クリケット
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試合を行うフィールド[注 3]は長径140メートル程の楕円形であり、その中央には長さ22ヤード(20.12メートル)の長方形のピッチがある。

主な得点方法は攻撃側の選手(バッター[注 4]が守備側の選手(ボウラー)の投げたボールバットで打ち、その間に2人の攻撃側選手がピッチの反対側まで走り、守備側の返球でウィケットと呼ばれる杭を倒されるよりも早く、2人とも体の一部かバットがクリースと呼ばれるラインを越えると1点となる[8]。また打球がフィールド境界線のバウンダリーをゴロで越えると4点、ノーバウンドで越えると6点となる[8]。主なアウトの方法はボウラーが投球によってウィケットを倒すことや野球のフライアウトのようにバッターの打った飛球をグラウンドに着く前にキャッチすることである[8]
歴史詳細は「クリケットの歴史」を参照
初期クラブボールと呼ばれる中世時代のゲーム

起源は13世紀に羊飼いの遊びとして始まったという説がある[8]。クリケットの前身はクラブボールと呼ばれる13世紀のイングランドのゲームであった可能性がある[34]。クリケットはサクソン人またはノルマン人の時代に、イングランド南東部の密林と開拓地が広がる地域に住む子供達によって発明された可能性があるという専門家の意見の一致がある[35]。クリケットが成人のスポーツとしてプレーされたことが初めて言及されたのは1611年である[35]。ボールを打ち飛ばして目標に到達するのを阻止しようとする打者の介入によって、ボウルから派生したのではないかという考えもある[35]。ヴィレッジ・クリケット(英語版)は17世紀半ばまでに発展し、後半には最初のイングランドのカウンティチームが結成された[35]

18世紀前半、クリケットはロンドンとイングランド南東部の地域で主要なスポーツとしての地位を確立した[35]。その普及は旅行の制約により限定されていたが、イングランドの他の地域でも徐々に人気が高まり、女子クリケットの歴史は1745年に遡り、知られている限り最初の試合がロンドン近郊のサリーで行われた[35]。1744年に最初のクリケット法が作成され、その後1774年に修正され、レッグ・ビフォー・ウィケット(英語版)、第3スタンプ、中間スタンプ、バットの最大幅などの革新が追加された[35]

17世紀にはイギリスの植民地を経由して北米に伝わり、18世紀には世界の他の地域にも伝わった[35]西インド諸島には植民者によって、インドにはイギリス東インド会社の船員によって持ち込まれた[35]。1788年に植民地化が始まるとほぼ同時にオーストラリアに伝わり、19世紀初頭にはニュージーランド南アフリカに伝わった[35]
19世紀クリケットの試合として現存する最古の写真画像(1857年)[36]

ナポレオン戦争による19世紀初頭の投資不足を乗り切り、1815年に回復が始まった[3]。サセックスは1839年に設立された英国のカウンティクラブの中で最初であり、残りのクラブも19世紀末までにこれに続いた[3]。鉄道網の発達は、遠く離れたチームの時間距離を大幅に短縮することが可能となり、クリケットの普及にも役立った[3]。それだけでなく、観客は試合までに長距離を移動することができ、観客の数も増加する可能性もある[3]。世界中のイギリス陸軍部隊が地元住民のプレーを奨励し、旧大英帝国全体のチーム数が増加した[3]。女子クリケットは19世紀のスポーツの発展に重要な役割を果たし、1811年に最初の女子のカウンティの試合が行われた[3]イングランドチームの初の北米遠征(1859年、船上にて)[37]

アメリカ合衆国では野球アメリカンフットボールより長い歴史があり、アメリカ合衆国建国の父と言われるベンジャミン・フランクリンは、クリケットの1744年版の公式ルールブックをイギリスから持ち帰った[21]。19世紀半ばには1000を超えるクリケットクラブが全米に存在し[21]、史上初のクリケットの国際公式試合は1844年にアメリカとカナダの間でニューヨークで開催された[3]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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