ソビエト連邦時代のロシアでは、クリスマスは伝統的な祭りとして禁止こそされなかったものの政府側は良い顔を見せず、キリスト教的な考えを壊そうとするソビエト共産党の意向に沿ったものにするなど、政治色の強いものとなっていた。特にヨシフ・スターリンの時代では、クリスマスがスターリンの誕生日の四日前ということもあり、クリスマスツリーにスターリンの写真をつるすといったことも行われた。子供は、サンタクロースに手紙を書く代わりにクレムリンに平和への感謝を記した手紙を書くように強いられた[80]。宗教弾圧が行われていたソビエト社会主義共和国連邦は、表向き大々的に降誕祭が祝われることはなかったが、ソビエト連邦の崩壊後の旧ソ連諸国では、再び降誕祭が大々的に祝われるようになった。
ルーマニア詳細は「ルーマニアのクリスマス」を参照
正教徒が多数派を占めるルーマニアだが、ルーマニア正教会では修正ユリウス暦を採用しているため、21世紀現在は西方教会と同日の12月24日?25日に祝われる主要な年次の祝祭である。クリスマスの祝賀はルーマニアのキリスト教化後に導入されたが、社会主義時代 (1948年 - 1989年) には宗教、イエス・キリスト、教会の概念は禁止された。民主化ともにルーマニアのクリスマスは再開され、よりお祭り色を強めた。クリスマスの祝祭シーズンは11月30日の使徒聖アンデレの日から始まり、1月7日の洗礼者ヨハネの祭日に終わる。この期間に祝われる主要な祝祭日として、12月1日の統一記念日、聖ニコラオスの日、聖イグナティオスの日、クリスマス・イヴ、クリスマス当日、聖ステファノの日、主の割礼祭(大晦日?元日)、神現祭がある。
イスラエル・パレスチナベツレヘム、聖誕教会前の広場
ユダヤ教とイスラム教が多数派のイスラエル・パレスチナだが、パレスチナ人(アラビア語話者)やアルメニア人などのキリスト教徒も古くから住んでいる。キリスト降誕の地とされるベツレヘムや、聖墳墓教会が建つエルサレム旧市街、オリーブ山などが含まれる東エルサレムは、パレスチナ自治政府(パレスチナ国)の領域である。またイスラエル直轄地にも、ナザレやガリラヤ湖畔が含まれるガリラヤ地方などは、やはりキリスト教徒が多く住む。
聖誕教会などがある聖地ベツレヘムでは、クリスマスの祝祭は3つの異なる期間に執り行われている。12月25日にはカトリックや聖公会など西方教会によって、1月7日(ユリウス暦12月25日)には正教会(ギリシャ正教)・コプト正教会・シリア正教会など東方教会の多くによって降誕祭が祝われ、さらに1月19日(ユリウス暦1月6日:神現祭の日)にはアルメニア使徒教会によって、キリストの降誕と洗礼が同時に祝われる(前述)[81]。「パレスチナのキリスト教」も参照 アメリカ合衆国ではその建国の経緯からイギリス流のクリスマスが一般的で、日本のクリスマスも英国・米国流を受け継いでいる。この日の前に、クリスマスの挨拶にとクリスマスにちなんだ絵はがきやカード(グリーティングカード)を送る習慣がある。また、プレゼントを家族全員で交換し合う習慣がある。 1960年代からアフリカ系アメリカ人の間で、クリスマスの翌日からアフリカ民族の伝統を祝うクワンザーという行事を家庭で行うことが増えている。 近年では、宗教的中立の観点による配慮と、それに対するキリスト教側の一部からの批判が問題となっている(「#宗教的中立とそれに対する批判」を参照)。 ハワイのクリスマスは、西欧諸国と同様、毎年行われる重要な祝祭の一つである。 ハワイにおける祝祭としてのクリスマスは、この地を訪れたプロテスタントの宣教師が紹介したもので、1820年以降に始まったと考えられている[82][83]。その伝統的な要素のほとんどは宣教師が持ち込んだものである[84][85]。ハワイの住人が今日のような形でクリスマスを祝う以前には、マカヒキという祭りがあった。このマカヒキが催される4カ月の間、すべての争いは禁じられていた。当時からすでに「あらゆる人へ平穏と善意があるように」という祝祭としてのクリスマスのエッセンスがあったといえる[82]。 メキシコのクリスマスは12月初旬から1月6日にかけて祝われる。また、これに関連する最後のイベントは2月2日に行われる。クリスマス期間中はキリストの降誕を人形で再現したものや、ポインセチア、クリスマスツリーなどを見ることができる。クリスマスのシーズンは、メキシコの守護聖人であるグアダルーペの聖母にちなんだ祝祭や、それに継いでラス・ポサダス
アメリカ合衆国
ハワイ詳細は「ハワイのクリスマス」を参照
メキシコマリアとヨセフがオアハカ風の衣装を纏った「降誕場面」詳細は「メキシコのクリスマス」を参照
インドネシア詳細は「インドネシアのクリスマス」を参照