戦中、コリエーレ・デラ・セラ紙の記者としてユーゴスラビアに行き、その後、東部戦線の激戦地に送られた。フィンランドやラップランドを経由して1943年半ばにイタリアに帰国後、マラパルテ邸にこもった。ウクライナの小さな村で執筆を始めた小説『壊れたヨーロッパ』は帰国後に刊行、ヨーロッパ中でベストセラーになる。1943年から反ファシズムのレジスタンスに参加、それから自由イタリア軍将校、アメリカ軍司令部の連絡役として活躍した。戦後、イタリア共産党に入党しようとするなど、共産主義に急接近した。1947年にパリ移住。1949年、小説『皮』を発表。毛沢東に感銘を受け、中国へ赴く。中国滞在中、長年の持病を悪化させ、イタリアに帰国。1957年にローマで肺癌のため死去[3]。
邦訳
小説
『皮』(岩村行雄訳、村山書店、1958年)
『壊れたヨーロッパ』(古賀弘人訳、晶文社、1990年)
随筆・評論
『クーデターの技術』(手塚和彰・鈴木純[要曖昧さ回避]共訳、中央公論新社〈中公選書〉、2015年/中公文庫、2019年)
関連項目
マラパルテ邸
小惑星(3479) Malaparte - マラパルテにちなんで命名された[4]
出典^ “ ⇒Malaparte, Curzio”. 2016年9月12日閲覧。
^ “Curzio Malaparte (1898-1957) - pseudonym of Kurt Erich Suckert”. 2016年9月12日閲覧。
^ “ ⇒MALAPARTE”. 2016年9月12日閲覧。
^ “(3479) Malaparte = 1948 TD1 = 1957 JJ = 1957 JM = 1958 QB = 1969 RW = 1979 OL14 = 1980 TQ = 1980 TS10 = 1983 EK1 = 1985 SP”. MPC. 2021年9月12日閲覧。
外部リンクウィキメディア・コモンズには、クルツィオ・マラパルテに関連するカテゴリがあります。
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