クラウディオス・プトレマイオス
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『惑星仮説』は、天体計算の理論の背景にある宇宙論を説いたものである。これを元に天体の運動を再現する模型を作ることができる程に、具体的に数値まであげながら、天体の軌道の物理的な構成と運動の機構を説いた[10]

後世への影響では、最も中核にある内容を含み、かつ網羅的であった『アルマゲスト』が第一であった。古代から中世を通じて、多くの批判や修正はなされたが、天文学の最も重要な著作であり続けた。次いで『簡便表』も盛んに用いられ、中世の「天文表」(天文計算のためのハンドブック)の作成に役立てられた。一方、中世の宇宙論の書に採用された天体の配列順序や数値の出所をたどると、多くは『惑星仮説』に行きつく[11]。だが、『惑星仮説』はラテン語訳が16世紀から17世紀にかけてやっとなされる[12]ことからもわかるように、影響は間接的なルートを経たと思われる[13]プトレマイオスによる惑星の運動惑星(黄色)は周転円(小さい円)に沿って等速回転する。
周転円の中心は、従円(大きい円)に沿って動く。ただし、従円の中心Xは地球の中心とは異なる。周転円の中心の運動は、エカント点(・)から見る角速度が一定となるように動く。

プトレマイオスよりはるか以前から、古代ギリシアの思索家たちは、天体の動きを説明する仕組みについて、地動説から天動説まで、多様なアイデアを生み出していた。また、紀元前4世紀のエウドクソスは、地球を中心とする球体の回転の組み合わせで、天体の動きを説明しようとした(同心球体説)。アリストテレスは、エウドクソスの理論に基づいて、自らの宇宙論を組み上げた。

しかし、バビロニアの数理天文学の算術的な方法の方が、数値的な予測にははるかに優れていた[注釈 1]。そこでバビロニアの長所(算術やデータ、天文定数)を取り入れつつも、幾何学的な説明を主軸にした独自の天文学がヒッパルコス(BC190年?-BC120年?)らによって生み出された。それをさらに発展させたのがプトレマイオスであった。円運動に基づき、地球中心で天を球体としている点はエウドクソスと同様だったが、より技巧的な仕組みを導入した。また、幾何的な説明を数値に結びつけるために「弦の表」を導入した。これは、円弧の長さと弦の長さ間の関係を表にしたもので、今の三角法の起源である。

惑星の天球上の軌道は、黄道から極端には外れない。そこで、黄道にそった回転(黄経)と黄道からのずれ(黄緯)に分けて、まず前者を説明し、最後に後者を説明する機構を付け加えた。

黄経の理論においては従円と周転円に基づく説明を用いた。水星を除く惑星については、右図のように二つの円運動を組み合わせた。惑星の見かけの動きは、惑星の公転と地球の公転(の逆)の合成だが、その各々に一つづつ円運動を割り当てたことになっている。従来の手法に加えて、プトレマイオスは新たに「エカント」という機構を導入して、近似の精度を上げた。エカントを取り入れた円運動はケプラーの法則をよく近似した[注釈 2]。黄経の理論は、月や水星といった例外を除くと簡潔で、現象をよく説明した。

一方、惑星の黄緯の理論は複雑で、特に内惑星の黄緯の理論は理論計算すら難渋を極め、プトレマイオスは精度の悪い近似で済ませている。そして、のちの『簡便表』『惑星仮説』で順次モデルを簡潔にしてゆく。最後の『惑星仮説』のものが今日から見れば最も現象に合うが、後世に影響を及す事はなかった[14]。中世の理論家は、『アルマゲスト』の複雑な理論と格闘し、あるいはインド由来の理論や『簡便表』の不合理な理論を援用することになる[15]。コペルニクスも『アルマゲスト』を元に自身の理論を練り上げたため、その理論では、惑星の軌道は太陽を中心にしながらも、複雑に上下しながら回転することになった。

アルマゲスト』は古代において既に天文学の基本的な書物とされ、また、『簡便表』共々、注釈書が書かれて天体の計算に広く用いられた。しかし、これらの内容を深めたり検証するといった科学的な進展は、古代に於いてはほとんどなかった[16]。これらの書物が天文学において活発に利用・検証され、かつ改良されるのはイスラム期の中東や中世後半の欧州においてであって、観測技術や数理的な手法の発達と変革を促し、科学革命を準備した。こうして改善されたプトレマイオスの理論は、中世までの観測誤差の範囲内では、中心的な問題については、ほぼ観測と整合的であった。ただし、月の理論は黄経は非常によく説明したが[注釈 3]、見かけの大きさ(視半径)については観測と全く合わなかった。そのほか、太陽の見かけの大きさの変動、惑星の明るさの変動など、周辺的な問題について観測に合わない点があった。

天文学は、観測の予測と説明の道具であると同時に、宇宙論にも示唆を与えるものであった。アリストテレスの宇宙論は、すでに見たようにエウドクソスその他の天文学者の見解を大いに利用しており、地球の大きさや恒星までの距離の見積もりから、地球の大きさは宇宙に比べれば無限小である、と述べている。だが、同時に天文学は天体の幾何学的な側面にのみ関わるもので、物理的な考察は自然学の役割であるとした。

プトレマイオスの宇宙論は、『アルマゲスト』第1巻や『惑星仮説』で明らかにされている[10]。また、『アルマゲスト』の序文で、自然学は論争が絶えず明瞭な結論が得られないが、天文学を含む数学的な学問は、確実な基礎を持ち、自然学の問題を考える上でも有用な結果を示すことが出来るとしている。続く宇宙論の中では、地球が球であることや自転していないことについて、自然学的な論議ではなく経験論的な証拠をあげることに努めている。

プトレマイオスの宇宙論は、アリストテレスのものに近く、周転円などの実態は透明な等速回転する球体であって、天体はそれに張り付いているとした。しかし、様々な点でアリストテレスと異なった考えも表明している。例えば、透明な球体の代わりに、上下の不要な部分を切り落とした形状のものでも問題ないとした。これは、『アルマゲスト』で球にほとんど言及せずに円で議論を済ませていたことを正当化する。また、天球の動く原因としてアリストテレス不動の動者を設定し、内側の天球は外接する天球の運動に引きずられるとしていた。つまり、内側の天球の運動は、外接する天球の運動と自ら固有の運動の合成になる。これに対して、プトレマイオスは動物への喩えで惑星の動力因を説明し、アリストテレスが主張したような運動の合成を否定した。これはストア派の影響とされる[17]


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