クラクフ
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地理

クラクフはホーランドの南部にあり、カルパティア山脈タトラ山脈(南)とクラカウ・チェンストホヴァジュラ紀高地(北)の間を東に向けて流れるヴィスワ川に沿っていて、標高は219メートルである。

近隣の都市としては、約70キロ西にカトヴィツェ、100キロ北東にキエルツェ、75キロ東にタルヌフ、85キロ南にザコパネが位置している。
気候

クラクフの気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
最高気温記録 °C (°F)15.7
(60.3)21.0
(69.8)25.2
(77.4)29.6
(85.3)33.3
(91.9)35.5
(95.9)36.1
(97)36.7
(98.1)33.1
(91.6)27.7
(81.9)21.2
(70.2)18.9
(66)36.7
(98.1)
平均最高気温 °C (°F)1.1
(34)1.5
(34.7)7.9
(46.2)13.7
(56.7)19.8
(67.6)22.1
(71.8)24.2
(75.6)23.9
(75)19.2
(66.6)13.6
(56.5)5.0
(41)2.9
(37.2)12.9
(55.2)
日平均気温 °C (°F)?2.1
(28.2)?1.8
(28.8)3.8
(38.8)9.6
(49.3)14.1
(57.4)18.0
(64.4)19.6
(67.3)19.3
(66.7)14.7
(58.5)9.2
(48.6)2.6
(36.7)0.0
(32)8.9
(48)
平均最低気温 °C (°F)?5.3
(22.5)?5.1
(22.8)?0.5
(31.1)5.5
(41.9)9.0
(48.2)13.8
(56.8)15.0
(59)14.7
(58.5)10.2
(50.4)4.8
(40.6)0.2
(32.4)?2.9
(26.8)5.0
(41)
最低気温記録 °C (°F)?29.9
(?21.8)?29.4
(?20.9)?22.9
(?9.2)?9.4
(15.1)?2.7
(27.1)0.6
(33.1)4.3
(39.7)2.0
(35.6)?4.1
(24.6)?7.9
(17.8)?17.7
(0.1)?25.5
(?13.9)?29.9
(?21.8)
降水量 mm (inch)34
(1.34)34
(1.34)35
(1.38)42
(1.65)56
(2.2)84
(3.31)90
(3.54)82
(3.23)55
(2.17)44
(1.73)41
(1.61)34
(1.34)631
(24.84)
平均降水日数15121391112131311121412147
湿度82827768636971747579838676
平均月間日照時間435410214418920420818315310551331,469
出典:Institute of Meteorology and Water Management

環境

ポーランドは一般に冬は石炭を炊いて暖房にするため、特に山に囲まれたクラクフとその近辺は、やはり同国南部のカトヴィツェなどと共に、ヨーロッパでも有数のスモッグの町として知られている。[6]
文化ダ・ヴィンチ
『白貂を抱く貴婦人』

クラクフ歴史地区
ポーランド

クラクフ、フロリアンスカ通り
英名Historic Centre of Krakow
仏名Centre historique de Krakow
登録区分文化遺産
登録基準(4)
登録年1978年
公式サイト世界遺産センター(英語)
地図
クラクフ旧市街の地図を表示クラクフ中心部の地図を表示
使用方法表示
ヴァヴェル城中庭

クラクフはポーランド文化の中心地であるといわれる。第二次世界大戦であまり被害を受けなかったこともあり、世界遺産に登録されている旧市街には、歴史的な建造物が多く残っている。なかでも旧王宮であるヴァヴェル城聖マリア教会、織物会館などがある。

クラクフには国立美術館、各種博物館や美術館など文化施設が存在する。レオナルド・ダ・ヴィンチの「白貂を抱く貴婦人」があるチャルトリスキ美術館や、日本美術品収集家フェリクス・"マンガ"・ヤシェンスキ(ポーランド語版)の日本美術コレクションが展示されている「日本美術技術博物館“マンガ”館」(館名の「マンガ」の直接の由来はヤシェスキが美術評論をする際のペンネームであるが、そのヤシェンスキは葛飾北斎北斎漫画にちなんだ。建物の設計は磯崎新。)、ポーランド人画家ヤン・マテイコらの作品がある国立美術館である。
聖マリア教会のラッパ

中世、モンゴル軍の襲撃に逢った際、ラッパ吹きが危険を周知させるためラッパを吹いている最中に矢で射殺されたという言い伝えがある。それに倣い、広場にある聖マリア教会の塔の上からは、一時間おきにラッパが吹き鳴らされ、演奏中に突如途絶する。この伝統は中世から連綿と続いている。

この時報としての「ヘイナウ・マリアツキ(英語版)」(: Hejna? Mariacki、聖マリアのトランペットコール)は1392年の公文書に記載されているものが最古の記録だが、「ヘイナウ」がハンガリー語由来の外来語であることから、遅くともそれより数十年前の、ハンガリー王を兼任していたポーランド王ルドヴィク1世の治世には既に定着していたようである。当時は、市の東西南北それぞれにあった城門にもそれぞれラッパ士がいた。聖マリア教会でのラッパが途絶すると、4つのうちいずれかひとつの城門のラッパ士がその後のメロディを受け継いで、その城門の開閉を市内外に知らせていた。ヘイナウ・マリアツキはその長い歴史の中で、知られている限り二千人以上の人々が担当している。

ヘイナウ・マリアツキは、これまで2度だけ「聖母の涙」という、キリスト教音楽の別の曲にとって代わられた。


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