた箇所などがCGICG)によって付け加えられている[26]。同時に実物大のセットも組まれたが、特にコロッセウムの基礎部分は100万ドルもの費用を投じて建設された[27]。これ以外に映像を彩る小物類(武器、甲冑、胸像、家具、天幕、柱、布地、衣装)などは全てこの映画の為だけに発注されたオーダーメイド品で、他の歴史映画からの使い回しなどは一切行われなかった[24]
ポストプロダクション

撮影後の作業は編集とCGI加工に絞られ、特にCGI部分についてはロサンゼルスにCGI用の設備を持つミル社が担当した。彼らは撮影スタッフが苦心して用意した映像をさらに迫力を加える様々な努力を行なった。例えば冒頭の合戦シーンで放たれた火矢は実際には安全性などの問題から敵陣の前までしか飛ばしていなかったが、これを敵陣に届いているように修正する作業などが行われている。他にコロッセウムのシーンで観客のエキストラが用意しきれない部分や、凱旋式で元老院の長い階段を登る場面などもCGI工程で追加された[28]。最終的にミル社のスタッフは90以上の部分に加工を加え、映画内で9分間分の場面に手を加えた形になった[29]

また主要俳優の一人であったプロキシモ役のオリヴァー・リードが撮影終了間際に病死したことは予想外の作業を必要とした。出演予定だった終盤の場面は編集やCGで誤魔化すという苦肉の策が行われた[29]。なお、プロキシモは兵士達に囲まれ刺殺されるが、そのシーンのプロキシモは容姿を似せた代役が担当し、顔が映らないようにされた。グラディエーター製作の上でこうしたCG製作は欠かせない重要な作業であった。しかしCGI作業を統括した視覚効果監督のジョン・ネルソンは「我々がやったことは映画全体の一部に過ぎない。オリヴァーの件にしても、人々に感動を与えたのは彼の演技だった。我々はそれを上映する手助けをしただけだ」とコメントしている。本作はオリヴァー・リードの遺作となった[30]
音楽

音楽はハンス・ジマーリサ・ジェラルドクラウス・バデルトが担当、ゴールデングローブ賞の音楽賞を受賞したほか、アカデミー作曲賞にノミネートされるなど高い評価を受けたが、戦闘場面の楽曲はホルストの組曲「惑星」の「火星」と酷似しており、2006年、ホルスト財団から著作権侵害で訴訟を起こされた。ジマー側は盗作ではないと主張し全面的に争っている[31][注釈 2][32][33]。またコンモドゥスの凱旋式シーンに使用された曲はワーグナーの「ニーベルングの指環」と酷似しており[34]、冒頭におけるゲルマニアの曲はリドリー・スコットが愛好している映画「ズールー」との関連を主張する意見もある。

また、同作品の主題歌「ついに自由に(Now We Are Free)」を歌ったリサ・ジェラルドも一気に知名度を上げた。

楽曲は高い評価を受けた映画音楽として多方面において借用され、2003年NFL決勝戦でハーフタイム中に流されている[35]。同年、ルチアーノ・パヴァロッティは劇中音楽の歌唱部分を担当する申し出を断ったエピソードを明かし、受けておけばよかったと後悔を口にしている[36]
反響
歴史考証詳細は「en:Gladiator (2000 film)#Historical authenticity」を参照

同作品は史実に誠実でなければならない学問的な歴史資料ではなく、娯楽としての史劇作品であることから必ずしも史実性を絶対視する必要があるわけではない。だが現実問題として映像作品に社会的な影響がある以上、特に成功した歴史映画である『グラディエーター』が「誤ったローマ時代の知識を与える」との批判を受けており、実際に史実と創作の混同を助長しているのもまた事実である。

リドリー・スコット自身は史実のローマ時代に深い興味と敬意を抱いており、できる限りは「実際のローマ」の映像化を望んでいたとコメントしている。事実、スコットは撮影に挑むにあたって数人の権威ある歴史学者を史実考証のスタッフとして招致している。しかし作品を盛り上げる為の演出や脚色もまた娯楽作品の監督として行っており、史実考証のスタッフと衝突することも多かった。またスコットは史実を重んじる一方で「史実で不明瞭な部分は想像で補ってもよい」というスタンスも持っており、例えば冒頭の火矢を溝に注いだ油で点火する場面はスコットの想像(或いは創造)である。

他にコロッセウムにカフェが用意されている場面についても「暴君ネロがカフェで万引きをした」というある歴史書の記述を下に、「ローマ時代にカフェという文化はない」という考証スタッフの意見を退けてシーンに取り入れている。他に登場人物の衣服なども史実に基づきつつ、より華やかで映像栄えするアレンジや色彩が採用されている。体力自慢の暴君として歴史書に描写されるコンモドゥスを気弱で情緒不安定な青年に描く一方、アウレリウスを皮肉屋の共和主義者として描くなど独自の歴史解釈も与えている。スコットのある意味で柔軟で独創的であり、乱暴で優柔不断でもある史実への態度は論争を巻き起こし、少なくとも一人の歴史考証役が途中で降板している。

コネチカット大学のアレン・ウォード教授はスコットの態度を「創作上は必要だった部分もある」と擁護しつつも、「作家が娯楽の為に許されている脚色は、史実を乱雑に扱うことへの許可証ではない」と批判している[37][38]

特に一番論争の種になったのは物語の重要箇所である「コンモドゥスによる父アウレリウス暗殺」の場面で、多くのローマ時代に関連する歴史書はコンモドゥスによる暗殺を否定している。


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