クエーカー教徒
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ジョエル・ビーンは自分の仲間たちに忍び寄る過激な福音主義に反対する正統派であった。アメリカ合衆国西部に新しいクエーカーの組織を結成した。「ビーン派」あるいは独立派は、「普遍的キリスト中心主義」を掲げるヒック派とウィルバー派を合わせたものに似ている。
支部組織

多くの宗教団体同様、現在のキリスト友会は進化や変異、分裂を経ていくつかの分派に分かれている。
イギリスのクエーカー

イギリスでは友会の歴史を通じて高度の組織的な結合が見られる。各地の友会の集会は、準備集会と呼ばれている。数箇所で月会が行われ、その月会で月例の事務会が行われる。全国の月会の代表者によって年に一度「年会」が開かれる。また一年を通して社会活動などの年会の仕事を遂行する受難のための集会(Meeting for Suffering)が常時活動執行部の役割をしている。これはもともと迫害期に収監された信徒の残された家族の厚生を守るために作られた委員会であるが、現在まで存続し事実上米国のフレンズ奉仕団に相当する活動をしている。
アメリカ合衆国のクエーカー

アメリカ合衆国の友会は、イギリス以上に細分化されているが、依然共通点が多い。礼拝の形態には2種類あり、礼拝式次第(プログラム)のある集会(Programmed Meetings)とない集会(沈黙集会、静粛集会)(Unprogrammed Meeting)の2つがある。このような違いは、米国における友会歴史的分派に由来している。

プログラムのない集会(静粛集会)の方の最小単位は、集会(Meeting)または月会(Monthly Meeting)と呼ばれ通常日曜日ごとの礼拝を行っている。こうした集会は、礼拝に決められた礼典の次第がないため「プログラムなし」と呼ばれている。誰かが語り始めるまで沈黙を保つことになっている。聖職者はいないが、様々な委員会や役職が、他宗派では聖職者が行うような重要な役割を果たすことが可能である。こうした人々は、牧会監督会、牧会評議会、集会書記、長老、重心会友(Weighty Friends)と呼ばれることが多い。通常書記は聖職者に相当する管理業務をこなせる人が任命される。数箇所の月会は、季節会と呼ばれる地域会合を形成し、更に通常年会と呼ばれる大きな会合を形成する。

プログラムのある会派は、友会徒教会(Friends Church)と呼ばれることが多い。通常牧師を置いており、いわゆる按手礼を受けた聖職者でなく平信徒の牧会担当者であるが、正式の牧会・神学教育を受けている場合が多い(ちなみにクエーカーの神学校はインディアナのアーラム・カレッジにあるアーラム神学校 Earlham School of Religionである。)。牧師の仕事は、礼拝の進行と賛美歌・礼拝・説教・牧会カウンセリングなどである。プロテスタント教会に似ているが、多くは沈黙の時間のプログラムなしの方式を一部取り入れている。

プログラムのあるクエーカー教会は、プロテスタントの主流派に類似しているが、多くのクエーカーは、自分たちの教義をプロテスタントでもカトリックでもなくキリスト教第3の道と考えている。現在のクエーカーの信仰は幅広く、信者の中にはキリスト教徒を自認している者から、無神論的傾向(nontheistic)をもつ者など様々であるが、少なくとも北米・英国では大多数がキリスト教の中でもリベラルな傾向を持っている。

友会徒の集会には上記の中間のような会合もある。
組織詳細は「en:List of Friends Schools」および「en:Yearly meeting」を参照

世界で友会徒の手で学校が多く作られている。

全国あるいは地域ごとの組織は、年次会合と呼ばれている。

幾つかの年次会合は更に大きな組織(友会徒総会(FGC)、友会徒連合会議(FUM)、国際福音友会徒(EFI)の3長老会)に属している。(各団体はアメリカ合衆国で最大の組織である。)FGCは最もリベラルな解釈を採る団体であり、EFIは最も保守的な団体である。FUMは3つの中では最大の団体である。それぞれ独立した月例会がある一方で、更に大きな組織に加わる月例会がある。

友会徒世界諮問委員会(FWCC)は様々な友会徒団体を緩やかに結びつける国際組織である。FWCCは1937年の世界友会徒会議(アメリカ合衆国ペンシルベニア州スウォースモア)で「世界の友会徒同士の更なる理解を深めるべく最大限諮問活動を(特に合同会議と相互訪問の奨励と目的にむけて指導する研究と活動の収集と配布により)行うべく」設置された。約70の年次会合と支部から任命された約175人が、3年おきにトリーニアルズで相互の連携を深める目的で集まっている。FWCCは世界で最も多様性のある友会徒を目指している。

様々な連合組織にワシントンに拠点を置くロビー活動団体友会徒全国立法委員会(FCNL)、アメリカフレンズ奉仕団(AFSC)のような奉仕団が数団体、クエーカー国連事務所、クエーカー平和と社会福祉、友会徒ボーイ(ガール)スカウト委員会もある。
教義
具現する神

フォックスたち初期のクエーカー伝道師は、全ての人に神父・牧師や聖餐による取り次ぎがなくても神が現れると信じていた。フォックスは手記に「キリストは人々を導き給うために遣わされた」と記した。

友会はよく「神は全ての人に現れる」、「内なる光」、「内なるキリスト」、「内なるキリストの聖霊」などの多くの言葉で言い表してきた。友会は皆が「神の具現」を拒んでいると信じているから、クエーカーの道の多くは、内なる指導が語ることを聞くことに重点が置かれている。アイザック・ペニントンは1670年に記している。「キリストの声を聞き、書いたものを読んでも十分ではないが、私の根本、生活、起源をキリストに感じるには、十分である。」
神秘主義

クエーカーの信仰はよく神秘主義といわれるが、2つの理由から他の神秘主義とは異なっている。

まずクエーカーの神秘論は、主として個人より集団を対象にしている。プログラムなしのクエーカーの集会は、集団神秘主義が現れる場所、すなわち参加者全員が共に聖霊の声に耳を傾ける場であると考えられている。

次にクエーカーの神秘主義は、直接外部に現れることを強調する。この世から逃避するのではなく、クエーカーの神秘論は、個人の神秘主義をこの世における現実の行動に転化する。行動は次々と更に大きな精神的な理解に(全体として個人と集会で)導いていく。クエーカーは導きとして特別な行動を取る聖霊の呼びかけに言及する。ジョン・ウールマンは(この場合、奴隷制度廃止運動)個人や集団がどのように世界を遍く良い方向に変えてゆけるかの一例である。この過程で聖霊は新しい方法で自身を表し、集団の神秘主義を示している。
聖書

初期の友会は、キリストは神の言葉(聖書ではない)であると信じていて、例えばロバート・バークレイに依ると聖書の言葉は、「泉の告白であって、泉そのものでなく、従ってあらゆる真理と知識の根源をなすものでもいまだ信仰と礼法の十分な基本形と考えるべきではない。」(『弁証』)

しかし初期の友会はキリストは聖書を否定する方法で導くことは決してないだろうと信じ、聖書を作ることは、数多くの論争を引き起こす聖霊に対し今日よりも見下していた。

後に聖書が教えていると思われることと友会が聖霊にどのように導かれていると信じるかという論争が、起こり始めた。友会徒にこうした論争で聖書は信ずべきものであり、事実上聖霊が決して聖書と相反する方向に導くことは決してないだろうとする初期の友会との明白な信仰をなすと決定する者がいた。例えば1887年のリッチモンド宣言は、その他のことに触れて、「聖書と相反する」いかなる行為も、聖霊が直接導く場合でも、単なる妄想と思わなければならないと宣言した。今日福音派友会徒は聖書は信ずべきもので、個人的な指導は、教義と矛盾するなら相容れないものであると信じている。

別の友会徒は、一部はリベラル・プロテスタンティズムのような運動の高揚で、事実聖書と相反する方法で導くことは可能で、そのような場合、聖書の言葉が方向を示してくれると考えた。依然として他の友会徒は聖書を完全に拒否し(あるいは無視し始め)、そのために多くの容認派の友会徒(大抵は非プログラム派)にキリスト教徒でない友会徒が出現することとなる。

しかしながら、ほとんど全ての現代の友会徒が、内なる光に継続的に導かれる必要を信じている。従って神の啓示は、聖書に制約されず、今日でさえ続いていて、この教義は「継続的啓示」(continuing revelation)として知られている。この解釈から証言(または信仰的証し)として知られることになる共通の信仰形態が出現した。(詳細は証言を参照のこと。)
信仰と友会徒の活動


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