クトゥルフ神話
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さらにラヴクラフトには非白人への恐怖感や嫌悪感があり、20世紀前半当時としては問題にはならないが現代であれば人種差別主義と言えるほどの偏見で、諸作品における人間と人ならざるものとの混血といったモチーフに結びついている[9][10]。ニューヨークに象徴される現代アメリカ文化に対する嫌悪感も強く描写されており、ラヴクラフトの恐怖と嫌悪は、人種云々以前に現実全般(己自身をも含む)に及んでいたものと思われている[11]

対して好古趣味で知られ、アメリカ植民時代の古い建築物街並みの描写がしばしば登場する。自身も古い時代の家に住んだことを喜んでいる手紙を書いている。また化学、天文学に強い関心があり、「科学を信じると共に宗教心を失ったが、悪夢にも苦しまなくなった」としている。架空の天体、宇宙から来た生物などSFの要素が強いのもクトゥルフ神話の特徴である。ギリシア神話や詩、童話に影響を受け、文学以外では、ドレゴヤの絵画を挙げている。
発展

ラヴクラフトは、自身の創作したキャラクターや地名などの固有名称や設定が自身の複数の作品に渡って登場する一種のスターシステムを取り入れた。これは、読者が繰り返し同じ名称に触れることで関心を引き出すという演出である一方、ラヴクラフト自身が気に入った他人の作品に登場した名称をメタフィジカルに登場させて関連付けたり、異なる作品をシリーズ化させ単純に新しい設定を作る手間を省く狙いもあった。やがてそれらを他の作家が利用すると複数の作品が世界を共有することで一つの体系を為すようになった。

一連の小説世界は、ラヴクラフトとフランク・ベルナップ・ロングクラーク・アシュトン・スミスオーガスト・ダーレスらの固有名詞・設定のやり取りによって創始され、彼の死後、ダーレスやリン・カーターらがそれらの設定を整理して「クトゥルフ神話」として体系化していった。ラヴクラフト自身、後期の作品群にはある種の体系化を試みた形跡が見られ、共通した人名、地名、怪物名、書名等が現れ、作品間の時系列的関係にも考慮の跡がみられる。しかし背景をなす神話世界の全体像に関しては、もっぱら暗示するに留めた。

ラヴクラフトは、彼に先行する作家アルジャーノン・ブラックウッドロード・ダンセイニアーサー・マッケンエドガー・アラン・ポーなどから影響を受けている。今日では、マッケンの『白魔』やロバート・W・チェンバースの『黄の印』など、ラヴクラフトに先行する作品もクトゥルフ神話体系の一部と見なす見解もある。

最初のクトゥルフ神話作品については、1917年の『ダゴン』、1921年の『無名都市』、1926年執筆・1928年発表の『クトゥルフの呼び声』などが挙げられそれぞれに理由はあるが、特定はできない。一例だが東雅夫は『クトゥルフの呼び声』が執筆された1926年を「クトゥルフ神話元年」と表現した[12]。ラヴクラフト以外による最初のクトゥルフ神話は、1928年のFBロングの『喰らうものども』である。創始者のラヴクラフトは構想の全貌を体系化することを試みておらず、また多くの執筆者の手によって諸々の作品が書かれ、いわゆる「クトゥルフ神話」はいつの間にか成立していたのだが、ダーレスなどは体系化することを試みる。大瀧啓裕は、『クトゥルフの呼び声』『ダンウィッチの怪』『インスマウスの影』の3作品をダーレスによるクトゥルフ神話体系の中核と述べる[13]
アーカムハウス

ラヴクラフトの愛読者であったダーレスは、自分の解釈に基づいて自分も神話作品を執筆し、旧神が邪悪な旧支配者を封印したとする独自の見解や、旧支配者を四大霊にあてはめるなど新たな解釈を行なった。ダーレスは第2作神話『潜伏するもの』などの原稿をラヴクラフトに送っており、(正式公開前の原稿段階で)読んだラヴクラフトは力作と賞賛した。その後、ダーレスは自らの解釈に基づく作品を多数発表していくことになるが、他の作家たちもそれぞれ好き勝手な解釈や設定を付け加えていた。

ラヴクラフトはパルプ雑誌『ウィアード・テイルズ』に作品を載せていたが、掲載を断られたり、自信がない作品は発表せずストックしていた。彼の死後、1939年にダーレスは、これらを出版するため出版社「アーカムハウス」を創設する。これによって未発表の作品が多くの人に触れる切っ掛けになる。またダーレスはラヴクラフトの構想メモを引き継ぎ連名で神話作品を複数執筆しているが、それらはダーレス神話であり、ラヴクラフト単独の作品とは雰囲気や設定が大きく食い違う。またダーレスは「クトゥルフ神話」体系の普及に努め、他の作家も神話作品を書くように働きかけた。

これらによってラヴクラフトという作家は広く認知されることとなったが、ダーレスはラヴクラフトの文学を後世に伝え広めた最大の貢献者として称賛される一方で、ラヴクラフトのコズミック・ホラーを世俗的な善vs悪の図式に単純化したという理由で死後に批判されることにもなった。ただしダーレスが他作家に「ダーレス神話」を強要したわけではなく、ダーレス存命中にアーカムハウスから刊行された新世代作家陣によるクトゥルフ神話作品は、必ずしもダーレス設定に準拠しているわけではない。
新しい発展

ダーレスは、ラヴクラフトやスミスの書簡集も出版したが、クトゥルフ神話については、あくまでも作品に記された部分にだけ注目していた。だが、書簡の中でのみ言及されている設定や神々の名もあった。最初にそこに注目したのはリン・カーターである。今日では、書簡で述べられていた設定は、次々と神話作品内に取り入れられている。

ラヴクラフトが創始したクトゥルフ神話作品の基本パターンは、好事家や物好きな旅行者が偶然から旧支配者にまつわる伝承や遺物に触れ、興味を引かれて謎を探求する内に真相を探り当てて悲劇的最期を遂げ、それを本人(が残した手記で)あるいは友人が語るというもので、特定の地名や神名、魔術書などの独特のアイテムが作中に散りばめられる。クトゥルフ神話は、こうしたアイテムによって定義されているとも言え、小説の素材として多くの作家に利用されてきた。ラヴクラフト以後の作家によって書かれた神話作品は、こうしたラヴクラフトの基本プロットを踏襲して、そこに新たに創作した遺物を付け加えるなどクトゥルフ神話の一部と呼ぶに相応しい本格的なものから、単に旧支配者の神名や召喚の聖句などが作中に出てくるだけのものまで、さまざまに共有・拡張され、神話体系ができあがっている。そして、これらの神名や新しい土地、魔導書等の名やキャラクターは、今も増え続けている。

1940・50年代、アーカムハウスから作家が作品を発表する一方で、あるファンはバラバラだった作品群を体系化しようと、事典を作りファンジンに発表する。これらの事典は、ダーレスに注目されることとなり、アーカムハウスの単行本に収録され、またダーレスが作品の方を事典の記載に合わせるなど行い、公式設定と化すことになった。

カーターは1970年代にリバイバルと体系化を試み、1972年に『クトゥルー神話全書』を著してクトゥルフ神話の知名度を上げた。これを境に、英語圏で神話書籍が爆増している[14]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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