劇中にはダスティン・ホフマンのアイディアを元に撮影されたシーンが多数存在する。そのため、監督のロバート・ベントンはホフマンに脚本のクレジットタイトルへの共同参加を打診したが、オリジナルの脚本はベントンのものであるためホフマンは打診を断った[3]。
本作品はアカデミー賞で脚本賞を受賞したため、ホフマンは後年になって「打診を受け入れていれば脚本賞も受賞できたのに」と冗談交じりに語った[3]。なお、ホフマンは主演男優賞を受賞している。 アイスクリームのシーンや、グラスを割るシーンなどホフマンとジャスティン・ヘンリーによるアイディアが随所に存在する[3]。 ビリー役のジャスティン・ヘンリーはわずか8歳でアカデミー助演男優賞にノミネートされ、史上最年少記録を樹立した。
演出
原作小説との相違
映画では父親のテッドが一人で家事一切を行うが、小説では面倒見の良い家政婦が週日の日中はビリーの面倒を見ている。
裁判所が審理開始に先立って心理学の専門調査官を派遣し、その中で二人の心中を吐露させる場面が、映画にはない。
ラストシーンは、映画ではビリーが父との別れに泣きじゃくり、父子を引き離せないと苦悶するジョアンナをアパートの一階で一人ビリーのいる階へとテッドがリフトに乗せる。原作では電話でジョアンナの方が涙ながらに「ビリーは引き取らないわ。その代わり、時々会っても良いかしら? 破綻の原因は私にあるのよ」と電話をかけるところで終わっている。
受賞/ノミネート
第52回アカデミー賞
受賞 - 作品賞/監督賞/脚色賞/主演男優賞/助演女優賞
ノミネート - 助演男優賞/助演女優賞/撮影賞/編集賞
第37回ゴールデングローブ賞 ドラマ部門作品賞/脚本賞/ドラマ部門男優賞/助演女優賞
第14回全米映画批評家協会賞 監督賞/主演男優賞/助演女優賞
第45回ニューヨーク映画批評家協会賞 作品賞/男優賞/助演女優賞
第5回ロサンゼルス映画批評家協会賞 作品賞/監督賞/脚本賞/男優賞/助演女優賞
第34回英国アカデミー賞 作品賞//監督賞/脚本賞/主演男優賞/主演女優賞ノミネート
そのほか
第23回 ブルーリボン賞 外国作品賞
第53回 キネマ旬報賞 委員選出外国語映画部門第1位/読者選出外国語映画部門第1位
脚注^ “Kramer vs. Kramer (1979)
^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』(キネマ旬報社、2012年)390頁
^ a b c 『クレイマー、クレイマー』DVD収録のメイキング・ドキュメンタリーより。
関連項目
外部リンク
クレイマー、クレイマー - allcinema
⇒クレイマー、クレイマー - KINENOTE
Kramer vs. Kramer
Kramer vs. Kramer
表
話
編
歴
ロバート・ベントン監督作品
1970年代
夕陽の群盗(1972)
レイト・ショー(1977)
クレイマー、クレイマー(1979)
1980年代
殺意の香り(1983)
プレイス・イン・ザ・ハート(1984)
消えたセクシー・ショット(1987)
1990年代
ビリー・バスゲイト(1991)
ノーバディーズ・フール(1994)
トワイライト 葬られた過去(1998)
2000年代
白いカラス(2003)
ラブ・アペタイザー(2007)
カテゴリ
表
話
編
歴
アカデミー作品賞
1927?1940
つばさ(1927/28)
ブロードウェイ・メロディー(1928/29)
西部戦線異状なし(1929/30)
シマロン(1930/31)
グランド・ホテル(1931/32)
カヴァルケード(1932/33)
或る夜の出来事(1934)
戦艦バウンティ号の叛乱(1935)
巨星ジーグフェルド(1936)
ゾラの生涯(1937)
我が家の楽園(1938)
風と共に去りぬ(1939)
レベッカ(1940)
1941?1960
わが谷は緑なりき(1941)
ミニヴァー夫人(1942)
カサブランカ(1943)
我が道を往く(1944)
失われた週末(1945)
我等の生涯の最良の年(1946)
紳士協定(1947)
ハムレット(1948)
オール・ザ・キングスメン(1949)
イヴの総て(1950)
巴里のアメリカ人(1951)
地上最大のショウ(1952)
地上より永遠に(1953)
波止場(1954)
マーティ(1955)