1909年に大英帝国クリケット会議(現国際クリケット評議会)が設立され、原加盟国はイングランド、オーストラリア、南アフリカのみだった[44]。その後、西インド諸島 (1928年)、ニュージーランド (1930年)、インド (1932年) は、第二次世界大戦前にテスト・クリケットが行うことが可能となり、大戦後にパキスタン (1952年) も可能となった[44]。テスト・クリケットの出現によりこれらの国々でクリケットの人気は急上昇し、様々な競技会が創設された[44]。
女子クリケットも20世紀初頭に最初の重要な国際的な一歩を踏み出し、1934年に史上初のテストマッチがイングランドとオーストラリアの間で行われた[44]。1958年に国際女子クリケット評議会が設立された [44]。女子競技はさらに発展し、1973年にはあらゆる種類の最初の女子クリケット・ワールドカップが開催された[44]。1950年代にはイングランドでクリケットの守備的な性質が徐々に観客数の減少につながったことに応じて[44]、1963年にカウンティチームは、各1イニングのみの試合で、イニングごとの最大オーバー数を制限するバージョンのクリケットをプレーし始めた[44]。投球数が制限されたリミテッド・オーバー(英語版)の人気が高まり、1969年に国内リーグが設立された[44]。エリザベス2世と握手をするインド代表の選手(1952年[45])
1970年、南アフリカはアパルトヘイトにより国際クリケット競技会から無期限出場停止となった[44]。その後、1991年に国際スポーツの復帰が認められ、1992年のクリケット・ワールドカップに出場した[44]。最初の投球数が制限されたワン・デイ・インターナショナル(ODI)の国際試合は1971年にメルボルン・クリケット・グラウンドで開催された[44]。国際クリケット会議(当時)は、この展開に反応して、1975年にイングランドで第1回クリケット・ワールドカップを組織し、当時のテスト・クリケットを行なえる国が全て参加し、西インド諸島が初優勝した[44]。
第1回ワールドカップの成功はこのように大きく、クリケットワールドカップは1979年と1983年にイングランドで開催され、その後1987年にインドとパキスタンで開催され、クリケットワールドカップが定期開催カレンダーの一部となることが決定された[44]。1987年は白い服に赤いボールを使ってプレーされる最後のワールドカップとなり、1992年には投光器、色付きの衣装、白いボールが使用されるワールドカップの新時代が始まった[44]。