クレーン
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バールベックのアーキトレーブの場合、石材が55 - 60トンあるのに対して、吊り穴は8箇所であり、穴1箇所あたり、即ちキャプスタン1台あたり、7.5トンを吊り上げられたと考えられる[11]。このような重量物の吊り上げには、各キャプスタンに従事するグループ間での協力が大変重要であった。

また、シチリアアルキメデスは(当時としては)巨大なクレーンを製作して、ローマ軍の軍船を吊り上げ、転覆させたと言われている。(詳しくはen:Claw of Archimedesを参照のこと)
中世グダニスクの15世紀の港湾クレーン[12]

トレッドウイール・クレーンは、西ローマ帝国の崩壊以降、使われなくなった。しかし、中世盛期になって、再度、より大規模に使われるようになった[13]。この時代のトレッドウイール(マグナ・ロータ)の最古の記録は、1225年のフランスで見られる[13]。また、1240年のフランス起源と思われる記録も残っている[13]港湾クレーンの最古の記録は、ユトレヒト1244年に、アントウェルペン1263年に、ブルッヘ1288年に、ハンブルク1291年に、それぞれ見られる[12]。一方、イングランドでは、1331年以前のトレッドウイールの記録はない[13]ピーテル・ブリューゲルバベルの塔で描かれたダブル・トレッドウイール・クレーン

一般的に、クレーンによる吊り上げは、従来の方法よりも安全で安価であった。港湾や鉱山ゴシック建築に代表される建設現場では、クレーンがよく使われた。しかし、トレッドウイールや一輪車といった新しい機械は、従来の梯子やホッド(英語版)、二輪車といった従来の労働集約的な方法を完全には置き換えなかったことが、当時の文献や絵画から示唆される。むしろ、中世では、新旧の方法は建設現場[13]や港湾[12]で共存していた。

トレッドウイール以外にも、放射状のスポーククランクによる巻き上げ機や、15世紀以降は、操舵輪のような巻き上げ機などが、中世の絵画に描かれている。また、少なくとも1123年には、回転時の衝撃を抑えたり、吊り上げのスピードを維持したりするため、フライホイールが使われるようになった[13]

トレッドウイール・クレーンが再び使われるようになった過程は定かではない[13]が、ゴシック建築の登場と関係することは間違いない。新しい巻き上げ機が発達した結果として、トレッドウイールが再登場したとも考えられる。あるいは、ウィトルウィウスのデ・アーキテクチュラは修道院の図書館で読めたので、それを参考にしたとも考えられる。また、水車と構造が似ているため、その効率の良さを見て、トレッドウイールを思いついた可能性もある[13]建物の上に設置されたシングル・トレッドウイール・クレーン
構造と設置方法

中世のトレッドウイールは、大きな木製のホイール回転軸を中心に回転するようになっており、2人の作業員がホイールを回して歩ける広い通路が備えられていた。初期のホイールはスポークで直接車軸を回していたのに対して、リムのような弦状の部品が追加されたホイールも登場した[13]。このホイールを使うと、車軸を太くできて、構造上有利であった[13]

一般に信じられているのとは異なり、中世の建設用クレーンは、軽い足場の上やゴシック建築教会の薄い壁には、設置されなかった。むしろ、クレーンは建設開始時には地面に設置され、建物間に置かれることが多かった。工程が進み、上階の床が完成して、天井の太い梁が壁と壁をつないだ後、クレーンは梁に移設され、ドーム天井の建設に使用された[13]。実際、イングランドの教会の塔では、補修用として残された建設用クレーンは、ドーム天井と屋根の間に設置されている[13]

少数ではあるが、壁の外に仮設の柱とともに設置されたクレーンが描かれた絵画も残っている[13]
仕組みと使用方法1413年トリーアの内港に設置されたタワークレーン

現代のクレーンとは異なり、古代ギリシャやローマ[9]と同様、中世のクレーンは垂直方向の吊り上げ能力はあったが、水平方向の荷の移動には使われなかった[13]。そのため、吊り上げ作業は、現在とは様子が違った。例えば、建設現場では、クレーンは石材を地面から設置位置まで直接吊り上げた[13]。また、反対側にもう一台設置されて、二箇所同時に壁を構築することもあった[9]。ただし、クレーン作業の指示を出す親方は、吊り荷に付けた細いロープで、吊り荷を動かすことがあった[10]。回転できるクレーンは、特に港湾作業に向いており、1340年には登場した[13]。切石がスリングで直接吊り上げられたのに対して、他の吊り荷はパレットかご、木箱、などに入れて吊り上げられた[13]

中世のクレーンには、ラッチブレーキなどの落下防止装置は、ほとんど備えられていなかった[13]。中世のトレッドウイールは摩擦抵抗が大きく、暴走は稀であったためと考えられる[10]
港湾クレーン1742年に設置されたコペンハーゲンのクレーン(大型船のマストを設置するために使われた)

港湾の定置式クレーンは、中世に新しく登場したと考えられる[12]。一般的な港湾クレーンは、トレッドウイールが2台設置され、本体が回転するようになっていた。港湾クレーンは岸壁のそばに設置され、シーソーウインチ、帆桁などを使った古い方法を置き換えていった[12]

港湾クレーンは、地域によって形状が異なった。フラマンオランダの沿岸では、垂直軸を回転するガントリークレーンが一般的であった。一方、ドイツの海や内陸の港では、塔に設置されたジブと屋根が回転するタワークレーンが一般的であった[12]。地中海やイタリアの主要な港では、タラップを利用した労働集約的な荷役方法に依存し続けたため、港湾クレーンは普及しなかった[12]

建設現場では、石工の作業速度がクレーンよりも遅かったため、吊り上げ作業の速度は問題にならなかった。しかし、港湾クレーンでは、トレッドウイールを2台設置して、速度向上を図った。トレッドウイールは直径4メートル以上と推測され、回転軸と同時に動いた[12]。港湾クレーンの吊り上げ能力は、船の貨物重量に対応して、2 - 3トンであった[12]。当時の港湾クレーンは、ヨーロッパ全体で15基残っている[12]。また、造船の際にマストを設置するためのクレーンが、グダニスクケルンブレーメンなどで見られた[12]。こうした固定式のクレーン以外にも、港内で自由に動けるクレーン船も14世紀までには使われていた[12]
近世1586年に行われたバチカン・オベリスクの移設作業1856年に撮影された建設中のケルン大聖堂(南側に15世紀のクレーンが見られる)1895年、アメリカン・ホイスト時代のアメリカン・クレーン(英語版)のクレーン。


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