グアテマラ
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グアテマラ総監領の統治範囲には諸説があるが、現在の中米5国ホンジュラスエル・サルバドルニカラグアコスタリカなどを含んでいた。スペイン人征服者の政策により、先コロンブス期マヤ文化の古文書(Pre-Columbian Maya codex)はほとんどがこの植民地時代に焼却されたが、辛うじてマヤ神話の『ポポル・ヴフ』と呼ばれるキチェ族の創世神話が現在に伝わっている[† 1]

1717年に起きたマグニチュード7.4の地震はアンティグア・グアテマラに甚大な被害をもたらし、さらに1773年の地震でも大きな被害が出たため、1776年にスペイン国王の命により、首都はグアテマラシティへと移ることになった。1786年にはスペインからイギリスカリブ海側の領土が割譲された。この地域は「英領ホンジュラス」として統治され、現在はベリーズになっている。
植民地から独立国へ「近代における世界の一体化#ラテンアメリカ諸国の独立」も参照

グアテマラ建国以後の歴史は、革命クーデター、非民主主義政権、特にアメリカ合衆国からのさまざまな内政干渉に彩られている。1789年フランス革命により、ヨーロッパでの政局は混乱した。大革命によりナポレオン戦争が勃発し、1808年には本国スペインがフランス皇帝ナポレオン1世によって侵攻された。ナポレオンはボルボン朝フェルナンド7世を退位させ、兄のジョゼフ・ボナパルトスペイン王ホセ1世に据えたため、それに対する民衆暴動が契機となってスペイン独立戦争が勃発、インディアス植民地はホセ1世への忠誠を拒否した。グアテマラ総監領1821年にスペインから独立を宣言し、同年内にアグスティン・デ・イトゥルビデ皇帝の第一次メキシコ帝国に併合された。
中央アメリカ連邦共和国(1823年 - 1839年)

1823年にメキシコ帝国は崩壊し、新たに結成された中央アメリカ連合州(Provincias Unidas del Centro de America)の一州となった。中米連邦では最初から内紛が絶えなかったが、1827年から1838年にかけ、ラファエル・カレーラの率いる保守主義のグアテマラ派と、フランシスコ・モラサンの率いる自由主義のエル・サルバドル派の内戦に陥った。
再独立とニカラグア国民戦争アルカルデスの人々(1891年)

結局カレーラが勝利して連邦は解体に至り、1839年、グアテマラは独立国となった。内戦に勝利し、連邦派を駆逐したカレーラはそのままグアテマラの政治を支配し、以後グアテマラは1865年にカレーラが死ぬまで強力な保守統治が行われることになる。カレーラは保守政治家だったが、その一方でインディヘナに対しては共有地の保護などの優れた政策を行った。また、1856年ウィリアム・ウォーカーとの国民戦争(スペイン語版)の際にはグアテマラも中米連合軍の一員に加わった。

1871年には自由党が内戦に勝利して政権に就き、1873年にはフスト・ルフィーノ・バリオスが大統領になった。以降1885年までバリオスの統治が続き、自由主義的なさまざまな政策が行われ、1879年には憲法が制定された。一方で、ホンジュラスやエル・サルバドルなど近隣諸国との戦争を続け、またこの時期にインディヘナの共有地は解体されて奪われ、大土地所有制が強化された。また、この時期から経済がコーヒーモノカルチャー化し、1880年代には実に輸出の9割近くをコーヒーが占めるほどであった。こうしたコーヒー農園の労働力として移民が導入され、1893年には日本初のラテンアメリカ移民が行われた。
アメリカ合衆国の進出(1898年 - 1920年)と政治的空白期独裁者マヌエル・エストラーダ・カブレーラミゲル・アンヘル・アストゥリアスの『大統領閣下』のモデルとなった。詳細は「バナナ戦争」、「w:Banana Wars」、および「ユナイテッド・フルーツ」を参照

1898年マヌエル・エストラーダ・カブレーラが大統領に就任し、22年間の独裁政治を行うが1920年にカブレーラは失脚した。カブレーラが失脚すると、政治的空白状況が生まれ、クーデターが繰り返される不安定な状況が続いたが、1931年ホルヘ・ウビコ将軍が隙を突いて権力を握ると、「ウビコ以外はすべて不自由である」といわれるほど苛烈な統治を行い、グアテマラ社会の荒廃は一層進んだ。詳細は「スメドレー・バトラー(スペイン語版、英語版)」、「ボーナスアーミー」、「w:Business Plot」、「戦争は不公正である(英語版)」、および「ナイ委員会」を参照

こうした状態を憂いた愛国者によりウビコは1944年に追放され、民主主義の時代がグアテマラにも訪れた。

なお、日本とは1935年堀義貴初代駐グアテマラ日本公使が着任し、正式に外交関係が成立した[11]
グアテマラの春詳細は「グアテマラ革命」を参照

1944年から1954年まではグアテマラの春と呼ばれ、自由な空気のもとに、各種の民主的な社会改革が進められた。

ハコボ・アルベンス・グスマンポプリスモ的政治家として土地改革などの政策を行ったが、これは次第に、アメリカ合衆国が「グアテマラは共産主義化している」というネガティブキャンペーンを張る要因となっていき[† 2]、土地改革がユナイテッド・フルーツの社有地に適用されることになると、合衆国の怒りは頂点に達した。アメリカ政府の雇用した反アルベンス派傭兵軍がエル・サルバドルから侵攻すると、軍の上層部はアルベンスを見捨てアルベンスは亡命した。こうして、グアテマラの春は終わりを告げたのであった(PBSUCCESS作戦[† 3]
グアテマラ内戦詳細は「グアテマラ内戦」を参照

キューバ革命の周辺国への影響(ドミノ理論)を恐れたアメリカ中央情報局は、グアテマラ軍上層部の支援を得て、1954年PBSUCCESS作戦と呼ばれる政府転覆を実行し親米独裁政権が生まれたが、これがグアテマラに長い動乱の時代を招いた。1960年からグアテマラ内戦が始まり、36年間にわたり武装反乱軍(FAR)などのゲリラとグアテマラ政府軍の戦闘が続いた。1980年代には軍部がほぼ実権を握り、農村部への焦土作戦をとるなど反体制派に対する徹底した弾圧を行った。この軍事行動の結果、数万人の行方不明者を含め最大20万人が死亡もしくは行方不明となったといわれる[12]。1980年には在グアテマラ・スペイン大使館占拠事件が起こり、人質もろとも大使館を焼かれたスペイン政府はグアテマラとの国交を断絶するに至った。内戦状態は1996年に平和条約の調印によって終わった。

内戦で亡くなった人は20万人以上にのぼる。国連はさまざまな報告書で、この紛争をジェノサイドと表現している。犠牲者の大半は、反政府勢力を支援していると非難された先住民マヤ族のコミュニティーのメンバーである。歴史解明委員会によると、紛争の暴力の93%は政府軍、3%はゲリラ集団が担っている(4%は未確認)[13]
内戦終結以降

1996年に署名された和平合意のほとんどは、1年以上経過しても履行されなかった。その後、2015年の国政選挙でジミー・モラレスが大統領に就任した。そして、モラレスの任期満了にともなう2019年8月11日の大統領選挙(決選投票)では、右派のアレハンドロ・ジャマテイ が対立候補のサンドラ・トーレス[† 4]を破って当選[14]。2020年1月14日に大統領に就任した[15]
政治国会議事堂詳細は「グアテマラの政治(英語版)」を参照

グアテマラは一院制議会を持つ。議会は「共和国議会(Congreso de la Republica)」と呼ばれる。国会は158議席で、国会選挙は4年ごとに行われ、同時に大統領選挙が行われる。

グアテマラの大統領国家元首であり、政府の長である。行政を行うために、大統領は閣僚を米国の内諾を得たうえで指名する。
国家安全保障詳細は「グアテマラの軍事」を参照

2014年現在のグアテマラ陸軍は現役1万3,444名、予備役約6万2,000名で、15の軍管区に旅団を基礎とした実戦部隊が配備されている。
国際関係詳細は「グアテマラの国際関係(英語版)」を参照.mw-parser-output .legend{page-break-inside:avoid;break-inside:avoid-column}.mw-parser-output .legend-color{display:inline-block;min-width:1.5em;height:1.5em;margin:1px 0;text-align:center;border:1px solid black;background-color:transparent;color:black}.mw-parser-output .legend-text{}  ベリーズ領のうち領土問題になっていない地域  ベリーズが実効支配し、グアテマラが領土主張している地域  グアテマラ領

植民地時代の統治による歴史的経緯や、熱帯雨林に覆われていたという地理的理由により、独立以降も周辺国との国境には未確定の部分が多くあった。

特にベリーズとの国境問題は最も長く続き、同国の約半分を自国の領土と主張していることから係争状態となっている(ベリーズが中米諸国で最も遅い1981年に独立したのもこの係争が影響している)。

2008年12月8日、両国は米州機構(OAS)の仲介で合意文書に署名し、係争を国際司法裁判所に付託することに最終的に合意したが、国際司法裁判所の判決を受諾するためには管轄権を予め受諾することが必要であり、合意文書で両国は2013年10月に同時に国民投票を行い、可否を決定することとしたが、ともに期日までに実施されず、その後はしばらく動きがなかった。その後、グアテマラは2018年4月15日に投票を実施し、95.88%の圧倒的多数で可決された。ベリーズも2019年4月19日に投票を行い、55.4%の僅差で可決した。
日本との関係「日本とグアテマラの関係」も参照
地方行政区分詳細は「グアテマラの行政区画」を参照グアテマラの地図グアテマラの県

グアテマラは22の県(departamentos 地方、州とも訳す)から構成される。
アルタ・ベラパス県

バハ・ベラパス県

チマルテナンゴ県

チキムラ県

ペテン県

エル・プログレソ県

キチェ県

エスクィントラ県

グアテマラ県

ウェウェテナンゴ県

イサバル県

ハラパ県

フティアパ県

ケツァルテナンゴ県

レタルレウ県

サカテペケス県

サン・マルコス県

サンタ・ローサ県

ソロラ県

スチテペケス県

トトニカパン県

サカパ県

主要都市詳細は「グアテマラの都市の一覧」を参照

ほとんどの主要都市は国の南半分に位置している。主要都市は首都グアテマラ市ケツァルテナンゴエスクィントラである。その他にも港町としてカリブ海側にプエルト・バリオスが存在する。
地理詳細は「グアテマラの地理(英語版)」を参照地形図


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