環太平洋地震帯の一部をなすニュージーランドは地震活動が活発であり、クライストチャーチ(カンタベリー地方)でも過去に繰り返し震災が起きている。近年では特に2011年2月に発生した地震による被害が大きかった。 行政運営は市長と市議会により行われる。2013年10月にリアン・ダルジル(元弁護士、元ニュージーランド労働党議員(8期))が第46代市長に就任。市議会議員選挙は3年ごとに改選が行われ、市内を6つの都市区と人口がまばらな1区(バンクス半島区)に分け、6都市区から各2名、バンクス半島区から1名の議員を直接選挙により選出し、計13名の議員により議会運営が行われる。その他、各地域の問題を議論するコミュニティー評議会が市内を8つの評議区に分け設置され、各評議区から5名の評議委員が地域住民により選出される。各評議区には5名の評議委員と市議会2名(バンクス半島区選出の議員はアカロア-ワイレワ評議区とリトルトン-マウント・ハーバート評議区を兼務)が所属し地域問題を担当する。 クライストチャーチは早くから行政運営に民間的手法を導入し数多くの先進的な取り組みと革新的な改革を行ったことから、1993年にドイツのベルテルスマン財団よりカール・ベルテルスマン賞を授与された。 カンタベリー平野を中心に酪農、畜産、農業が盛んに行われている。製造業、不動産、卸売り業も盛ん。近年ではヨーロッパ、アジア、北米地域からの観光客を中心に観光や旅行業も盛ん。南島の商業中心都市であり金融業、縫製業が盛ん。 街の中心に建つクライストチャーチ大聖堂は街のシンボルとして有名。その周辺が最も賑やかな繁華街を形成しており、ビジネス、商業、観光の中心地として多くの観光客、市民で賑わいを見せる。詳しくはクライストチャーチ・シティ・センターを参照の事。 クライストチャーチ大聖堂を中心に観光用路面電車に乗ることもできる。クライストチャーチ・アートセンターは観光客に人気の観光名所。クライストチャーチ植物園へも徒歩で向かえる。隣接するカンタベリー博物館ではカンタベリー地方のマオリ文化の歴史的資料の展示、かつて実在した巨大な鳥・モアに関する展示のほか、カンタベリー地方開拓時代の歴史的資料などが展示されている。 大聖堂から西の位置にハグレイ公園がある。
2011年のカンタベリー地震
2011年2月22日12時51分(現地時間)、ニュージーランドのカンタベリー地方でM6.1の地震が発生した。震源に近いクライストチャーチを中心に甚大な被害が発生し、日本人28人を含む185人が犠牲になった。この地震では、現地(クライストチャーチ)に滞在していた多数の日本人も被災している[2]。日本人の死者・不明者は28人であり[3]、いずれも留学生であった[4]。元々、ニュージーランドは治安が良いなどの理由で留学先として人気が高く[5]、また地震当時はほとんどの大学が冬期休暇であったこともあり、多くの日本人留学生がクライストチャーチにいた[6]。犠牲者も下記の通り全員留学生で、高校を卒業して間もない学生もいた。被害が拡大した要因のひとつは、6階建ての「CTVビル」の崩壊であった。このビルの4階には語学学校があり、日本人の短期留学生38人を含む多くの外国人留学生がいた(特に日本や中国などアジア圏からの留学生が多かった)。そんな語学学校のビルが激震で倒壊したことにより、多くの日本人が巻き込まれてしまったのである[7]。CTVビルの倒壊に伴う犠牲者は、28人の日本人を含めて115人に達した[8]。以下は死亡が確認された日本人の所属していた専門学校および、留学斡旋元:
富山外国語専門学校 - 12人
海外留学斡旋会社 - 10人
海外留学 - 2人
個人留学生 - 4人
行政
経済
観光旧州政府庁舎とエイヴォン川トラム(路面電車)アートセンター