グアダラハラ_(メキシコ)
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大都市ながらスペインの植民地だった面影を残す古都である。メキシコの代表的な音楽であるマリアッチはグアダラハラが発祥と言われている。なお都市名は旧宗主国スペインの都市 グアダラハラに由来する。
歴史超高層ビルが林立するプエルタ・デ・イエロ(英語版)グアダラハラ市内大聖堂

現在の場所に移動する前に3つの場所に居住地が設立された。1532年の最初の居住地は、今やサカテカス州ノチストランとして知られているメサ・デル・セロにあった。この場所は、総督ヌーニョ・デ・グスマンに委任されたクリストバル・デ・オニャーテ (Cristobal de Onate) により定住が開始された。しかし、この居住地は水の不足のために長くは続かなかった。1533年に、居住地はトナラ (Tonala, Jalisco) の近くに移された。4年後、グスマン総督は居住地をトラコタン(Tlacotan)に移転するよう命じた。この居住地は要塞化され、敵対的な原住民から村人を守る機能を備えていた。スペイン国王カール5世は、今日も残っている都市の紋章を与えた。この居住地は、1540年のミシュトン戦争中に、テナマストレ (Francisco Tenamaztle) の指揮の下、カシュカン人とサカテコ人から激しい攻撃を受けた。戦争はグスマン総督によるインディアンに対する残忍な扱い、特に捕虜となった原住民の奴隷化が原因だった。副王アントニオ・デ・メンドーサは、スペイン軍がいくつかの戦闘で敗北した後、譲歩することになった。彼はインディアンの奴隷を解放し捕虜に恩赦を与えた。これで戦争は終結した。居住地の防御壁は、ほとんど残っておらず、村人たちは、サン・ミゲル(天使ミカエル)のおかげでかろうじて生き残ったと考えた。サン・ミゲルは今も街の守護聖人になっている。その後、居住地はより安全なアテマハク渓谷へ移転することが決定された。グアダラハラは、今日までこの場所にある。1542年の記録によれば、グアダラハラの人口は126人だった。同年にスペイン国王から都市(Ciudad)の地位が与えられ、2月14日が公式な設立日となった。居住地の名称は、グスマン総督の故郷であるスペインのグアダラハラから取られた。

1559年、ヌエバ・ガリシアアウディエンシアおよび司教座は、コンポステーラからグアダラハラに移された。大聖堂の建設が、1563年に始まった。1575年には、アウグスティノ修道士やドミニコ会修道士などの宗教的騎士団が到着し、このことにより、グアダラハラが福音伝導の拠点となった。メスキタン、アナルコ、メシカルツィンゴの村が1669年にアテマハクに併合されたため、歴史的な市街地には、4つの人口的な中心地がある。1791年、ヌエバ・ガリシアの首都となったグアダラハラに、グアダラハラ大学が設立された。落成式が、1792年に旧コレヒオ・デ・サント・トマスの敷地内で行われた。この施設は18世紀に設立されたが、20世紀まで(1925年に開始されるまで)、完全な開発はされていなかった。1794年に、レアル・デ・サン・ミゲル・デ・ベレン病院または単にベレン病院が開院した。グアダラハラの18世紀の経済は、農業と繊維、靴、食品などの非耐久財の生産を基礎としていた。

グアダラハラは、メキシコ独立革命までいくつか変更されながらも、ヌエバ・ガリシアの首都であった。ミゲル・イダルゴが、メキシコ独立戦争において、メキシコシティを攻撃しないと決定した後、彼は、初期の成功にもかかわらず、1810年後半にグアダラハラへ退却した。当初、彼と彼の軍隊は歓迎されたが、労働者にとって生活条件が難しくなり、イダルゴは減税をし、奴隷制を廃止することを約束した。しかし、反政府武装勢力による市民、特に王党派への暴力は、歓迎されなかった。イダルゴは奴隷制度終結宣言に署名し、この宣言は、革命後から国の栄誉となった。この間、彼は反政府勢力に捧げられた「El Despertador Americano」という新聞を創設した。

2010年代後半以降、治安が悪化。住民らが行方不明になった後、遺体で発見されるケースが相次いだ。2023年には、行方不明になったコールセンターの職員を捜索する過程で、人間の遺体が押し込まれたカバンなど45個が発見される事件も起きた[4]
略史

1530年代にスペイン人が入植し拓かれた。人口が急増したこともあり1541年には早くも市制施行された。先住民族インディオ)との諍いの中で町は発展を遂げる。

16世紀後半、先住民にキリスト教を広めるため多くのカトリック教会が建設された。

1810年、メキシコ独立指導者ミゲル・イダルゴメキシコ独立戦争の最中ここグアダラハラに進軍し新政府を設置すると共に、ハリスコ州政府庁舎で奴隷解放宣言をした。

1991年、第一回のイベロアメリカ首脳会議が開催され、体制選択の自由などが示されたグアダラハラ宣言が採択された。

1992年4月22日の下水道でのガス爆発で、206名が死亡するなど、市内が大きな被害に遭う。(グアダラハラ爆発事故

2011年パンアメリカン競技大会第16回グアダラハラ大会を開催。

気候

メキシコの中では寒暖の差があまりなく、以前は「一年中春」と言われたほど穏やかな気候だったが、近年の都市化により特に暑さが厳しさを増している。下のグラフのように、特に暑いのは乾季の終わり前の三月から六月ころまでで、雲ひとつない空から太陽が照りつける。あまり風が吹かないのも特徴である。ただし湿度が低いので、不快指数は高くない。雨季は熱帯のスコールと同じであり、一日中雨が降り続くことはまれであり、ごく短時間雷雨が降り、すぐ止む。冬は、朝夜は気温がかなり下がり寒いが、日中はセーターなどはいらないくらいに気温があがる。

2019年6月30日には、一帯に大量のが降り、2mほどの高さに積もったことがある。丘陵地帯では少なくとも50台の自動車が氷の濁流に押し流され、中には氷の下に埋没した車もあった[5]

グアダラハラ (1951-2010)の気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
最高気温記録 °C (°F)35.0
(95)38.0
(100.4)39.0
(102.2)41.0
(105.8)39.0
(102.2)38.5
(101.3)36.0
(96.8)36.5
(97.7)32.5
(90.5)34.5
(94.1)32.0
(89.6)31.0
(87.8)41
(105.8)
平均最高気温 °C (°F)24.7
(76.5)26.5
(79.7)29.0
(84.2)31.2
(88.2)32.5
(90.5)30.5
(86.9)27.5
(81.5)27.3
(81.1)27.1
(80.8)27.1
(80.8)26.4
(79.5)24.7
(76.5)27.88
(82.18)
日平均気温 °C (°F)17.1
(62.8)18.4
(65.1)20.7
(69.3)22.8
(73)24.5
(76.1)23.9
(75)22.0
(71.6)21.9
(71.4)21.8
(71.2)21.0
(69.8)19.2
(66.6)17.5
(63.5)20.9
(69.62)
平均最低気温 °C (°F)9.5
(49.1)10.3
(50.5)12.3
(54.1)14.3
(57.7)16.4
(61.5)17.3
(63.1)16.5
(61.7)16.4
(61.5)16.5
(61.7)14.9
(58.8)12.1
(53.8)10.3
(50.5)13.9
(57)
最低気温記録 °C (°F)?1.5
(29.3)0.0
(32)1.0
(33.8)0.0
(32)1.0
(33.8)11.5
(52.7)9.0
(48.2)11.0
(51.8)10.0
(50)8.0
(46.4)4.5
(40.1)?0.5
(31.1)?1.5
(29.3)
雨量 mm (inch)15.6
(0.614)6.6
(0.26)4.7
(0.185)6.2
(0.244)24.9
(0.98)191.2
(7.528)272.5
(10.728)226.1
(8.902)169.5
(6.673)61.4
(2.417)13.7
(0.539)10.0
(0.394)1,002.4
(39.464)
平均降雨日数 (?0.1 mm)2.11.20.71.13.515.221.620.015.56.41.81.890.9
平均月間日照時間204.6226.0263.5261.0279.0213.0195.3210.8186.0220.1225.0189.12,673.4
出典1:Servicio Meteorologico Nacional[6]
出典2:Weltwetter Spiegel Online (sun only)[7]

交通ミゲル・イダルゴ空港地下鉄3号線
空港

ドン・ミゲル・イダルゴ・イ・コスティージャ国際空港(Miguel Hidalgo y Costilla International Airport)
メキシコで3番目(メキシコシティー、カンクンの次)に利用者の多い空港。IATA空港コードはGDL。
鉄道

グアダラハラ地下鉄

メキシコシティ?グアダラハラ間で高速鉄道の建設が計画中

テキーラ・エクスプレス[8]

市バス

市と郊外をカバーする形で、かなりの数のバスが運行している。


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