クリミア半島
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1917年に始まるロシア内戦では、クリミアは白軍(反革命側)に占拠されていた。白軍が赤軍によって駆逐された後、クリミアはソビエト連邦の一部となり、1921年にクリミア自治ソビエト社会主義共和国が置かれた。第二次世界大戦では、独ソ戦において数年にわたってナチス・ドイツの占領下となった。

クリミアの戦い (1941年-1942年)ではクリミアタタール人の多くが赤軍に参加させられたが、1944年にはスターリンによりクリミア・タタール人は対独協力の嫌疑をかけられ、約20万人が中央アジアやシベリアに強制移住を余儀なくされ、その過程で住民の多くが命を落とした。この出来事はクリミア・タタール人追放(Surgun)として現在でもクリミア・タタール人の間で広く記憶されている。

1954年、クリミアはウクライナ出身のフルシチョフの指導により、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国からウクライナ・ソビエト社会主義共和国へとソ連構成国間の移管が行われた[14]。また1953年のスターリンの死後、1967年にクリミア・タタール人への追放措置は解除され、クリミアへの帰還運動が始められた。

1991年のソビエト連邦の崩壊により独立したウクライナに属するクリミア自治共和国となった。同年、ソ連邦内の全クリミア・タタール人から代議員が選出され、最高意思決定機関であるクリミア・タタール民族大会(クルルタイ)が開催され、クリミアへの帰還に向けての努力が進められた。クルルタイは常設機関としてクリミア・タタール民族会議(メジュリス)を設置した。

2014年クリミア危機の結果、クリミア半島の帰属はウクライナとロシア連邦との間で現在係争状態にある。クリミア半島全域がロシア軍と親ロシア派によって掌握される中、ウクライナに所属する自治共和国として自治を拡大するかロシア連邦に編入されるかが問われた『住民投票』で9割以上の住民がロシアへの編入を支持し、これに基づいてロシアはクリミア編入を行った。
政治「2014年クリミア危機」および「ロシアによるクリミアの併合」を参照

2014年クリミア住民投票の結果、3月18日にロシアクリミア半島の編入を宣言し、クリミア共和国セヴァストポリ連邦市を自国の連邦構成主体とした。事実上、ロシアの実効支配下にあるが、ウクライナ政府等は、住民投票およびロシアによる編入を非合法のものであったとして承認せず、国際連合総会は住民投票を無効とする決議を賛成100か国、反対11か国(棄権58か国)で採択した[15]

国際社会がロシアによる事実上の編入以降も法的に存続しているとみなすウクライナ領のクリミア自治共和国は1991年に設立された。1990年代には一時期、大統領がいたこともあったが、その後はウクライナ中央政府が派遣する大統領特別代表の下に、議院内閣制を採用していた。立法府は100議席のクリミア自治共和最高会議で、ウクライナ実効支配下で最後に行われた2010年選挙ではクリミア住民の大半を占めるロシア人などのロシア語話者を支持基盤とした地域党が50選挙区のうちの48区で勝利した[16]。クリミアにおけるウクライナ大統領特別代表は、2014年5月22日よりナタリア・ポポビッチが務めている[17]

政府による公式の統治機構と別に、クリミア・タタール人の民族自治機関としてクリミア・タタール民族会議(メジュリス)が活動している[18]
行政区分クリミア自治共和国/クリミア共和国(黄色)とセヴァストポリ特別市/セヴァストポリ連邦市(ピンク)詳細は「クリミア自治共和国」、「クリミア共和国」、および「クリミアの行政区画」を参照

ウクライナ領としてはクリミア自治共和国セヴァストポリ特別市、ロシア領としてはクリミア共和国とセヴァストポリ連邦市が置かれる。

クリミア自治共和国は単一国家であるウクライナでは唯一の自治共和国であり、セヴァストポリはロシア海軍黒海艦隊が租借する基地があるという重要性から自治共和国の管轄外でウクライナ中央に直属する特別市となっている。ロシアはクリミア自治共和国をクリミア共和国として編入し、セヴァストポリは都市単独で州や共和国と対等な連邦構成主体である連邦市とした。ロシアはクリミア半島の連邦構成主体を管轄させるため、クリミア連邦管区を設置し、その後南部連邦管区に吸収合併させた。


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