クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(Creedence Clearwater Revival, 略称CCR)は、アメリカ合衆国のロックバンド。単純明快なロックンロールのベースに、ロカビリー、ブルース、R&B、カントリーから影響を受けた、豊かな音楽性を持っていた。
カリフォルニア州サンフランシスコ出身であるが、西海岸らしからぬ南部ルーツ音楽寄りの姿勢はアメリカ南部で隆盛を極めたサザン・ロックの先駆的存在であり、また泥臭いサウンドはスワンプ・ロックの代表ともいえる存在でもあった。
4年間余りという短い活動期間であったが、シングル、アルバムともに多くのヒット作を残した。1993年にロックの殿堂入りした。ローリング・ストーンの選んだ「歴史上最も偉大な100組のバンド」で第82位。
来歴(英語版) (B)、ダグ・クリフォード(英語版) (Ds) の3人が中学校時代に出会って結成されたザ・ブルー・ベルベッツを前身とする。後にジョンの兄で、既にバンド活動をしていたトム・フォガティ(英語版) (G) が加入する。メンバーは全員がカルフォルニア州出身である。1967年にサンフランシスコを拠点とするジャズ系ローカル・レーベルのファンタジーと契約(当時のレーベル・マネージャーのソウル・ゼインツによって、半ば契約させられた説あり)、バンド名を「ゴリウォッグス」と変えてデビュー。ゴリウォッグスは、醜い面相の男たちの意味であり、メンバーは無理やりレーベル側から着せられた衣装と共に、この名前も気に入らなかったという[5]。
翌1968年にバンド名をクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルと改めた。クリーデンス(信用)はトムの友人「クリーデンス・ニューボール」から、クリアウォーターはビールのCMを見ていて、流れる水の映像が気に入ったことと、メンバー全員の関心事であったエコロジーの観点から、リバイバルはバンドの復活、新しいバンド名で再出発との意味をこめて名付けられた[5]。
同年にデビュー曲として発表されたルイジアナのシンガーソングライター、デイル・ホーキンスのカバー「スージーQ(英語版) 」はサンフランシスコ・ベイエリアやシカゴのラジオ局でオンエアされた[6]。ファースト・アルバムはこの長尺な「スージーQ」で、スクリーミン・ジェイ・ホーキンズの「アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー(英語版)」カバーなどが収録され、内容はブルース・ロックとサイケな曲などを含み、当時ヒッピー文化が全盛だったサンフランシスコでも人気となった。
1969年から1971年にかけて、彼らの代表曲となる「プラウド・メアリー」、「ダウン・オン・ザ・コーナー」、「雨を見たかい」といったヒットを飛ばす。ところが「プラウド・メアリー」(3週連続)、「バッド・ムーン・ライジング」、「グリーン・リヴァー」、「トラベリン・バンド」(2週連続)、「ルッキン・アウト・マイ・バック・ドア」という、この5曲は全てビルボード・シングルチャートで全米第2位のみ。しかも現在まで全米No.1を獲得できなかった歌手、グループの中で最多5曲の全米第2位楽曲を持つという珍しい記録となっている。
人気バンドになったCCRだったが、楽曲のほとんどを作曲し、サックスからピアノまで自分で演奏するジョンの才能に注目が集まりすぎたためにメンバー間の軋轢が生じ(ジョン以外のメンバーがベーシックトラック録音のみに参加した曲も存在し、特に6枚目「ペンデュラム」が実質ジョンのワンマンレコーディング作ではないかと思われたことがあった[5])、1971年1月にバンドのマネージャーも兼任していたトムが脱退。ジョンが新マネージャーとして連れてこようとしたアラン・クレインは、「ビートルズを解散させた男」として悪名高い人物だった[5]。