グライフ作戦
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こうした状況に直面したスコルツェニーは、旅団を3個大隊体制から2個大隊体制に縮小した上で特に英語の能力に秀でたものを150人選出し、シュティーロウ部隊(Einheit Stielau)なる特務部隊を編成した。スコルツェニーはまた、自らが編成・指揮に携わったSSミッテ駆逐戦隊から1個中隊、第600SS降下猟兵大隊から2個中隊を募集し、空軍の特務飛行隊KG200からは2個中隊を抽出した。さらに一般の戦車連隊や砲兵隊からも戦車兵および砲兵が引きぬかれている。こうして旅団は想定より800人ほど少ない2500人規模ながら、グラーフェンヴェーアの駐屯地で再編成された。

装備調達は依然として難航していたが、個人装備に関しては全隊員に行き渡るだけの量がどうにか調達された。車輌は4輌の偵察車と30輌のジープが新たに調達された他、ドイツ製のトラック15輌がアメリカ軍風のオリーブドラブに塗装された上で引き渡されている。またシャーマン戦車は結局1輌のみが配備されることになり、これに対しては旅団に所属するパンター戦車のキューポラを撤去した上で金属板で覆い、M10戦車駆逐車風の偽装を施すことで代用した。彼らにとって自軍と敵軍を区別することは非常に重要な問題であり、様々な識別方法が考案されている。車輌の後部には黄色い三角形のマークを付け、戦車は砲身を9時の方向に向けることとされた。兵士はピンクないし青のスカーフを身につけた上でヘルメットを脱ぎ、夜間には青ないし赤の識別信号を用いることとされた。

作戦の準備段階として、旅団の隊員は「ドイツ軍がダンケルクおよびロリアンの包囲を和らげるべく、アントワープへの攻撃、またはパリの欧州連合国派遣軍最高司令部(SHAEF)占領を目論んでいる」という噂を流布した[5]。スコルツェニーの部下達も、12月10日までは旅団に課せられた真の目的を知らされていなかった。第150装甲旅団に課せられた使命は、ミューズ川に掛かる橋(アメ、ウイ、アンダンヌ)の内、少なくとも2つを確保することであった。歩兵は戦車隊がアルデンヌアイフェル高地の中間に位置するオート・ファーニュに到達した時点で活動を開始することとされていた。歩兵部隊はX戦闘団、Y戦闘団、Z戦闘団の3グループに分割され、それぞれ別々の橋を担当した。
シュティーロウ部隊

シュティーロウ部隊の隊員には、アメリカ英語の知識だけではなく身分秘匿諜報活動ないしサボタージュ活動の経験が求められた。彼らは爆発物及び通信に関する訓練や、アメリカ陸軍の階級制度及び教練内容に関する講義を繰り返し受け、さらにアメリカ英語をより正確に習得するべくキュストリンリンブルクの捕虜収容所にて米軍捕虜を相手とした英会話なども行った。

彼らはアメリカ陸軍の制服を着用し、アメリカ陸軍の銃器及びジープを装備していた。彼らに課せられた任務は次の3つであった。

5人ないし6人ずつで編成される発破班は、橋梁、弾薬集積所、燃料集積所を破壊する。

3人ないし4人ずつで編成される偵察警戒班は、ミューズ川の両岸を偵察する。また、米軍部隊と遭遇した場合は偽の命令を渡す。さらに道路標識を逆にする、地雷の警告表記を取り除いたり逆に何もない道路に警告表記を設置するなどの妨害工作を行う。

リード部隊(Lead)は、攻撃部隊と共に活動する。電信線や無線局を破壊して通信網を寸断し、偽の命令の信憑性を高める。

作戦開始

12月14日、第150装甲旅団はミュンスターアイフェルで再編成を行った。そして12月16日午後から移動を開始し、第1SS装甲師団第12SS装甲師団、第12国民擲弾兵師団などと共にオート・ファーニュを目指した。当初の計画ではこれら3個師団が到達してからグライフ作戦が発動される事とされていたが、スコルツェニーは第1SS第装甲師団が移動開始後2日以内に目的地へ到達出来なかった場合、すぐに活動を開始するつもりでいた。

12月17日、スコルツェニーは第6装甲軍司令部における作戦会議に参加した。この際、第150装甲旅団も通常戦力の一部として作戦に加わる旨の提案が行われている。会議の中で第150装甲旅団はマルメディの南に展開することとされ、スコルツェニーはサンウベールの第1SS装甲師団本部に出頭するように命じられた。

1944年12月21日、第150装甲旅団はスコルツェニーの指揮下でマルメディへの攻撃を試みた。しかし、その後何度か行われた攻勢はいずれもアメリカ軍守備隊によって撃退されている。これはバルジの戦いにおいてドイツ人が行ったマルメディ確保を狙った唯一の試みと見られている[6]
コマンド作戦

スコルツェニーは投降後に行われた取り調べの中でシュティーロウ部隊の活動に触れている。この取り調べ記録によれば、4つの偵察班と2つの発破班は攻勢初日に活動を開始したという。また3つの部隊が第1SS装甲師団、第12SS装甲師団、第12国民擲弾兵師団と共に行動し、さらに3つの部隊は第150装甲旅団と共に行動した。12月16日、スコルツェニーはあるコマンド班がマルメディに到達したことを報告しており、また別の班がポトーから撤退中の米陸軍部隊への降伏勧告を行なっている。さらに別の班は道路標識を回転させて、あるアメリカ軍連隊を誤った方向へ送ったという。

一方のアメリカ軍でも「偽のアメリカ軍」の活動を察知しており、米軍憲兵隊はこれを見つけ出すべく何箇所もの検問所を設け、結果として物資・人員の移動は大きく滞った。これらの検問では、アメリカ人であれば常識として答えられるであろう質問を合言葉として用いた。しかし、ブルース・クラーク(英語版)将軍は「シカゴ・カブスはまだアメリカンリーグに所属する」と答えておよそ5時間の勾留を受け[7]、ある大尉は拾ったドイツ軍の長靴を履いていた為に一週間の勾留を受けたという。またオマル・ブラッドレー将軍は「イリノイ州州都はどこか?」という質問に正しくスプリングフィールドと答えたが、尋ねた憲兵が州都をシカゴだと思い込んでいた為に勾留を受けたという。


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