クリーブランド・ガーディアンズ
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本拠地はオハイオ州クリーブランドにあるプログレッシブ・フィールド。1915年から2021年までの球団名はクリーブランド・インディアンス(: Cleveland Indians)であった。
概要現チーム名の由来となった「交通の守護神像(Guardians of Traffic)」

ア・リーグ創設時から存在する古参球団。

1900年ウェスタン・リーグから改称した際、グランドラピズ・ラスラーズがクリーブランドに移転し、これが現在のクリーブランド・ガーディアンズの起源である。

この年アメリカン・リーグはまだマイナー・リーグであったが、翌年にメジャー・リーグに昇格宣言をしてメジャー・リーグとなった初年度1901年はクリーブランド・ブルーバーズ、翌年の1902年にはクリーブランド・ブロンコスと名乗ったが、1902年にフィラデルフィア・アスレチックスからナポレオン・ラジョイを獲得し、彼が主軸打者として中心メンバーとなり、彼の通称であったナップから1903年からナップスと呼ばれ、ナップ・ラジョイが中心となって活躍したチームだった。この間にはかつてクリーブランド・スパイダーズにいたサイ・ヤングシューレス・ジョー・ジャクソンも一時在籍した。そして彼がチームを離れたことで1915年にインディアンスと改名し、やがて1920年トリス・スピーカーを中心とした打線でリーグ優勝してワールドシリーズも勝ち、1948年には火の玉投手ボブ・フェラーを擁するルー・ブードローが遊撃手兼監督でチームを支え、さらにジャッキー・ロビンソンに続いて2人目の黒人選手ラリー・ドビーを獲得し、再びリーグ優勝を果たし、ワールドシリーズでもブレーブスを下した。しかし、その後は長い低迷を続け、1954年のリーグ優勝を最後に1994年までワールドシリーズからは遠ざかった。そのため、1989年には映画『メジャーリーグ』のモデル球団になるなど、弱小チームの代名詞として知られた。

1990年代後半になるとマニー・ラミレスジム・トーミといったスター選手を擁し、1995年から1999年まで5年連続で地区優勝を果たすなど、黄金期を築いた。2000年以降、緊縮財政のため上記の主力選手が流失してしまい、厳しい戦いを強いられた。しかし、その主力選手と引き換えに得たグレイディ・サイズモアトラビス・ハフナーCC・サバシアといった有望新人を育て、2004年に地区3位、2005年に地区2位、2007年には地区1位と着実に力をつけている。

地元での人気はもちろんのこと、映画『メジャーリーグ』の大ヒットにより、メジャーでも知名度は高い。1995年6月12日から2001年4月4日まで、ホームゲームで455試合連続満員御礼という記録を作っている。これを記念し、455番がチームの永久欠番となった。なお、その後ボストン・レッドソックスが2003年から2013年にかけて、794試合連続満員御礼として記録を更新している。交流戦ではヤンキースメッツのサブウェイ・シリーズのように、同じオハイオ州のシンシナティ・レッズとのカードが“バトル・オブ・オハイオ”と呼ばれ地元では人気を集めている。

本拠地であるプログレッシブ・フィールドは、2007年までジェイコブス・フィールドと呼ばれていたが、2008年に自動車保険会社のプログレッシブ社が、16年5800万ドルでネーミングライツを獲得したことでこの名前に変更した。クリーブランドの市街地にあり、タワーシティ・センターと呼ばれる電車やバスのターミナル(クリーブランド・ホプキンス国際空港からの電車もここに停まる)から徒歩圏内、途中にNBAクリーブランド・キャバリアーズの本拠地クイックン・ローンズ・アリーナがある。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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