クラフトワーク
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^ クラフトワークの音楽の根底には伝統的なドイツ特有のリズム感があるとも発言している。シンコーミュージック ディスク・ガイド・シリーズ#016テクノ・ポップ 美馬亜貴子監修
^ ドイツのグループでありながら英語で名乗るタンジェリン・ドリームなどとの違いが意識されていた。ラルフ曰く「ドイツ語はとてもメカニカルで、それを音楽の基本構造として使っている」パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』P42 また全盛期から現在までライヴの開幕時に使われる如何にもロボチックな人工音声によるアナウンスも主にドイツ語が使用される
^ ピンク・フロイドからの影響をインタビュアーに指摘されたラルフは「逆だ。彼らこそフランスの新古典主義音楽やドイツの電子音楽から多くを得ている」と返した。パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』P33
^ 40年後にニューヨーク近代美術館(MoMA)で回顧展が行われた事について結成当時からアート・シーンに関わりがあった事にラルフはインタビューで言及している他、フローリアンは「自分達の友人には音楽家よりも医者やコンピューターの専門家、心理学者、作家、画家など他分野の人の方が多い」と発言した事もある パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』
^ 楽器の発案や人工音声の制作を得意としたフローリアンについて後に加入するカールは「音楽家というよりはアーティストに近い」と形容している。またグループの共同作業者であったエーミール・シュルトは「常に引っ張り役だったのはフローリアンで、新しい展開をする段になると、フローリアンが物事を前に進めた。気性からいって彼はみんなと速度が違っていた。音楽に磨きがかかっていたら、それはフローリアンのおかげだ」と発言している。パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』P142他
^ 主にザ・フーなどに影響されていたヴォルフガングは、当時長髪だったラルフの外見にドアーズからの影響を感じたと著書ロボット時代で振り返っている
^ 2013年のインタビューでラルフの口から「当時のアルバムはコレクター向け」と位置付けられた 月刊rokin'on MAY2013 P93
^ ラルフは「我々は頭脳的なことばかりを意味するエレクトロニック(ミュージック)に体幹(ハート=筋肉)を加えた」と表現している 1982年マーク・クーパーによるインタビュー
^ フローリアンは「自分たちのヒーローであるビーチ・ボーイズと同じ地に立てて光栄だ」と語った。また楽曲アウトバーンの歌詞"Wir fahr'n fahr'n fahr'n auf der Autobahn"は正確なドイツ語を若干崩しておりビーチ・ボーイズの楽曲ファン ファン ファン(英語版)のフレーズを意識したと言われている(ヒットした要因にもあげられる) パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』
^ 「演奏者は音楽のダイナミズムを表現するためにステージ上で情熱的になる事が多いのにクラフトワークは徹底してクールですね」とのインタビューに対しラルフは「音楽は我々にとってより精神的なものなんだ。ボタンの操作を誤ってしまう訳にはいかないのでステージ上では無暗やたらに飛び回る事はできない。電子機材は非常に繊細なもので、その操作はミクロ単位でメスを動かすようなものなんだ」と答えている。また「オーディエンスの反応は気にしていますか?」と聞かれ「もちろんだ、我々は20人から2万人の前で演奏するがオーディエンスの反応はいつだってライヴの重要な要素さ」と答えている。ストレンジ・デイズ2004年No.55 P69 ヴォルフガング・フリューア『クラフトワーク ロボット時代』
^ フローリアンの発案で制作された光電管製の巨大な檻型電子ドラムは反応が極めて不確実であったものの、何らかの面倒なトラブルに見舞われた日のステージに限って何故か上手く作動したとヴォルフガングは著書ロボット時代で振り返っている
^ メンバーの名前があしらわれたネオンは専門店で働いていたフローリアンの妹が用意した物であった
^ 当時ラルフはボウイとのコラボレーションについて示唆した事があったがグループの独自性を優先する為に実現はされなかった
^ パンク・ロックの祖の一人とされながらも知的な一面でも知られるイギー・ポップと共に楽曲ヨーロッパ特急の歌詞に登場している(これもボウイを通じて実際に面会した経験が元になっている。イギーは当時ラルフとフローリアンに夢中だった) パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』P123
^ ボウイは特にフローリアンの乾いたユーモアを評価しておりアルバム英雄夢語り (ヒーローズ)に彼の名を冠したV-2 シュナイダーなる楽曲を収めた
^ アルバム放射能制作当時のスタジオ内ではキンクスが愛聴されていた パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』
^ 初期からアルバム人間解体以前のクラフトワークは日本などでは「ジャーマン・プログレッシブ・ロック」として紹介されていた
^ アウトバーン・ツアーでのヘヴィースケジュールから喚起されたと同時に彼らに対するイメージがやがて“マン・マシーン”なるコンセプトへと繋がっていった パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』
^ 2012年より開催されている『Retrospective 1 2 3 4 5 6 7 8』ではこの特徴がそのまま活かされていると言える
^ 因みにクラフトワークを脱退しノイ!で活動した時期のクラウス・ディンガーのボーカルがパンク的歌唱の祖とする説もある
^ 少なくともヴォルフガングはそう意識していたと著書ロボット時代に記している
^ アルバムヨーロッパ特急のドイツ国内盤のジャケットで使用されたモノクロの写真はラモーンズのデビューアルバムのジャケット写真に見られる現実重視型のアプローチからの影響を反映している。これはクラフトワークの様に高価な機材を扱うバンドとしては異例のアプローチであった パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』P123
^ パンクの興隆と共にプログレッシヴ・ロック・シーンは勢いを弱めていったが クラフトワークはその確信犯的な非人間性・非観念性によって糾弾を免れたのみならずパンク?ニュー・ウェイヴムーヴメントの中でも特殊な磁力を発する事となった
^ これはビートルズやチャック・ベリーローリング・ストーンズなどのファンでもあったカールのメロディセンスに因るところも小さくない パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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